20代で可処分所得4〜50万が夢か?わからんなぁ

夢とか希望とか絶望とか才能とか議論する前に、20代で可処分所得4〜50万くらいを真面目に目指してみたらどうですか、って話をしたいと思います。

人生に絶望しました・・・とか、底辺で生きてます・・・とか、仕事辛いです・・・とか、希望がないです・・・とか言っている人を見てて思うことがあるんですよね。なんか極端だなーって。

で、そーゆー極端な人だから、

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みたいな広告に引っかかる。あるいは宝くじとか買い始める。あるいは株式投機とか始める。ビットコイン投機とか始める。なんか、もっと真面目にやることやればいいのにって心底思うんですよね。

 

極端なんすよ、マジで。人生に夢がない、希望がない、生きがいがないとか言っている人も多いですけど、たかだか月の可処分所得20万ぽっちのゾーン(orそれ以下のゾーン)でそういうものが見つかるわけがないじゃないですか。やりたいことがない、ってそりゃ、あんた、金がないんだもの、みたいな。笑。やりたいことがないんじゃなくて金が無いんじゃないの、みたいな。

金がないし、金を使った経験もないんだから、そりゃ何を楽しみに生きていいかわかんないでしょ。西園寺さん、高校生年代で、夜の街で一晩、3〜4万吹っ飛ばすとかフツーにやってたから、こーゆー経験がある人とない人じゃあ人生観違って当然。世の中、面白いもの、面白いところいっぱいあるよ。西園寺さんだって元々、そういう刺激的なお金の使い方について、自然発露的に覚えたわけじゃなくて大人たちに覚えさせられたわけだからね。

夢がない、希望がない、生きがいがない?嘘つけぇ。街を見渡してください、谷間プルプル、脚ツヤツヤの夢と希望が溢れかえっているでしょ。キャバクラがあるでしょ。ソープがあるでしょ。旅行があるでしょ。ブランド品があるでしょ。何を言っているんですか。

ゆとり世代・さとり世代はある意味悲劇ですね。なんか、物欲がない、向上心がないとか言われていますけど、人間に欲がないなんてのはあり得ない話で、欲の形態が変わっているだけです。で、変なこじらせ方をしている人が多いね。今の若い子は欲望を学習する経験に足りてない。で、欲望の学習機会がなくて、昔の人が若い頃、欲望を向けていたブランド物とか車とか女とかマンションとか、そーゆーんじゃなくて、なんか、すごくメンタルな次元、哲学的な次元で延々と生きがいとか夢とか、自分の本質とか希望のカケラみたいなものを探そうとしている。あるいは、冒頭で言ったような、ある意味、自分とは程遠い高〜いところに変な夢を見る。

散々彷徨った挙句、情報代をケチって無料情報にこだわった結果、ネットでよく見るブロガーとかの「ミニマリスト!」みたいな概念に影響受けて、単なる自分の敗北をあたかも新しい生き方かのように偽装して、正当化する。逃げる。あるいは、youtuberやブロガーの文句を2chに書いて、希少資源である時間を彼らのトラフィック貢献に捧げて、ただでさえ困窮している状況をさらに困窮へと追い詰める。あるいは、自分の経済的不遇、ストレス、コンプレックスのはけ口を陰謀論とか、反社会的な思想、刺激的な思想に向けて、そういうのに傾倒して、で気持ち悪くなって、余計にモテなくなったりして負のスパイラルに落ち込む・・・・・みたいな。

ひたすら世の中の否定、ブラインドアウトに熱を注ぐ。自己のプライドを守ることにしがみつく。

 

真面目に、20代で可処分所得4〜50万くらいを目指してみれば?・・・・。それぐらいの生活水準を、自由なライフスタイルと共存させながら生きていくみたいなのは、高学歴や高難易度資格取得者が人生のどこかの段階でやっているような、集中的な労力投下と学費投下、少々のリスクテイクがあれば、チャンスは掴めるでしょ。もちろん、適性なり時代性なり運なりも左右しますが、5年、10年・・・・と期間を延ばしていって、打つ球数を増やしていけば確率論的に1発も当てないことってあり得ないと思うんですけどね。すごく現実的な考え方だと思いません?

こんな、チャンスしか溢れていない時代に、その程度の夢が掴めないってあり得なくないですか。

当然、うまくいかない人もたくさん出てくるでしょうが、こんなに現実的な生きがい・やりがい・夢ってなくないですかね。会社内で役職狙うとかよりもよっぽど良い夢の持ち方だと思う。アーティストになるとか、スターになるとか、ビッグビジネスを当てるとか、投機で大成功するとか、そーゆーんじゃなくて、この程度の次元なら「誰にでも」門は開けているでしょ。機会の平等は担保されてますよ。

で、まぁ、この辺は格差の問題にもなってくるんですけど、親に資力があってそこそこの頭があって、教育費を投じてもらっている子供は、医学部なり、薬学部なり、獣医学部なり、高難易度資格なり、高学歴なり、そーゆーものを得て、参入障壁を突破して(突破した後は背後を守る盾になってもらって)それなりの良い人生を歩みます。そこそこ良い稼ぎを得ます。当然、資本主義下で金で買えないものは限りなく少ないわけであって、いろんなものが得られます。自ずと自信なり余裕なりが生まれて、金では買えないとされる「愛」とかなんやかんやとかも、元々の人間性も活かす形で手に入れて生きます・・・・・幸せに暮らしましたとさ、ちゃんちゃん、みたいな。

西園寺さん、底辺すぎて知らなかったんですけど、良いとこのお嬢さんとかみんなそこそこのルートを辿って、そこそこの道に行きますよ。なんか、夢の追い方、欲の満たし方、人生の楽しみ方が現実的で上手ね。そーゆー子たちは夢の見方、欲のの見方、人生の楽しみ方から賢い、頭が良い。やっぱね、いいとこの子として生まれて、それなりに本人の努力があれば、それなりの道を歩むことができますね。もちろん、そのあとの仕事の苦労はそれぞれあるだろうけどね。でも、そういう人は総じて幸せそう。ほんで、実際、お金稼いでみんなそれなりの生活を手にしていっているわけです。

 

問題は、良いとこの家庭で生まれなかった人、学校の勉強に向かなかった人、人生に彷徨っている人、一般的な立身出世のモデルが合わない人ね。こーゆー人たちが、変な道に行きがちなんですけど(コンプレックス強すぎて、大逆転狙いがちなのはわかるけど)、フツーに真面目に、そこそこのゾーンを狙ったらどうですか、ってことなわけです。いつまで、下層のルサンチマンを刺激する広告や情報に乗っかり続けて間違った夢の見方をしているつもりですか、みたいな。

可処分所得4〜50万が夢ですか。この程度のものを追う気概も、得る能力も、根性も無いんですか。やばくないですか、それ。その程度のゾーンの稼ぎについて、自分得たいライフスタイルと共存させながら、あるいは自分の好きと共存させながら、自分の興味関心と共存させながら、・・・・真面目に目指すってことに関して、過剰な胡散臭さとか感じる必要なくないですか、って思うわけです。

スモールビジネスを成功させて食う、ってのはキャリアっすよ、キャリア。一つの現実的なキャリアですよ。

おそらく、今後は大企業的なモデルがどんどん崩壊して、緩やかな起業家社会みたいなのが生まれてくるはずです。旧来の起業家のように、大きく稼ぐわけではないけど、起業家の数が増えて、そこそこのゾーンで留まる人たちが増える・・・・みたいな社会。あとは人工知能と、ベーシックインカムとかが共存する、そんなに大変ではない人間的な仕事がポツポツとある社会がやってくる・・・・かもね、そこらへんはわからないけれど。

今の時代、20代で可処分所得4〜50万が得られる自分に合ったビジネスをつくって、それで生きていくなんてことが「怪しすぎる」って思う人はレイトマジョリティーにも程があるでしょ。クレジットカードを「怪しい」って言って使わないおじいちゃんになる予備軍ですね。

「才能」とか「夢」とか「成功」とか「生きがい」とか「働き方」みたいなワードにフックされるような層で、人生にやたら悲観的すぎる人たちは考え方がどうも極端なフシがあります。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。