西園寺帝国大学附属中学校(2) 「お金に価値はない」「お金のために働かない」「お金を働かせる」「お金は使う」を理解できる人はほとんどいないし、実行できる人は皆無に近い。だからお金持ちは少ない。

 

わかる人にはすぐわかるし、わからない人にはすぐわからない話がある。

 

それは、

お金には価値がない

だからお金を使わねばならない

ということだ。

 

まず、全くセンスがない人は、「お金に価値がない」を理解できない。このタイプは極めて現象反応的なので、この先の人生、

  • 美味しそう
  • 気持ちいい
  • 嬉しい

といったような目の前に五感的・本能的に反応する動物のような人生しか待ってない。

五感で感じられることしか信じられないタイプだ。

だから、基本的には、「人間に支配される動物(下等生物)」と同じような末路が待っている。奴隷である。

 

次に、もう少しセンスが良いタイプになると、

 

お金には価値がない

だからお金を価値があるものに変えて保存しなければならない

 

と考えて、ゴールド、骨董品、美術品などと交換しようとするタイプである。これは、お金持ちにはならない。お金というものが、そのままだと保存どころか価値が減っていくことを理解して、なんとか手を打とうとしているだけである。そもそも、それでお金持ちになれるなら、任天堂やキーエンスなどのキャッシュリッチ企業は、製品づくりをやめて潤沢なマネーをこれらに投じているはずだ。

 

 

本当にごく一部の人だけが、

「お金に価値はない」「お金のために働かない」「お金を働かせる」「お金は使う」

ということの意味を、本当に理解して、体現する。

もちろん、理解して、腹落ちして、それを実行するまでには時間がかかるかもしれない。これを早いうちから100%浸透させてスタートして、一定の時間が経過したものから、どんどん「人生アガリ」になっていくのだ。

もちろん、ほとんどの人はアガれない。

 

 

結局、人は、

  • 貧乏
  • 中流
  • お金持ち

のいずれかの家庭で育ち、高確率で

「親から学んだルール」

を踏襲して、自分の生まれ育った階級と同じか、それ以下の家庭を形成していく。

 

ただ稀に、

「貧乏家庭で育ったのにお金持ちに」

「中流で育ったのに貧乏に」

と変動が起こる。

その根本的な違いは、マネーマインドだ。

考え方だ。

 

昔はマシだった。

親と同じことをしていたら、

親と同じような家庭か、

親より少し良い人生が歩めた。

 

しかしこれからは違うのだ。

 

昔は頭が良い子供が医者や弁護士になり、お金をたくさん儲けたが、これからはこの手のエキスパートには苦境が訪れる。というかもう訪れている。

昔は歳を重ねるほどに人間の価値は上がったが、今は下がっている。年寄りは大事にされない。むしろ社会の癌だ。

昔は雇い主が老後に責任を持ってくれたが、今はそうではない。会社も国も労働者の老後に責任を持たない。

人は一生の大半を雇われとして過ごしていた、それが普通だったが、フリーエージェントが増える・実際増えて来た。フリーエージェントとは名ばかりで、ただ不安定な人も多い。

 

 

貧乏、とは何かというと、基本的に、

雇ってすらもらえないとか、雇われても条件が悪い人たちだ。

 

一方、中流は、

雇ってはもらえるし、

雇われる条件も悪くはないが、

金持ちではない、という人たちだ。

 

 

ほとんどの人間は、中流以下に属している。

 

 

中流以下には共通点がある。

お金に困っていること。

お金から自由ではないこと。

 

 

その理由はシンプルで、

「お金に価値はない」「お金のために働かない」「お金を働かせる」「お金は使う」

を理解していないからだ。

 

理解しないまま、歳を重ねてしまったから。

 

人生を作ってしまったから。

家族を形成してしまったから。

借金してしまった、家を買ってしまったから。

 

 

タイムリミットはどこにあるだろう?

35歳だと思う。

 

35歳も過ぎると、人は自己破壊的な変化、変革ができない。自己否定ができない。

 

世の中にはいろいろな仕事があるが、たいてい、賞味期限・消費期限は早くやってくる。たとえばスポーツ選手の旬が切れるのは早い。現役期間にたくさん稼げなかった、逃げきれなかった選手は、セカンドキャリアの壁に直面する。

一般に、サラリーマンの定年とされている年齢より、早く「不要・お払い箱」になってしまうキャリアコースは多いし、当のサラリーマンだって40代以上の転職はかなり難しくなってくる。

 

新卒の採用では、一定の学歴を基準にして、人を選別するスクリーニングが当たり前のように行われている。

中途の採用の世界では、それが年齢になる。年齢を基準にして人を一気に切る。たいていの場合は、35歳未満が欲しい。

35歳以上で欲しい人材は名が通ってるとか、突出した何かがある人だけ、、、、ということも多い。

 

もちろん、アラフォーでも容易に受け入れてくれる場所はあるが、そこは年寄りの世界。相対的にその年齢が若く見えるだけ。人手不足、不人気の世界だ。

 

 

学校教育を受け、エリート街道を歩むと、厄介なのが、

年齢フィルター

で脱落しやすいことだ。

エントリー場面では学歴フィルターで仕分けされて、その後は年齢フィルターで仕分けされるようになる。

 

 

雇われの世界はいずれ定年が待っているが、その前に、

「早い段階で不要とされる人間」

が増えてくる。

こういう人間は、マーケットで価値がないから、今の場所にしがみつくしかない。

先細りの未来しか待っていない。

そんな中で、変革もできない。

じわじわ、苦しめられていく。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。