
教育に何の意味があるかを考えるときに心に留めておきたいことがあります。
株式市場では、40年以上持ち続けた株の場合、損失は出ないことになっています。正確にいうと、個別株ではなく、インデックスのような全体賭けです。
それは、理由はシンプルで、資本主義が成長し続けるから。
一方で、30年スケールで見ると、株は、元本割れします。
例え全体賭けをしていても、です。
大恐慌の時は25年くらい、株価は戻りませんでした。
ソフトバンクは、ITバブルの絶頂の時の株価を、その後、20年更新しませんでした。孫正義が言ってるように、「一瞬だけ、ビルゲイツより金持ちになった、でもそこからバブル崩壊でどん底に落ちた」とのこと。
仮に、
「世界経済はならすと年率2~3%で成長するのだ」
というファンダメンタルズ要因にBETしたとしても、30年間は報われない。
それがこの世界です。
ちなみに、株の場合、インデックス・オルカンなど40年持ったら元本割れはしないからと言って、「得する」とは限りません。インフレ・物価上昇、税金などを考慮しないといけないので。
短期で見ると、
社会の評価は、
プライシングは、
歪みます。
実態と乖離します。
社会的成功も同じです。
- 早熟の天才 (早く成功)
- 大器晩成 (高く成功)
も違います。
簡単な話、若い頃に成功したければ、あらゆるアクティビティを制限して、一つのことに打ち込むように英才教育すれば、同世代で抜きん出るのは余裕。そして年齢プレミアムで「天才少年」と期待されるでしょう。しかし、これ系が将来も成功し続けるとは限りません。
すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる
という格言が身に染みることもあるでしょう。
ピータードラッカーは、人生について、
50歳になって、何によって憶えられたいか、それに回答できない場合、それまでの人生が無駄だった・間違っていたことになる
といった趣旨のことを言っていました。
20歳からちょうど30年後、あたりですね。
おおむね、キャリアの絶頂がこの時期になる職業は多いでしょう。
1年、2年、3年・・・
この単位では、よくわからない現象が、世間を席巻することがよくあります。
5年以内だと、「努力なんてしない方がコスパ・タイパが良いのでは」と思える出来事にも何度も遭遇します。
「明日死ぬ」
ということが確定しているなら、
- 仕事も
- 受験も
- 貯金も
何もかも、投げ打ってしまって、やりたいことをやってしまった方が良いでしょう。
明日世界が終わるならば、あらゆることが無意味になるでしょう。
仕事や教育は、
今それが楽しい、有意義だ、ということも大事ですが、
時間を貫くもの、
過去から未来へとかける橋なのだ、ということを決して忘れてはならないような気がします。
決して、
未来のために今を犠牲にすることのススメではありません。
今も未来も、どちらも大事です。
どちらかのために、どちらかを削れば、相応の痛手となります。
今しかできないことを
と言いますが、だいたい、今しかできないことばかりなのです。
今の物価は当たり前じゃない。
やがて胃袋が弱くなってコッテリしたものは食べられないかもしれない。
体力が弱くなるかもしれない。
人一倍老けるのが早いかもしれない。
今の生活、人生にある前提が、ごっそり抜け落ちたり、弱まっていくことも多々あるでしょう。
今は、永遠じゃない。
オレに対する社会の評価が間違っている
というスタンスで生き続けることは往々にして痛々しい結果を招きますが、とはいえ、時間的な奥行きをもって考えると、万物は流転するのであり、今、悲鳴を挙げられているタレントが、好感度タレントに転じている、なんてことは実際に起きたことで、今かっこいいことは、将来ダサいことになり、逆も然りなのです。
今の当たり前が、将来は当たり前でない。
全部ごっそり変わるわけじゃありません。むしろ変わらないことの方が多いです。しかし、一部は大きく変わったりします。
ただ、
短期の評価と長期の評価は違う
と考えたり、短期軸を捨てて長期軸を取りにいくような人が強かったりする。
時をかける楽しみ、希望、期待
みたいな要素、種まきをする感じ、そういったものを人生に持っておくと、時間が味方をしてくれたり、状況の変化を楽しめるようになります。教育というのは、もしかしたらそのためのツールの一つかもしれません。
もしかしたら、社会は20年くらいは平気で間違えるかもしれない
なんてことを、教育を受けずに、どうやって理解すれば良いというのでしょうか。
今、カリスマ的な指示を受けている施政者、指導者が、過去にあった完全にやばい過ちと同型であることを、教育を受けずに、どうやって見抜けば良いというのでしょうか。
戦時国債発行の時と同じ言い訳を、今の政府がしていることを、どうやって知れば良いというのでしょうか。
教育を受けることは、
人によっては、
- 時間
- お金
を無駄にしている行為に感じられるでしょう。
せっかくの「今」を削ってるように感じるのかもしれません。
しかし、教育そのものが、ある種、現状否定的、当事者否定的です。教育を受けること自体が苦痛要素があるだけじゃなく、教育を受けることは、
お前は間違っている(かもしれない)
ということを突きつけてくることが多い。
この手の経験を積んだ人と、積んでいない人では、後の人生に大きな差が生まれます。
そもそも、
- 希望
- 期待
- 夢
みたいなものが、未来における、「今との差分」をプラスに捉えたものだとしたならば、現状の自分を揺さぶられる行為というのは、まさにその同等物に等しい、と言えるのではないでしょうか。
今この瞬間のオレ自身
に100%満足していて、それを削り取ることにいかなる理由があっても賛同できない、1分1秒たりともこの時間を渡せない、みたいな人には教育は要らないのかもしれません。ただ、繰り返しになりますが、絶頂にある人間は、その後、ほぼ必ず落ちるものなのです。
仮に今最高に楽しいことを、
SEX
とするならば、
若人は、「晴耕雨読」ならぬ、
「晴読雨セックス」に励むと良いのではないでしょうか。
女のケツを必死に追いかけ、ナンパをしながら、一方で教育的なものにも頭を突っ込む。
ナンパのようにプリミティブで、空虚で、今を消費することをやっていると、むしろ、その振れ幅で、知的かつ将来投資的な教育を受けることに建設的な意義を見出せたりするのです。
変な話ですが、
右手にナンパを、左手に教育を、
はかなりオススメできます。
別にナンパじゃなくても良いのですが、ひたすら、今を消費するような刹那、外生変数に振り回される単純作業を、やり続けてみてほしい。
普通の人間なら、空虚さをおぼえるはず。
何をやっているのだろう?
という感覚は、たとえ、プリミティブな欲求である「SEX」を追い求めているときですらも湧いてくる。
そしてその程度が強い人は、きっと、教養人としての素質を備えているのではないでしょうか。
教育を欲している、とも言えるでしょう。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



