寂しいという気持ちをいつからか感じなくなった。寂しさを埋め合わせるための対象に、友達とか、恋人とか、家族とかを選定していたありきたりな自分だった。生きがいをそういうものにアウトソーシングしていたことにいつからか気付いた。
ふと、友達とか恋人とかをリストラしてみる。
すると、心にポッカリと穴が空いてしまう。この穴というのが嫌だから、人は一生何かで埋め合わせをしようとする。だけれど、乾いた砂漠に水滴を垂らし続けるようなことは一生終わらないのでは無いか?
自分がまさか、こんなに鬱々とした心を抱えたまま成長するとは思わなかった。いつの間にか、「起業する」みたいなレールの外のレールに乗っていたのだけれど、それは結局のところ、自分の心を納得させるプロセス。
何をやっても満たされない複雑な心は、その複雑さを圧倒的に凌駕する大いなる課題で、かき消すしか無かった。
自由になりたいのなら、壮大な自由研究をやってみても良いのでは無いか。まさか、それを本気で試すことになるとは。人がやらないことをやってみれば、当然、貴重なデータが蓄積される。この生データは、本屋なんかに売っていないデータ。それを積み重ねるたびに、俺の目の前には新しい道が切り拓かれて来た。
失恋した人の話を聞く。
「一緒にいたあの頃は楽しかった」とか、「彼氏と一緒に買い物した時を思い出して泣きそうになった」とか、「もっと幸せになれる相手がいるはず」だとか、そういうことを口々に繰り出す人たち。
「会社に入った頃は楽しかった」とか、「働き始めの頃は希望があって楽しかった」だとか、「もっといい会社があるはず」だとか、そういうことを口々に繰り出す人たち。
人生における複雑な心境をかき消すために、さらに複雑で壮大な物事に忙殺されることで、人は心のノイズをかき消す方法を生得的に持っている。だから、人生のステージを移したがる。こうやって、親になっていく人たちを沢山知っている。
「生きてて良かった」
「生きてて楽しい」
「生きがいを感じる」
そういう、人生に対する純な喜びの感触が無い人生は可哀想だ。その手触りをどこで感じられるかは人それぞれだと思う。私に関しては、それは、「凄まじく大変だけれど、充実感を感じられる仕事」が一つの答えだったのかもしれない。強烈に嫌いなことの裏側には、強烈な大好きが眠っている。
思えば、中学生ぐらいからずっと考えていた。
俺は将来どんな仕事に就くんだ?
何になるんだ?
何になりたいんだ?
何のスキルを身につけたら良いんだ?
友達と遊んで集まって楽しい。酒を飲んで嬉しい。恋人と寄り添って幸せ。映画を観て、Youtubeを観て、買い物して、仕事して。それで人生満足できるっていうんだったら、それはそれで単純な幸せを楽しめたのかもしれない。結局、何をやっても埋められないポッカリとした心の穴。その穴に何か詰め物をするためには、起業するしか無かった。自分の自由なスケジュールで暮らせるとか、好きなところに行けるなんてのはディナーの後のご褒美でしかない。
鈍行列車に揺られるのは死ぬほど好きだ。
そこには人生が重なって見える。
時代が追いかけてくるのに合わせて生きるのは好きじゃ無い。マイペースで生きていたいと常日頃から思っている。
それは、時代を先取りして働きすぎたあの日々の反動からかもしれないけれど。結局、時代を先取りして激烈に働くことと、思いっきり休んで鈍行列車に揺られるような生き方のハイブリッドをするという不器用な生き方をしている。
自分には器用さが無い。
少し寂しそうな君に。
こんな生き方の背中を見せよう。
嫌なことや苦しいこと、つまらないこと、傷つくことの連続。そんな毎日の繰り返しの中で、それをマイナスとして呑み込むか、プラスとして呑み込むのかは心の構え方次第。でもそれは、心の持ちようをどうしようとかで終わる問題じゃ無い。人間の心はそんな単純にできていない。心は生活環境に依存する。
刺激中毒で鬱々としてるなんて、最悪だけれど。
きっとこれは、生まれ持った脳内のシナプス間の結びつきが関係しているのかもしれない。
生きててつまらない。
楽しく無い。
面白く無い。
満足できない。
それは少なくとも、サインと捉える。少なくとも俺はそうだった。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。