
世の中には、
一生、理解できない人には理解できないことであるが、
「理解できる人にはすぐ理解できること」
というのがある。
そしてそれによって、人々の「立ち位置」が決まることも多い。
人生というのは、そういう些細なことで決まる。
理解というのは、本当に深くなると、
「腑に落ちる」
ので行動に現れる。
行動は、そのまま、習慣になり、人生になる。人生を作る。
その意味で、頭でわかってるかどうかと、腹に落ちてるかでは、全然違う。
結論、
- お金持ち・富裕層
- 中流
- 庶民
で終わるかどうかは、「その人の家柄」と、「お金への認識」で決まる。
家柄というのは、単に、親の階級を子は踏襲しやすい、ということである。これは教育や価値観、居住エリア、資産の相続なども含めて。
そして、お金への認識。
正直、これこそ、
自力で決定づけられる階級ファクター
である。
ではいこう。
貧乏な人というのは、基本的にお金に価値があると思っていて、お金を追いかけている。
これだ。
理解できる人はできる。
できない人はできない。
お金というのは、サッカーにおけるボールである。
ボールを回す、パスを回すのが、社会経済における金を回すことにつながる。
センスがない、貧乏だという人は、
1人で変なところでドリブルする球離れの悪いプレーヤー
みたいなものである。
このタイプの人は、周りが「何回言っても」同じことを繰り返す。
理解できないのだ。
サッカーというゲームの華は、ドリブルをして、ドリブラーになり、観客を沸かせることが全てだ、みたいな偏った思想を持っていたりする。
同じ発想で、
- 中流
- 庶民
はお金を追いかけ、お金を握りしめたがる。
お金を追いかけ、お金に振り回され、お金の価値を保とうと一生懸命ゴールドを買ったり資産運用したりする。
一方、富裕層は、
お金に価値がないことを知っている
のである。
(むしろ自分以外の大多数が、お金に価値があると思い込んでそれを追いかけ回していることも知っている)
お金に価値がないことをわかっているから、庶民にお金という給料を渡して、労働させようとする。むしろ、お金を与える。与えて、人を使おうとする。
そして彼らは、
「お金ではないもの」
を取りに行こうとする。
覚えておいてほしい。
庶民は、お金を取りに行こうとする。
富裕層は、お金じゃないものを取りに行こうとする。そのためにむしろ庶民にお金という給料を与えて彼らを使おうとする。
一方、中流はどうだろう?
中流は、
「中立的」
である。
彼らは、そこまでお金に固執しない。
一方で、「高給」を追い求めている。
彼らがやることは、SAPIXや鉄緑会などに重課金して、子供をお受験させ、私立校に通わせて、有名大卒にすることだ。
医学部に行かせようとすることだ。
つまり、
「学歴」
「資格」
などを得る、何かしらの既得権益的ポジションを得るために、お金をありったけに注ぎ込むタイプの人たちだ。
彼らは最終的には、
庶民の上に立つ管理者になることが多い。
中流とは、要するにエリート層でもある。
彼らは、すごく稼ぐ。
そして、稼いだお金の余剰を使い、
ゴールドを買ったり、株を買ったり、債券を買ったりしようとする。
ポートフォリオを組もうとする。
都市部のエリートでもあるから、地価が上がりそうな都市部で、信用力を活かしてタワマンを買って、そこに住み、さらにその物件価値が上がったら転売してラッキー、みたいな生き方をする。
これが中流だ。
湾岸エリア、例えば豊洲とか、勝鬨、晴海のタワマンを買うような人たちもそうだ。
お金持ち、富裕層は、
- 庶民
- 中流
の行動とは、一線を画している。
ただ、
どの層よりも1番、
「お金に価値がない」
ということを知っている。
中流も金払いが良いという点では、庶民ほど金への執着は薄いが、それでも、持っているお金の価値を減らさないようにポートフォリオを組んだり、あるいは得られる給料を増やそう・上げようと必死である。
だが、富裕層・お金持ちは違う。
この層は、「お金に価値がない」ということを知っている。
もっと簡単なことを言うと、
稼いだところで、お金というのは、税金で取られるし、インフレで減価するし・・・という感覚なのである。
入ってきたとて、どうせ消えるもの、持ち続けられないもの、とわかっている。
だから、富裕層・お金持ちは、これになる人は、口を揃えて、
お金の使い方が大事
お金は使ってナンボ
という発想をする。
本気で心からそう思っている。
一方で、
庶民は、
「そんなの嘘だ」
「お金が全てだ」
と思っている。
お金を信じている。お金を神だと思っている。お金に全てを支配されている。
お金で悩み、お金で苦しんでいる。
何をやるにしても、
お金が減るから・・・
と、お金、お金、お金。
とにかく、お金のことばかり。
「これがやりたい」
「あれがやりたい」
があって、必死にお金を稼ごう、とかではない。
とにかく、
お金がないと生きていけないから
みたいな感じで、
お金をライフポイントみたいな感じで考え、
生きていくために仕方なくライフポイントを稼ぎ、
そのライフポイントが、日々の生活費で消え、国にとらえていくことにイライラしている。
不安になっている。
3歩進んで2歩下がる日常を続けているのだ。
一方で中流の場合は、
もう少し賢いので、
学歴を手にするためにお金をガンガン使い、
良い企業に入り、
会社の名前・信用力でローンを組み、
手元の財産では買えないような広めのタワマンに住み、
今の勤め先や将来性をあてにして結婚をして、
「信用力」
を梃子にした生き方をしたりする。
コツコツ貯めたりするより、
できるだけレバレッジを効かせて、
借金して家でも買った方が良い、と思っている。
なんとなくわかると思う。
お金に余裕がない庶民層と、
中流・エリート層の違い。
ほとんど、世の中の人間は、いずれかである。
お金持ち、富裕層は、そのどちらでもないのだ。
お金にも囚われていないし、
そんなに学歴厨でもない。
例えば、早稲田大学・慶應大学を出ても、新卒であっても半数は名もなき会社に就職することになるし、これ系の大学を出てても浪人等々で卒業が25歳を過ぎていたらびっくりするほど価値がない。
高学歴ワープア、ニートはあちこちにいる。学歴は結構弱い。
学歴は、学歴そのものが価値があるというより、
若くしてその学歴を手に入れた要領や家柄
が評価されているのであって、学歴があっても卒業する年齢が28歳とか、良い大学を出たけどキャリアが途絶えたオーバー35歳はびっくりするほど労働者として不安定だ。お金もなかったりする。
いわば、中流層は、
なんとか、「既得権益」に潜り込むための
“エリート応募要件”
みたいなものを必死でなぞろうとしている人たち・・・・といえるだろう。
優先搭乗券を得るために、
ガイダンス・アナウンスに耳を立てて
一生懸命走り回ってる人たちだ。
お金持ちというのは、本気でお金に価値がないことをわかっている。
庶民は、お金を、ライフポイントのような感じで捉えている。生きていくために働く、お金を得る。
彼らにとって「年収」は、暮らしの快適さ、生きやすさだ。
中流・エリートは、お金を、点数のような感じで捉えている。自分の優秀さを証明するために、褒められるために、気持ち良くなるために働く、金を稼ぐ。
彼らにとって「年収」は、評価である。
お金持ち、富裕層は、お金を、
- 火薬
- 爆弾
- 兵隊
- 燃料
- 道具
のような感じで捉えていて、それを「使う」。
これらは、
わからない人には一生わからない。
わかる人には、すぐわかる。
はっきりいうが、
その人の将来的な社会経済の立ち位置は、
「お金に対する認識・スタンス」
で決まる。
本当に決まる。
ある人にとって、お金は、
怖くて苦くて苦しくて嫌な気持ちにさせるもの
である。
だから、お金のことを考えたくない。
お金の話をしたくない。
極力、頭からお金を消したい。
一方で、
ある人にとって、お金は、
ステータス
である。
だから、できるだけ、自分がお金を持っているかを見せびらかしたい。
どれだけ高いものを買ったのか、自分がどれだけ稼ぐのかを社会で確認したい。
あれがいくらするのか、これがいくらするのか。
俺が持ってるのがあいつよりどれだけ高いのか、知りたい。
こんな感じで、
「お金」
というのは、
人によって捉え方が、千差万別なのである。
また、感覚、認識に限らず、
例えば「インフレ」についても、
五感・体感・概念で腹落ちして理解できてる人もいれば、
わかってるようでわかってない
みたいな人もいっぱいいる。
1000円で、100円のものが10個買えていたのに、
物価が200円になると、5個しか買えないから、
1000円の価値は半分になってる・・・
みたいなことを、
何回言っても理解できない
みたいな人は本当にたくさんいるのだ。
言ってることを理解できても、
現実にそれが起こってることについて、
ハイパーインフレレベルの現象がないと「感じない・わからない」という人もたくさんいるのだ。
俺がボールを持って華麗な足技で観客を沸かせるのがサッカー
と思ってる人間もいれば、
俺がゴールを決めるのがサッカー
と思ってる人間もいれば
俺がチームのビルドアップのリズムを作るのがサッカー
と思ってる人間もいる。
ちなみにだが、
ここまでの話で、
あたかも庶民が悪いように聞こえたかもしれない。
しかし、庶民には、利点がある。
それが、庶民は、
生まれが恵まれてなくても、
何も持っていなくても、
早い段階で結婚して、子供を作り、家庭を形成する・・・
という人間にとっての幸せな
「ハッピーセット」
を揃えるのに、
庶民的な生き方が総合的なコスパ、成功確率が高いと思っている。
これは中流も同じことである。
お金を追いかけて、
生活費を払う。
その生活費の中に、幸せがある。
その幸せを、
最初は1人で。
次は2人、3人で。
そんな人生を発展させる。
もし、庶民階級生まれての庶民育ちが、
「お金持ち・富裕層になりたい」
と思って、
人生をかけてチャレンジすると、
お金持ちになるのが、40歳になるかもしれない。
そうすると、
「お金を持っているおじさん」
になってしまい、
愛が見つけられないかもしれない。
それなら、
「お金を持っていない25歳の俺についてくる美人で性格の良い女と出会い、結婚して、2人で二人三脚しながら家庭を築きたい・・・」
みたいな、
ある意味で、
お金持ちになれないマインド、お金持ちになるモチベを失うマインド
を握りしめていたりする。
お金は欲しいが、
お金のせいで、
お金目当てに寄ってくる人と結婚したくない。
これは、女の人が、
美人・スタイル抜群になりたいが、
そのせいで、
汚いおじさんやブスからジロジロ見られたり
やりもくで近づいてくる男がたくさんいたら鬱陶しい、と思うのと似ているかもしれない。
===
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



