過去の記憶は僕たちを苦しめるのだろうか。それとも救うのだろうか。
君にとってはどっちだろうか。
ふと思う。
記憶は俺を救っているのか?
たしかに、覚えてた方が良いことはたくさんある。記憶に生かされてることは間違いない。
でも、こんな高度な社会、最低限のことを覚えていれば、あとは無知でいた方が良いんじゃないか。
別に何かを覚えてることで良いことはあるのか。
見城徹さんの話なんかに触れていると本当にそう思う。
無知の熱狂。
よくわからないけれど、まあ、言えるのは、未来を見ていた方が良いのは確かだ
なぜなら、そこにしか変えられるものはない
そこに生きているんだ
一度、過去は無かったことにしてみたらどうだろう?新しい自分に出会えるかもしれない。
実は、
みんな同じように生きてるように見えて、
過去に生きてる人、未来に生きてる人、
そして今に生きてる人
色々あると思う
違いがある
失恋の苦しみやコンプレックスなんかは、過去の苦しみなんじゃないだろうか?
終わったことを常に頭の中で再生してないだろうか。リピートしてないだろうか。
実はもう終わってる。
でも終わってないと思ってる。
その幻影を追いかけてる。そういうことってないだらうか。
例えば人間関係なら、相手に残してしまった消せない記憶、いわばいまさら新しい人間として認知してもらうことはできないという条件の中、やらかした、とか、しまった、とか色々思っているのだろう
いわばそれは記憶だ
誰に何を覚えてもらいたいのか?
それを答えられなければ人生を無駄に生きたことになる
ドラッカーはそう言った
でも、新しい記憶を作るチャンスは溢れかえっていて
次がある
もちろん、永遠には無いけれど、前を向いていくことでしか、後ろを向いて湧いてくる悲しみや後ろ向きなことは消せないだろう
な、
そう思うだろ
昨日の俺らに何を制限されてるんだろう?
記憶じゃ無いか?
たしかに、DNA的限界とか、そーゆーのもあるかもしれないけど、頭脳的には全部記憶じゃないか?
俺の俺に関する記憶。
それもまた、刷新できたとしたら?
どんな未来が待ってるだろう。
若いということは、後ろ向きの記憶が少ないってことだ。逆も然り。
手放してみようぜ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。