大人が本気出したらヤバイんだってことを伝える

プロの大人たちが本気出したら、たとえどんなものでもとんでもないことになるんだ、ってのをひしひしと伝えてくる。

子供向けのはずが、本気出しすぎてとんでもないことになってる。

そして、これを観ていた子供たちが熱狂した。大人も熱狂した。ここから仮面ライダーは、子供も大人も巻き込む作品になった。つまり、子供相手だからって容赦する必要は一切無いんだ。いくらガキンチョ相手でも、伝わるものは伝わる。

 

世の中には、大人たちが演じるエンターテインメントが存在するけれど、例えば、今でもディズニーランドなんかに行くと、心のどこかでむず痒いというか、観てる側としての恥ずかしさを感じる。

そこにあるのは、熱中できない、没頭できない、ハマらないむず痒さ。

 

・・・・・でも、これは何年経って観ても感動しかしない。

制作に携わった大人たちは、これまでの常識をぶち壊そうという本気と、本当に良いものを作ろうという執念と、そして平成ライダーというプロジェクトのシリーズ化がかかったプレッシャーのようなものがあったのだと感じさせる。

2000年あたりのテレビはすごかったけど、それでもクウガはずば抜けてやばかった。衝撃がありすぎた。明らかにぶっとんでた。

相当作り込まれている。

 

大人は、常に本気を見せつける必要がある。少なくとも、これをやっていた頃、これに釘付けになっていた子供で大人を舐めてた人間はいなかっただろう。そして、子供たちはそうやって衝撃を受けて、学ばされ、考えさせられ、憧れを持ち、人によっては進路を決めていくんだ。

俺の友達にも、日本のコンテンツ産業に衝撃を受けて、海を渡って日本に就職しに来ている奴らがいるんだ。わざわざこんな島国の、クソ難しい言語と社会的プロトコルに苦戦しながら、それでも頑張ってる奴らが各界にいる。

 

コンテンツ産業は人の人生を変える。

 

もし、社会で、大人に対するリスペクトが軽薄化していったのであれば、大人たちが子供に本気を見せられなくなった、感じられなくなったのかもしれない。若い世代が、未来に希望を持てなくなったり、仕事にやる気を感じられなくなったりしたのなら大人たちの仕事に魂や輝きを感じられないのかもしれない。

本田圭佑は、どれだけガキンチョ相手でも、容赦しない、本気でぶつかるという。

 

あまりにも本気出しすぎて、ずっと根強いファンが存在する名作。

 

人の人生を捻じ曲げて海を渡らせるぐらいのものを、頭一つひねって考え出してみろ。

そんなことをガツンと言ってくるような作品。

 

原点にして頂点。

 

この作品で描き出されている主人公が人間的にどれだけ強いのかを、昔は理解できてなかったな。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。