仕事にどうやって向き合うのかってのは人それぞれだと思うけど、ボチボチ生きれれば良いって人はテキトーにやってればそれで良いと思う。
しかし、抜きん出た仕事したいとか、稼ぎたいとか、特殊な仕事に就きたい、上流に行きたいなら、自己洗脳か他者からの洗脳を受けないといけない。
能力や行動は、マインドセットレベルに根付くものだから。
それぐらいまでせんと、人は変わらないし、何者にもなれない。
知人に公安系や国防系の公務員いるけど、やっぱり彼らはみっちりと教育をされてる。彼らの世界には強烈な文化がある。寮にぶちこまれたり、プライベートも制限されたりしてる。これはもう、生き方とか信念レベルで教育される世界。軍隊とかもそうだよね。そこまでやるから、プロとしての仕事ができるようになる。ああいうぶっとんだ仕事ができる。
総合商社とかも、軍隊式の精鋭教育を意識してると思う。人が財産だからこそ、知力、体力、精神力が揃ってる人間を囲いたいと思ってるはずだし、教育して育てるという意向はある反面で、絶対、フィルタリングの意図もあるはず。不適格な人間を落としたいがために、あえて無茶苦茶なパワハラとかやってると思う。
異常な厳しさを発揮したり、脱力者が生まれたり、人を選別するようなところは、
『人を育てる』
『人を取捨選択する』
って側面が絶対ある。
だから、いつも思うのは、きついと思う仕事はさっさとやめたらいいってこと。きついって思ってる時点で不適切な可能性がある。日本人は、そこで必死に歯を食いしばって耐えようとするんだけれど、だから過労死とかしちゃう。向いてない仕事に耐えるのは美徳じゃない。さっさと負けを認めた方がいい。
限界になってぶっ壊れて企業を責めても、たぶん、生きづらさは増すと思う。なんでかって言ったら、そーゆー人を面倒くさいと感じて拒絶するところは多いから。
やっぱ、世の中には賢い人たちがいて、賢い人たちはちゃんと自分を理解した上で自分の場所を選んで満足してるし、そこまではいかなくても現状にそこまで大きな不満は無いって層がこの国にはたくさんいるから。賢い人ほどデモとかせんでさっさと場所を移ったり、環境変えたり、国を変えたり、自分を変えたりしている。
だから、日本で企業を責めて声をあげても、共感を得るのは経済的にも社会的にも脱落した力の無い層からの支持でしかない。だから意味がない。
時代が時代だから、ブラック企業とかエリート企業が責められる風潮にある。でも、忘れないで欲しいのは、別に給与下げたり名誉を捨てれば楽な仕事、人を選ばない仕事はあるってこと。
スーパースターの花形であるスポーツ選手も、肉体労働という視点で捉えなおせばかなりのブラック労働だ。華々しい起業家たちも超絶ブラックな労働時代があるし、職人の丁稚奉公時代とかはご周知の通り。
多分、適格者ってのは表向きはキツイキツイ言いながら実際は割とマッチしてるもんなんだよ。気持ちいいキツさを感じてるはず。あるいは報酬に満足してるはず。
西園寺さんなんて、一般の過労死の基準持ち出せば、もうすでに二回は死んでる計算になる、多分。
仕事なんてやめればいい。逃げればいい。耐えなくていいと思う。向いてないってことだからね。そして、選択肢はたくさんある。ただ、高給業界はそれなりの激務を前提としてるからそうなのかもしれないし、ホワイト高給業界もそこに至るまでのプロセスで血反吐を吐くような努力をしたからかもしれないよね。そーゆーことを理解せな。
何もない人間が、のうのうと高給稼げる世界はまず無いだろう。だから、条件面を妥協して妥協して妥協しまくればいいだけ。落ちればいいだけ。無理に背伸びするから、負けるし、疲弊するんだ。
仕事がない、諦めてはいけない、逃げてはいけないという思い込みが自分を追い込んでしまう。仕事はあるし、諦めていいし、逃げていい。生活なんて月10万稼げればやっていける。当たり前の基準なんてものを持ち合わせてるからダメなだけであって、生活水準なんてどこまでも落とせる。どんどん楽な方に行けるはずだ。その際、劣等感を感じるだろうけど、それは仕方がない。だって、劣等なのだから。劣等感を無理くり根性で埋めようとするから、疲れきってしまう。
日本人の悪い癖。第二次世界大戦のときもそうだった。努力、根性でどうあがいても勝てない勝負ってのはやっぱり存在する。自分の持ち合わせてるものではどうにもならない場面ってある。
自分を無能と認めたくない、自分を敗者にしたくない、条件を妥協したくない、ここで負けたくない、そういう思いがどんどん執着を生んで、自分を逃げられない状態に追い込む。才能や適性が無ければ、すぐ長時間労働とか根性とかの話になってきてしまう。所ジョージの言うように、努力とか苦労ってのが主たるテーマになった時点でたぶん、才能や適性は無い。その先にあるのは、適合できるようになった自分であって、突出した自分ではない。
頑張り続けて、執着して、自分を成長させまくることについて、燃え尽き症候群や体調不良のリスクを抱えながらコミットするか。
逃げ続けて、自分に合った世界を探し続けることについて、無能化や成長の機会損失、生涯低空飛行のリスクを抱えながら彷徨うか。
人は仕事を選ぶが、仕事も人を選ぶということを忘れてはいけない。
そして、自分で選ぶ以上に、選ばれることの運を向上させたいのなら、やるべきことは、1つ。積極的に諦めること、逃げること、脱力すること、人任せにすることだ。自分の強みや、適性、才能、道について、そして自分のキャリア形成について、もっと人に委ねてみると面白いと思う。
今こそ、成るように成るという言葉と、真剣に対峙しなければならないと思う。
世の中の人は優しいから、『お前に才能は無い!』とか、『お前にこれは向いてない!』とかダイレクトには言ってこないと思う。でも、現実の世界はそれを如実に見せつけてくるから、そこから自分が意識的に汲み取るしか無い。
道を選ぶことが上手い人は、神さまからの無言のメッセージを汲み取る能力が高い。
一流がみんな、肩の力が抜けている理由、脱力している理由。それは、彼らが運命に抗わないからだ。運命の中で正しく努力してるからだ。
自分の運命レベルで、自分にテコ入れしたけりゃ、それは自分自身が昔とは違う別物になることを意味していて、昔からの関係性が壊れて変わったりする。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。