川西池田連合*OBです。
ヤンキーの自己肯定感について誤解されているところがあるようですので、回答させていただきます。
■自己肯定感の低い暴走族
ヤンキーの中でも暴走族みたいな人が自己肯定感が高いと思っている方がおられますが、あれは「反抗的なワガママ」で、決して自己肯定感が高いからやってるわけじゃないんです。
暴走族メンバーは、だいたい自己肯定感は高くないです。総長ぐらいは自己肯定感が正常になってるかもしれませんが、大部分の子は中学の同級生、学校の先生、親・家族から「認められてない」と感じています。
「オマエはダメだ」「アンタは、いらん子や」と周りから、言われまくる環境の中で、自己肯定感が育まれることはありません。むしろ、劣等感であふれてしまいます。
劣等感がある人というと、いじめられっ子、引きこもり、陰キャみたいなスクールカースト最下層を思い出すかもしれませんが、アレは素直な人達なので、劣等感を自分でも受け入れてしまって、自分を劣等市民だと思い込んでしまっている状態です。
劣等感があると、逆に反抗的になる子もいます。先生や家族から、やくたたずの余計なもの扱いされた子がそうなっていきます。人から不用にされると、人は不良になるんです。人から相手にされないぐらいなら、人から怒られたり、嫌がられたりする方が、まだマシだからです。
そんな不良の子たちが集まって、暴走族みたいな集団が作られ、傍若無人に振る舞うわけですが、そこで、彼らは初めて人から認められる体験をするんです。例えば、暴走の最後を走る「ケツモチ」をやる子は、メンバーから尊敬を集めます。追ってくるパトカーを逮捕承知で食い止めるので。
仲間から認められて、そこで自己肯定感を得られるんですから、暴走族の結束は固くなって当然なんです。そこに上手に付け込むのが暴力団のお兄さんなんですけどね。ワルなところを「オマエ、見所あるよ」とかほめてあげれば、簡単に暴力団の手先になってくれますから。
■自己肯定感の高いリア充ヤンキー
暴力団に引き込まれなかった暴走族の子は、早々に族を引退します。バイト先のガソリンスタンドで出会った女の子とデキ婚してしまうからです。もともとワイルドですから、0.01mmにはこだわらないので、翌年には第二子、第三子と出産が続きます。
すっかり「お父さん」になってしまった彼は、もう暴走族の仲間とは会わなくなります。だって家族から大黒柱として頼りにされてるんですから、もう自己肯定感を得るために仲間と暴走する必要もないんです。
お義父さんのやってる工務店とかで、鉄筋工やりながら嫁や娘のためにガンバって稼いでいるうちに、お義父さんが、脳溢血で若くして他界してしまいます。実はお義父さんは地元で顔の利く有力者で、不動産も結構持ってたりします。(実は、住んでるアパートはお義父さんの所有)この資産と地元人脈をマルっと引き継ぐことになってしまうわけです。
暴走族から足を洗った仲間も、結婚して国道沿いにラーメン店を出店したら、そこそこ人気が出て、余裕の出てくるヤツも出てきたりします。そんなヤツと家族同士の付き合いが始まって、いっしょに自宅の庭でバーベキューパーティーをやってる写真がインスタグラムに乗っかるようになると、もう押しも押されぬ「リア充」ですね。ここまでくると、思春期の劣等感なんて吹っ切れて、安定した自己肯定感を持っている「大人」になっています。若くして生まれた子供は、早く巣立ちますから、きっと彼の老後も豊かなものになるでしょうね。
一方、高校のとき、彼らを中卒の不良呼ばわりしていた子は、東京の大学に進学しますが、付属高校から上がってきた東京リア充大学生に圧倒され、大学デビューに失敗。彼氏・彼女もできずにネトゲに埋没。高校で無視していたスクールカースト最下層の陰キャと、変わらない生活になってしまうことも、よくあります。当然、企業インターンシップなんて恐くて行けないし、就活も出遅れて、、、(以下自粛)
んで、高校で陰キャだった子は、憂さ晴らしに格ゲーにはまって、才能が開花、ネットではちょっと知られた存在に。地元でeスポーツ大会もオーガナイズしたりしてたのが、東京のイベント企画会社のプロデューサーの目に留まり、来春からその会社で働くことになったりも、します。
かように、諸行無常、栄枯盛衰、人生はどうなるかわかりませんが、つながってんのかいないのか実態のよくわからない「社会」で社会的成功するよりも、狭いけどリアルに相手の顔の見える人間関係の中で、認め・認められて安定的な信頼関係を築けた人だけが、自己肯定感のある人生を送れるんだろうな、と還暦を前にしてしみじみと思うのでした。
他のご回答には、田舎はヤンキーの「仮想天国」というご意見もありましたが、親の代から引き継いだリアルな人間関係が維持できる規模の地域であれば、東京よりも、ずっと「リアル天国」なんじゃないかな、とも思います。わたしんちの近所では毎日数十万人の人が、働いたり暮らしたりしていますが、リアルな人間関係は全くありません。カミさんは学校関係でママ友つながりがあったりするぐらいです。地元から自己肯定感を得られないわたしは、Quoraで「仮想自己肯定感」をもらっているだけなのかもしれません。
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例えば田舎の国道で暴走族風を気取っている面々、彼らは自己肯定感が強いのではなく、逆に劣等感が強いのだと思います。馬鹿みたいな音を鳴らして通行すること自体が、自分という存在に注目してほしいという劣等感の裏返しに感じられます。
しかしその後、馬鹿を卒業して地元に残り、地元人脈を活かして活躍を始め、相応の信頼を得るにつれて自己肯定感を感じていくのだろうと思います。地元に残るということは、極めて狭い世界で生きていくということですので、いつまでも馬鹿をやっていると本当に馬鹿にされて生きていくことができません。そこで良い意味での矯正作用が働くのだと思います。
私の知っている田舎の中小企業の社長さんも、昔は高校中退暴走族の大馬鹿者だったらしいのですが、その後は家業に励み、的確な経営分析と優秀な人事管理の術を身につけて、地元で信頼される立派な経営者に成長されました。もちろん全部が全部ではないにしても、田舎に残ることを選択した元ヤンキーは、案外堅実なケースが多いと感じています。
それに比べて厄介なのは、単に都会に憧れて目的もなく地元を捨てて、都会に流れる人達でしょう。存在感も肯定感も人混みに埋もれてしまい、苦労しておられるケースが多いように見ています。
https://jp.quora.com/田舎のヤンキーがもっとも自己肯定感の強い集団だ
めっちゃ面白い
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。