たまに、自分自身の素材の悪さにゾッとすることがある。こんな自分が、なぜ、人並み以上の生活ができてるのかってのを考えたら、そりゃーもう、騙されたからとしか言いようがない。他者から積極的に影響を受け、積極的に洗脳されてきた。さすれば、人間は思考パターンや、行動パターンも変わってしまう。別物になってしまう。そして、そこで知らず知らずのうちに何かが習得される。これを洗脳とどう区分けするのかは難しいところだ。本来なら嫌なんだけど、できてしまうこと。そーゆーのは、社会人経験の賜物であることが多い。社会人経験とはすなわち、半ば強制性を伴って何かを考えさせられたり、何かを行動させられたりする世界。人は、そもそも持ち合わせた好き嫌いをベースに何かを選ぶけれど、好き嫌いと適性の有無は別物であって、食わず嫌いをしていた世界に自分の適性があったりすることはすごく多い。だから、嫌いな世界に眠ってる自分の可能性を掘り起こすためには、積極的に嫌いなものを食わなきゃならないんだけど、そこには他者からの洗脳もしくは自己洗脳が必要になってくる。そもそも人間の意思決定は、外部からの影響、外部機会、外部が提示する選択肢によるから、そーゆー意味で、純粋に自分を貫き通すのは不可能だ。
よくよく周りを見渡してみりゃ、自分らしさに固執してる人間でパフォーマンスが伸びてる人間はほとんどいない。自分らしさや自分の考えに固執していいのは、それに従って10代から圧倒的なパフォーマンスを出していた人間に限ると思うし、人はそれを才能と呼ぶんだと思う。
才能がない私は、割と外部環境任せだ。人をつくるのは環境だし、外部環境がパフォーマンスの50パーセントを握っていることは間違い無い。自分の強みらおそらく40パーセント弱。残る10%強はポジショニングだろう。
重要な相手、重要な環境、では積極的に外部に従った方が良い。抵抗するのは、それがどうあがいても自分にできない場合だ。できないというのはやりたくないという意味ではなくて、文字通りできない場合。もちろん、選り好みしてもいいけど、嫌いと不向きはイコールではないから、若いうちから食わず嫌いばかりやってると自分の可能性を自分で殺すことになる。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。