「努力」という言葉が悪いね、罪深いね。

私はとっくの大昔に努力という言葉を捨てました。勘違いしないでください。努力を否定しているわけではない。ただ、この言葉のイメージがあまりにも間違っているから、努力という言葉は極力、頭に浮かべないようにしている。他人に説明するとき、会話するとき、必要に駆られて用いるとき以外は使わないようにしている。 努力、じゃなくて、 5年(10000時間) 500万円 みたいな、数字を意識している。 客観的指標。金と時間ね。これをどれくらい突っ込むか、みたいな感じ。   日本人は「努力」って言葉に、なんというか、精神的なもの、気合い的なもの、そして自分自身の才能的な、力的なものをイメージとして重ね合わせてしまう。だから失敗する。世の中の人間に対した才能ない。自分に対した能力なんてない。まずこの現実を認める。そしたら、真摯に時間と金を投下するはず。これに加えて、需給を真面目に意識すると。つまり、求め

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