政治トップは、中央銀行トップをクビにできないから、もし高市が首相になっても自分と同調する日銀総裁は2028年まで待たないといけない。
安倍晋三の時も、日銀総裁が白川から黒田に変わってから政策が圧倒的に加速したからね。
だから、金融政策というのは、政治の「任期」とはズレて効いてくる。
首相が変わった瞬間に景気対策や金融緩和の方向性を大きく変えられるわけじゃない。
そのために、政治家は財政政策(減税や補助金)を即効薬として使いたがる。
逆に、中央銀行総裁の任命タイミングを狙い撃ちできた政権は強い。
安倍政権が「アベノミクス」で成功体験を得られたのも、白川から黒田への交代という偶然のカレンダーが重なったから。
もし高市が本当に首相になっても、金融政策の主導権を握れるのは2028年以降。
つまり、それまでは「財政で時間を稼ぎながら待つ」しかない。
ここに、日本政治の構造的なラグ(遅れ)が潜んでいるんだ。
この「ラグ」は、単なる日本だけの事情じゃない。
アメリカでも同じで、FRB議長の任期は大統領より長く設定されている。
その理由はシンプルで、金融政策を政権の人気取りに使わせないため。
ところが現実には、大統領も首相も「次の総裁交代のタイミング」を見据えて戦略を立てている。
だから、経済政策の大枠は、政権のビジョンと同じくらい「カレンダー政治学」に縛られているんだ。
(トランプはそれに苛立ってパウエル議長にめちゃくちゃ圧力をかけている)
安倍晋三はそれを最大限に活かした。
逆に、民主党政権は白川総裁の緊縮スタンスを変えられず、景気回復のアクセルを踏み込めなかった。
つまり、首相の経済運営力は、
「何をやりたいか」よりも、
「いつ総裁が交代するか」を読めるかどうかで決まる。
2028年。
この年に誰が日本のトップにいるかで、日本経済の針路は大きく変わるはずだ。
カレンダー視点で振り返ると、日本経済の流れはかなり分かりやすく見える。
・1998年 ― 日銀法改正。政府からの独立性が強化され、以後「政治は金融政策を直接動かせない」構造に。
・2008年 ― リーマンショック。福田政権から麻生政権に移る混乱期で、日銀は思い切った緩和に踏み切れず。
・2013年 ― 黒田総裁就任。“異次元緩和”でアベノミクスが本格始動。政治と金融の歯車が完全に噛み合った瞬間。
・2023年 ― 植田総裁就任。安倍〜菅〜岸田の路線を引き継ぎつつ、緩和の出口を探る移行期へ。
こうして並べると分かるのは、
「政権の意志」よりも「総裁の任期」が日本経済の分岐点になっているということ。
だから、2028年はただの通過点じゃなく、1998年や2013年に並ぶ“歴史的な節目”になる可能性が高い。
むしろ、政権交代や首相交代は、その節目に誰が座っているかを決めるための“前哨戦”にすぎないのかもしれない。
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。