炎上マーケティングについて解説します。
マーケターはメディアを使う生き物ですが、メディアには、
- オウンドメディア
- ペイドメディア
- アーンドメディア
というものがあり、三番目のアーンドメディアが、バズって拡散していくもの、SNSなどで広まっていくものであり、近年、注目を集めているものです。
昔から、口コミは強い。
ただ、ネットやSNSが出てきたおかげで、口コミの威力というのが、効果と速度ともに重要性を増してる、市場を席巻するようになっているわけです。
本来、プロモーションを仕掛けて行こうと思えば、それなりにコスト、エネルギーを使います。その点で、アーンドメディアでの拡散というのは、レバレッジは効くし、他力本願ですからおいしいわけです。
炎上芸を狙うインフルエンサーはわざとです。
以前、何かの動画で観たのですが、『他人がわざわざ、自分の時間を使って自分の宣伝をしてくれるのは炎上くらい』と言ってました。たしかに。人間は、いいなーと思ったことより、むかつく!とか嫌い!という思いで強烈にドライブされ、どこかに長文で愚痴を書いたりするものです。私なんかは、アマゾンレビューでめちゃめちゃ長文で否定文が書かれてるものは逆に気になって買ってしまいます。ネットで長いこと生きてますから、ネットに同業の批判とかが捏造されやすいことを知ってるからです。
炎上芸についてまとめると、
- コスト
- 拡散速度
- 効果
という意味で、口コミになるのはおいしい。
だから、インターネットではわざとヒール役をやりたがる人が多い。わざと嫌われたい、叩かれたい人が多いわけです。
さて。
こうなってくると、一般的な社会人なら、(礼儀作法やら何やら仕込まれるわけですから)、『そんなことをしたら逆効果では?』と思ってしまうでしょう。たしかに、1対1の場面でそのようなことをやると逆効果になる場合が多いでしょう。しかし、1対多の場合は、拡散が極めて重要なのです。
マーケティングの失敗は何か、と考えたとき、もっとも致命的なものは、周知できないことです。簡単な話、日本人は1億2000万人いますから、全員から1円もらえれば1億2000万円になります。現実的にこれは不可能なのですが、100円を10万人からもらえるだけで1000万円になります。
拡散してることは極めて重要です。
こうやって考えると、炎上した方が良いと考える人が出てきてもおかしくありません。そして、炎上にあたり、ある程度、理にかなってるメッセージを発する場合においては、多少敵を作ったり叩かれようとも、特定の人には理解されるわけですから、炎上した方が良い場合があるわけです。もちろん、大企業などではブランドイメージに関わりますし、多くの人を相手にしてますからやらないでしょう。しかし、もともと狭いエリアしか狙ってない中小零細ビジネスにおいては、大企業と差別化する意味でも、炎上は意味がある場合があるのです。
マーケティングの手法を間違った形でとらえて、1対1のセールスでやたらと炎上的な手法を使う人がいますが、これは炎上マーケティングのもともとの目的である拡散効果がありません。おまけに地雷を踏むリスクが高い。
つまり、嫌われる行為というのは、多数に向けて発信する場合においては、経済的に利得をもたらすことがあるわけですね。一対一のメッセージでは嫌われることにリスクが多いが、一対多のメッセージでは嫌われることにメリットがある。
こういう、アングラマーケティングは、まあ、心が痛くなります。いい人ほど、やれないでしょう。とはいえ、大企業に対して差別化になるのも事実。または拡散しやすいのも事実です。
スモールビジネスなんて、大手と当たれば即死です。大手に気に入られるか、大手がやらないことをやるかは基本です。
一度、何かしらのオウンドメディアを使ってみればわかりますが、まず目立つことから難しいわけです。見つけてもらうことから難しい。コピーライティングの技法でも、物議をかもすキャッチコピーを使うことは1つの技として紹介されています。
おかげでネットは荒れに荒れています。当然、ユーザーの中には、このスタイルを嫌って、ネットを離れてる人もいます。炎上だけに、焼き尽くしてペンペン草も生えなくなってしまった状態でしょうか。とはいえ、芸能人などを見てもらったらわかるように、いつの時代も毒舌キャラや嫌われキャラが重用されているのも事実です。悪役、嫌われものは、やはりどこかでなんらかの価値を発揮することがあります。
炎上マーケティングはやった方が良いのか?
やらない方が良いのか?
うーん、これは難しいところですね。
好かれる、嫌われるというのは、結構、狙ってできるものではなかったりします。好かれるためにやったことで嫌われたり、嫌われるためにやったことで好かれてしまったり。
ただまあ、好かれる芸能人ランキングの上位の人が、嫌いな芸能人ランキング上位に入っていたりすることからもわかるように、ファンがいることとアンチがいることは表裏一体と言えましょう。熱烈なファンがいるイコール、熱烈なアンチがいるはずです。
嫌いという感情の中には、嫉妬や、自分への害悪損失の危険性などが含まれています。嫉妬というのは、ある種、上であることを認めていることでもありますし、害悪損失を恐れているということは強烈なパワーがあることを認めていることでもあるかもしれません。
韓国ドラマでも、たいてい、恋に落ちる相手は最初は嫌な奴なのです。キライから入ります。
もちろん、純粋に生理的に無理だとか、絶対的な無関心だとか、シンプルに嫌いなパターンもありますが、嫌いの中には相手に対する一定の評価も込められている場合があり、これが好きと嫌いが一緒について来やすい理由でもあるのです。
自己啓発でも、自分探しの技法として、『好きなことはもちろん、嫌いなことを探ってみなさい』と教えられます。嫌いという感情の中には、自分が何に重きを置いているのか、何に憧れているのか、何を大きな力だと思うのか、自分が何が好きなのかが隠れていたりします。好きなことが無い人は、嫌いなことを探した方が自分の中での関心やプライオリティが見つかりやすいわけですね。
ちなみに、私が強烈に嫌いなのは、マナー講師みたいなのです。縛られることが強烈に嫌いということですね。
自由にやりたい、と。
100%社会と他人に全方位的に害しかもたらさない場合を除けば、強烈に嫌われるもの、嫌われ役を買って出るものは、実は儲かりやすいものだったりします。みんなやりたがらないのでブルーオーシャン、ホワイトスペースだったりするのです。毒舌キャラや、罵倒で名を馳せてるマナー講師なども、あえてそれをやってる場合があるでしょう。悲しいことに、世の中は強烈に嫌われてる人が結構稼いでいたりするのです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。