西園寺帝国大学附属中学校(1) 「お金に価値はなく、お金持ちになりたければお金を追ってはならず、さらに”交換”を理解する必要がある」

お金とは、サッカーにおけるボールである。

 

1人で長くダラダラ持つな。パスを回せ。ボールばかり見るな。ゴールを意識しろ。ボールを持っていない時の動きは大事だ。

 

お金持ちになりたければ、お金を追ってはいけない。

お金に固執すれば、お金持ちにはなれない。

 

なぜか?

 

貧乏な人間の人生パターンは決まっている。

 

限られた人生時間を、お金に替える。

だがそのお金は、所得税、住民税、社会保険料がコッテリと取られる。

馬鹿な政治家と官僚が、それを無駄遣いし、利権に政商が絡む。

 

残った可処分所得で、最大の支出が

  • 食費
  • 家賃

になる。

 

だから、人生そのものが、うんこ製造マシーンである。

雨風凌いで、うんこを製造するために生きている。

この場合、仕事そのものが趣味といえないと、人生は崩壊している。

 

仕事をするために生きてるんじゃない!

と反抗し、趣味を見つけ、仕事は割り切り、オフの時間に趣味に振り分ける・・・・。

 

 

どうして、負のパターンにハマってしまうのか?

 

それは、大抵の人が、労働者階級に生まれ、スタートが貧しいからだ。

最初はアルバイトをする。

すると、今までとは比べ物にならないお金が入ってくる。

生活が変わる。

その先に、「正社員労働」がある。

 

すなわち、雇われて働き、それで生活を賄う、というサイクルに慣れきってしまう。

体験こそが最強であるから、そこに引っ張られてしまう。

 

やがて、

そこから抜け出せなくなる。

 

 

どうやったらお金持ちになれるのか?

どうやったら資産家になれるのか?

そう思う人間は、それを求めて、誰かに教えてもらおうとする。

だが、その時、レッスンは始まっている。

 

自ら何の犠牲も示そうとせず、フリーライドしようとする。

まずその姿勢がアウトなのだ。

交換を理解しないから、雇われの原理から抜け出せない。

人生を低単価で切り売りするしかない。

 

パスをくれ!パスをくれ!

ではダメなのだ。

 

私も、「人生の原則」に気づいてから、行動が変わった。

人生を変えるためには、パス交換しないといけない。

「仕事のために生きてるわけじゃない」ので、楽して遊んで生きたい、しかも金持ちになりたい。その結果、「月間の最大支出を自己投資にする」を16〜17歳で決めた

 

 

ただで何かを期待するような人間は、実社会では何も得られない。

これが鉄則だ。

 

人が抱える問題を解決することによってお金を稼ぐ方法を身につけよう。

 

 

また、大抵の人がお金持ちになれない理由は、

仕事を探すから

である。

典型的な貧乏人の行動パターンは決まっている。

 

フリーライダーで、自己投資をしない。

求人票を眺める。

 

いい仕事はないか

血眼になって、少しでも良い職場を探す。

見つけたら、応募する。

自分と同じような人間と競う。

そのために面倒なプロセスを経る。

やっとのことで採用されると天にも昇る思いだ。

 

やった!これで安心だ!

新しい職を得ると、天国を得たかのように思う。

しかし、しばらくすると、文句を言い出す。自分が稼いでいる分に対する取り分が少ないとか、仲間内で働き方が不平等だとか、嫌な奴がいるとか、自由がないとか、会社のやり方が合わないとか・・・・。

 

そもそも、

会社が労働者に求めること、

第一位は態度が良いことだ。

 

学歴も大事だが、先行するのは態度だ。

次に、コミュニケーション。つまり協調性があること。

 

要するに、「雇われ」としての立場を踏まえること。

言い換えると、法律でも書いてある「命令」に従う姿勢があること。

雇われは、雇い主の命令に従わなければならない。

 

会社において、

「どの役職でエントリーするか」

というのは、

 

  1. 命令を受ける
  2. 命令を出す

のバランスだ。

末端だと、1しかない。役員とか部長採用だと、2についてもそれなりに権限がある。

 

そして、態度、協調性が先にきて、職歴・経歴だ。

これまで、どんな会社で働き、どのような活躍をしてきたのか。

最後に学歴が見られる。

 

新卒の場合はポテンシャル採用なので、学歴しかなく、まず最初にそれが見られる。

 

 

つまり、

雇われて働くということは、

1にも2にも、

まず「雇う側の都合に合うこと」である。

 

一般的な学校教育は、こうした社会の事情を察知して、多くの雇用主にとって都合が良い人材を育てようとする。学校のカリキュラムというのは、擬似的な社会である。学校のカリキュラムをこなせない人間は、基本的には労働者に向いていないとして、事前に弾かれる。

毎朝ちゃんと起きて、決まった場所に通う。

退屈な授業でも耐える。

提出物を決まったルールで出す。

周りとうまくやる。

こういったことは、社会人として大切なことだからだ。

 

 

だが、それだけではお金持ちにはなれない。

 

 

お金持ちになるために大事なのは、

多くの人が人生を賭けて手に入れようとしているお金が、

  • インフレ
  • 税金
  • 社会保険料の上昇

などでどんどん価値を失っていることだ。

限られた人生時間を使って手に入れるお金が、どんどん価値がなくなる。

知らない間に盗まれている。

 

大事なのは、お金が本質ではないことを理解することだ。

 

確かに、お金は稼がないといけない。

お金は得ないといけない。

しかし、それが全てではない。

 

酸素は大事で、酸素がないと生きられないが、酸素のために生きてるわけじゃないのと同じだ。

酸素の向こう側がある。

 

お金というボールのパス回しにおいて、ボールに固執して、ボールを握りしめていてはいけない。

球離れが悪いプレーヤーはいらない。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。