#8 キツイ仕事はビジネスモデルがキツイ

世の中をざっと俯瞰してみましょう。

まず、ビジネスが立ち上がります。起業家or創業経営者、役員連中といった経営層がいます。そして、このビジネスに融資・投資をしているステークホルダーがいます。そして、その下で働いている従業員たち(労働者層)がいます。これは、下はアルバイトから上は執行役員まで、ランクがあります。

そういうヒエラルキーがあります。

 

労働者層は時間的拘束があります。財産的拘束はありません。
労働者のリスクは「時間=命=健康」のリスクであり、「自分の人生はこのままでいいのか」「何のために生きているのだろう」「仕事のためだけに生きているな」ということを感じやすいですが、「一定の稼ぎ=生活」はほぼ約束されます。ですので、「生活ファースト」、特に子供を育てたいという時には有利な生き方でしょう。

経営者層は時間的拘束はありません。財産的拘束があります。
経営者のリスクは「金=資本」のリスクであり、稼ぎは全くのゼロから青天井まであって不安定です。成功すればウハウハですが、それがいつまで続くかはわかりません。失敗した時はまぁ、大変です。生活もままならないでしょう。超貧乏な子供って、実は親がもともと経営者だったりします。人は、もともと豊かだったのに底に落ちるとかなり不幸に感じるようですね。

 

まぁ、サラリーマン(雇われ)が安定かどうかも、結局、上次第っていう部分はあります。結局、安定していると思われている仕事の上層部が不安定・リスクを被っているだけです。そういう意味で、この世界はどこも不安定です。

そして、ビジネスは当然ながら、時勢の影響を受けます。業界構造の影響を受けます。景気動向、世界情勢の影響を受けます。

 

ビジネスの集合が経済であり、ここから税を徴収して成り立っているのが公的な機関です。

 

こういう全体像を理解した時。世の中を上手に生き抜いていく術が見つかります。

多くの人は、従業員としてビジネスに雇われるキャリアを選択します。それオンリーの視点のまま、社会に飛び立って生きます。そして、ほとんどの人には「経営」「投資」「経済」の視点が足りていません。当事者経験が足りていません。商売経験が足りていません。

結果として、場合により、厳しい選択をしていく人が多いのです。

 

個人的な意見を容赦なく言わせてもらえれば、

  • サービス
  • 仲介業

のビジネスで働くのは辛いことが多いと思います。実際に働いた経験からも言えることです。

基本的に、全ての商売というのは、何かしらの「財」を提供して稼いでいますが、この材というのは大きく分けて、

  1. 商品
  2. サービス

の2つがあります。何が違うか、ですが、「人間から切り離されたものか否か」という視点で、この2つを分けて捉えてみましょう。

サービスビジネスには決定的な特徴があって、「人的資源」を酷使して稼ぐという点でどこも共通しています。そして、そもそも論、ビジネスの立ち位置的に、板挟みの中で生きていることが多いのです。

最近は、IT領域のビジネスが増えてきましたが、ITビジネスに関してもかなり人的資源を酷使している点では変わりありません。

私たちの時間、体力、労力には限界があります。24時間365日なのは不変です。そして、そういう限られた条件のもとで、激しい競争の中働くとなると、基本的には厳しい労働内容となります。

広告、コンサル、ITベンチャー、などが激務なのは当然なのです。

サービスビジネスの上流には、高度な知的生産に携わるような世界もあり、時給の違いも大きいですから一概に言えることではありません。サービスビジネスでもマネジメントまで登り詰めれば話は別かもしれません。しかしながら、売り物が人の世界は厳しいのです。離職率高いですね。勤続年数短いですね。基本的にはそうです。人的資源を酷使する世界は、末端から高度な領域に至るまで、辛いのが基本です。

 

可哀想なのは、これが社会人として「当たり前」と思い込んでいる人が多いということです。

正社員という生き方は、こういうのが全てだと思い込んで、自分を追い詰め、鬱になって最終的には死ぬ人もいます。

 

知識が無い、情報が無い人は、とりあえず「逃げよう」という感じで転職という打ち手を打つが、前職と本質的に変わらないところに移ってしまい、

  • 「仕事とはこういうものか・・・・」
  • 職歴に傷がついただけな感じになった

みたいなパターンもあるあるです。あるある。

 

人生、生き方に幅が無い人、視野が狭い人は弱いですね。両極を知らない。「ニートから激務まで」「甘辛から激辛まで」「国内から国外まで」というように、振り幅を持ってないとダメですよ。

事務職とか、ビルメンテナンスとか、動物の世話とか、自然保護とか、伝統工芸の仕事とか、工場勤務とか、そういう選択肢もあるんだってことを忘れないでください。

それらの仕事が一概に楽と言いたいわけではありませんが、「一般的サラリーマン」の仕事ばかりに囚われてませんか?ということですね。

別に、オフィスでガリガリ働きお得意先に営業回りするようなことが仕事の全てじゃないのですよ。森に潜って、危険生物と戦うような仕事だってあります。

 

あ、話を元に戻します。サービスがきつい、って話でしたね。

仲介に関しても同じです。基本的に仲介ポジションのビジネスというのは、関係各所とのコミュニケーションが必須です。利害調整に追われます。クライアントに振り回されます。ああでもない、こうでもない、というクライアントの意向に振り回されまくるのです。クライアントに使いっ走りにされる上に、正解が無い仕事で、かつ消費サイクルが早いと、めちゃめちゃ振り回されます。

特に、強力な自社起点の何かを持ってないビジネス、コモディティ化しているサービスで働く場合には、尚更そうです。そして、ビジネスモデル自体がサービス的になります。

コミュニケーションというのは、言うまでもなく厳しいものです。板挟みは辛い。プライベートにおいて、市井の人と市井の中でのコミュニケーションすることですら辛いのですから。ましてや、高度に利害が絡み合う「組織」という世界において、ビジネス文脈における組織同士のコミュニケーションとなると難しいことが多いのは周知の事実です。かなり存在感のある仲介ビジネス、サービスビジネスになったとしても、基本的には厳しいことが多い。

 

サービスに関係することで、かつ、人間関係で消耗しやすいところに行くと、辛くなりがちです。

私は良く、外国人と交流していますが、彼らに言わせると日本のすごいところというのは「サービス」だそうです。それは消費者としての視点ですね。

海外と比較した時、日本のビジネスの特徴はサービスです。もはや、物作りがすごいとかそこまで思われてませんから。まぁ、そういう分野ですごいのが目立ちにくい(電子部品とか素材とか)ってのもありますが。

 

日本は、サービスが肥大している国です。過剰サービス大国です。

 

逆にいえば、サービスでしか儲けられない、サービスに従事する人員を酷使することでしか儲けられないビジネスが多いわけでもあります。メーカーはメーカーで、創業経営者が死に絶えてマーケティングセンスを失い、エリートたちが美味しい蜜を吸う場所に成り下がっていくと、腐るのが常です。なので、カリスマ経営者が現存していないところは、内部組織内における色々なドロドロがあります。とはいえ、ビジネスモデルとしては楽です。

日本ではあちこち、「サービス」で進化したビジネスがあります。いろんなサービスビジネスがあります。いろんなサービス機能があります。しかし、そのサービス領域に従事してしまうとものすごく辛いのです。消耗します。

サービス業の頂点って何でしょうか。サービスのトップって何でしょうか。わかりやすい例だとTDL、水商売が挙げられると思いますが、「好きだと超楽しい」「嫌いだとマジで辛い」ということがよくわかると思います。

人間として、いろいろ消耗するのです。

 

昔は、高難易度資格とか、知的プロフェッショナルの領域で魅力的なサービスビジネスがありました。しかし、IT時代の起業家たちがその職域を奪っていった。効率化を進めていった。プラットホームビジネスを展開するようになっていった。結果として、サービスに従事する人たちは、どこもかしこも辛くなりました。

基本的に、人間を売りにしているところはキツイ。当たり前じゃないですか。よほどのスター人間じゃない限り、人間を売りにするとキツイのです。人間を売りにして、人間と接して、人間に振り回されるなんて、最初からキツイことが予見できているようなものです。

人間で勝負するところはキツイ。「(狭義の)営業力」で勝ち上がってきているところはキツイです。

美容師、整体師、コピーライターなど、サービスビジネスで独立する人が多いのは、サービスビジネスが人的資本基軸型ビジネス特有の制約を受けるからです。それぞれの人たちが取れるパイが決まっている。限界がある。だから、サービスビジネスでの独立者は多いのです。

そして、サービスビジネスにチャンスを見出して起業する人は多い。しかし、スケーラビリティに限界を感じて、どんどん人を雇って酷使して行く経営者に進化していく人は多いです。あるいは、サービスビジネス領域全体にビジネスチャンスを見つけて、サービスのプレイヤーたちをガツッと巻き込むような、「業界構造を変えるビジネス」を組み上げる人たちが多い。結果として、渦中の人たちは苦しみやすい構造にハマります。サービスビジネス特有の「自分が食えた自分のテリトリー」が業界構造の再編によって無くなるのです。

サービスというのは、よほどのプロフェッショナルか、希少性・独自性があるか、指名買いされるか、ぐらいのレベルでないとキツイ。

ましてや、ここに人間関係の気苦労が入ってくると余計にキツイのです。

 

人間を売り物にして、労力・気力・体力・時間の勝負をして、人間関係で苦労するような世界は、基本的に全部辛いと思っておいた方が良いです。人間の身から切り離せないもの、常に人間の関わりを高い水準で要求するものは辛いに決まっているのです(でも、需要が高いのです。特に日本はそう)。

残念ながら、こういう世界は離職率が高く、また、事業の視点としては起業しやすい。多くの求人が出てるし、美味しい起業機会のように見えます。だから、その地雷を踏む人が多いです。

小売業であっても、実態はかなりのサービス力で大きくなっているところもあるでしょう。また、一つの大きな組織の中でも、サービス的な部門とそうじゃない部門など、いろいろ違いはあるはずです。ポジションによる違いもあると思います。

 

とはいえ、世の中は、サービスを求めています。時代性の関係もあって、サービスが強く求められているのも事実です。

特に日本人はサービスされるのが大好きです。そして、サービスの質が悪いとすぐに文句を言います。日本人の国民性が、サービスに関して悪いスパイラルを招いています。

 

当然、どんなビジネスでも「サービスビジネス」な側面はあるはずです。

しかし、本質的にサービスというのは、消費性であり、保存が効かず、人的資本を常に要求する上に、人間として気苦労が多いのです。

 

家庭でも同じですね。家族サービスを売りにするパパは疲れますね。逆に、家庭でかなり威厳を保っていてサービスするタイプじゃない人は楽なんじゃないですか。恋愛とかも同じ。過剰サービスを要求するタイプの人と付き合うと、疲れますね。「構って」がひどいメンヘラとか。笑


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。