端的に言えば、心を奪われることが難しくなる、ということだ。
心が死んでしまった人間は間抜けの殻。生きながら死んでいるに等しい。
魔法が解けないうちに、思い切り時を駆け抜ける必要がある。
The wizarding world of marketer.
人が魔法にかかる期間は10年で、それはどのタイミングでやってくるかわからないと私は言った。
これは自己完結的なものだ。
でも、我々マーケターは、そのお手伝いをすることができる。
魔法にかかりたい人に対して、魔法がかかるように手引きをすることはできる。でもそれは強力な力でもなんでもなく、あくまで手伝いでしかない。
全ては本人次第だ。
理想と夢を見ることについて、その効用を種明かししてしまうと、現実をストレッチする力がある。
理想と夢に溺れたら、人は狂気的にそこへと向かう。そして大抵、数多くの失敗をやらかすようになる。うまくいくことは少ない。
でも、その中で得たものが必ず役に立つ。そして、いずれ、理想と夢に全身を浸すことが難しくなるけれど、現実をうまくドライブすることがうまい大人になっていく。
だから、夢と理想に全身を浸せる間はチャンスだ。スーパーマリオが星を得たような状態で、捨て身タックルでいろんなところに勢いでつっこんでいける。そこで獲得したことは、成果的には弱いのかもしれないけれど、自分の土壌を耕したことになる。
それが次の芽を生むことになる。
そして成果が大きく出るようになる頃には、もしかすると少しつまらないかもしれない。なぜなら、それはただの日常であって、気がつくと、憧れだったものが維持すべき日常であり、昔よりもハードルが上がっているからだ。その上でさらに高みを目指さないといけない。つまり、全身が、身軽さに浸る事がない。
そのため、現実は変わらないまま、漠然とした理想や夢を持ち高揚感だけに浸っていたあの頃の方が割と気持ちよかったのではないか、と思うこともしばしば。
人には誰も、憧れがあるけれど、その憧れが日常化してる世界というのは、憧れられてるそれをまさに現実的に向かい合って処理しなければならない高度な世界だ。苦労が無いと言ったら嘘になる。
人生には旬、というものがある。
人生が80年だとしてもこの80年分の時間はそれぞれ等価では無い。
恋愛の旬。結婚の旬。仕事の旬。
いろんな旬がある。
フィジカルもそうだけど、やっぱり、気持ちの面が大きい。人はある程度歳を重ねると、もう頭がカチコチになり、変わらなくなり、そして魔法にもかからない。死ぬまでの消化試合をこなすしかなくなってしまう。
つまり、旬とは心の問題でもある。
びっくりするほど、人の心は重くなっていく。
私は完全に魔法にかかった。
夢中と熱狂の渦の中にいた。
楽しかった。
人が人の心の旬を理解するのは、おそらく22〜25くらいだと思う。
同年代の女の子と付き合うより、女子高生と付き合いたいなんて思い始めるかもしれないけれど、人の心のステージの違いが、付き合っていて面白いかどうかに関係してくる。歳上や同年代より、何も考えていない無邪気で元気な若い人と交流するのが楽しいと感じてくる時がある。
感性の違いというものである。
ノスタルジーもあるかもしれない。
ただただ何も考えず、感じるままに、生きる。
そんなことがだんだんと難しくなるかもしれない。生きることがうまくなるにつれて、生きることを楽しむことが下手になることもあるかもしれない。
とにかく、自分の感性を刺激したものを追いかけて、走り抜ける経験、いわば夢中になれる経験はそうそうできるものでは無い。
重要な点は、単なる表面的なその日暮しではないとこと。
粉骨砕身した感覚、燃焼した感覚だ。
お金も命も使うもの
この意味がわかり、実行できている時、人間は輝く。
使命が降ってきた時、人生は変わる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。