「埼玉・千葉ミッドナイト」 第2話:「清く美しい」

 

俺は少し疲れていた。

最近付き合っていた女にすごく疲れていた。

 

最近、普通の恋愛まがいのことをしていたから、とても疲れた。

 

一言で例えるなら、普通すぎて疲れる。

最近悟ったのはコレだな。

 

普通に生きるってのは、社会に存在する壮大な嘘に寄せていく生き方だってこと。こんなものは俺には疲れてしまう。

 

人間は、人間に惹かれる。

そして惹かれた人間と付き合っていくうちに、「あれ、この人何か違う」「ウマが合わない」「歯車が合わない」という心境に陥ることがある。

 

とある女性のブログに、「医者と出会って、口説かれて、相手のハイスペックに興奮し、迎えにきてくれる車や連れて行ってくれる場所にテンションが上がり、まるで漫画やアニメの主人公のような気持ちになって気持ちが高ぶったけれど、付き合っていくうちにその興奮は薄れ、だんだんとその人と自分が噛み合わないことに気付いていった」という記述があった。

 

言いたいことはわかる。

これはきっと、就活でもなんでも、同じような現象が起こると思う。

 

良い!と思ったけど、

深入りして関係を築くほどに

嫌なところがたくさん見えていく現象。

 

もちろんその逆パターンもある。

私は人生の途中で、数多くこの「逆パターン」を見てきた。

だから常識が信じられない。

 

売女はいい女ばかりだった。

普通の仕事はクソだるいものだった。

学校教育はしょーもなかった。

ビッチはいい奴が多かった。

 

 

こんなことを言うとヤリチンだと思われてしまうけれど、あえて吐露しよう。

 

軽々しさを極めた先にあるもの。

それは、あまりにもさっぱりとした、爽快な世界だ。

 

人間的な、あまりにも人間的な。

動物的な、あまりにも動物的な。

 

「遊びすぎた男」というのは、どうやら異性とまともにパートナーシップを築くことから遠のいてしまうらしい。これは、私の周りを見ていても、そして自分自身の経験からも感覚的にわかる。

もう少し別の言い方で換言するなら、データが集まりすぎると別の景色が見えてくる。

 

例えば、こんなことがある。

とても純粋で純情な女性と付き合ったとしよう。言ってみれば、「ビッチ」とは対極にあるような女だ。「アウトドア」or「インドア」のどっち?と考えたら、割と「イン」寄りの女。

伝統的で保守的な家庭観・恋愛観を持っていて、それなりに歳を重ねてきたような普通に平均以上のスペックを備えている女だ。一見すると、彼女の考えていることや思想、生活観、職業観はまともに見える。実際、世間一般の価値基準に照らしたらだいぶまともなのだ。

しかし、私の人生を通してきて、根底にある世界観はここでも機能してしまう。

 

普通こそ狂気、常識こそ狂気。

 

明らかに、この世界は誤解が通っていると思う。

一見、普通に見える奴、普通の世界、普通の常識がまかり通っている世界こそやばい。

 

 

10代の彼女は言った。

「セックスが好きなの」

実にあっけらかんとしていた。

 

西園寺:「フェラは?」

女:「好き、うまいって言われるよ」

西園寺:「最高」

女:「そう?」

西園寺:「たまんないね」

女:「じゃあ、お兄さん、してあげよっか」

 

 

西園寺:「・・・・・え?」

女:「してあげる」

 

あまりの唐突さに動揺してしまった。

 

西園寺:「やばいww動揺したwww」

女:「別に嫌ならいいんよ?」

 

完全に乗せられてしまった。

 

西園寺:「・・・・」

女:「どっち?してほしい?して欲しくない?」

 

 

ジュブブブブブ・・・・・・。

ホテルに彼女のバキューム音が響き渡る。

 

女:「私、男の人がフェラされてる時の顔が好きなのw」

西園寺:「あぁ・・・・」

 

意識が朦朧とした。

 

女:「ふふっ、可愛い」

西園寺:「・・・・・」

 

正直、同じことを普通にされると全然興奮しないんだけれど、めちゃめちゃ若くて「つい最近高校生だったレベルの女の子」に好き放題されていることに、異常に興奮してしまった。

 

女:「可愛いなぁwwwもっとおかしくなってよwwww」

西園寺:「・・・・・www」

 

基本的に西園寺はSだ。

そして、世の女性の多くはMであり、「こちらが攻め、相手が受け」というスタイルが多い。でも、この子は完全に若いのに、私の上に立って愚弄してくる。

 

女:「ねぇ、エムなの?」

西園寺:「違う!」

女:「へー、なのに気持ちいいんだ?」

西園寺:「・・・・・!!」

 

 

パンパンに突かせてもらった。

気持ちよかった。

久しぶりに、「癒される」女性だった気がする。

 

俺は、余計なことを学習してしまっていると思う。

  • 処女
  • 売女
  • ヤリマン

は、「清く美しい」と思ってしまう。

人間に対して「清廉性」とか「性格の良さ」みたいなものを求める考えは割とナンセンスだ。

 

なんだろう、うまく説明できない。

ただ、

  • 仕事
  • 恋愛
  • 人間関係

などに疲れて疲弊している人たちが世の中にたくさんいて、俺はこれらで全然疲れていない方だと思うから、ハッキリと断言できることがある。それは、社会には大きな嘘が横たわっていて、人々は自分に嘘をついて、そしてありもしない嘘を追いかけて生きている・・・・ということだ。

俺は、素直に、本音で生きている。

本性・本能で生きている。

 

処女とビッチと売女が、俺には清く美しく見える。

そこには、清々しさがある。

 

美しさは、清々しさのことだ。

俺が美しいと感じた人たちは、みんな清々しい人たちばっかりだった。

 

あの人の言葉を借りれば、「キヨキヨしい」ってやつ。

そう、きよきよしいというのは、まさにそれがきよきよしいのだ。

もしかしたら、世界のホンダさんはわざとやったかもしれないね。華麗なるメディアマンだからね、彼は。

 

(・・・・続く)

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。