いつの時代にもいる、「憧れた相手に熱烈な手紙」を書く若い奴が大体相手にされない理由

 

いつの時代にもいる、「憧れた相手に熱烈な手紙」を書く若い奴が大体相手にされない理由

 

 

①まず、その行動をする時点で、「低スペック」率が高い。よって、関わる側にとってメリットが薄い、リスクが高い。

 

②行動力を見せつけているつもりだが、実際は行動力はない。「手紙を書く」というのは実にローコスト行動である。楽なのである。相手は死ぬほどその類のものをもらっている。ウォーレンバフェットはその手の手紙を全部ゴミ箱行きにしているという。本来、行動力を見せつけたいのであれば、もっと他のことをすべきである。

手紙を送るくらいならバイトして金を送るか、バイトして稼いだお金で相手が使えそうなものを買って送るぐらいだと本気度が伝わる。なお、Twitterでも、著名な人相手にダイレクトメッセージやリプを返しても無視されるが、

買いました!

と相手のプロダクトを買ったことを写真付きで報告して好意的なメッセージを送るなどするとリプされることがある。炎の講演家の鴨頭さんは、当初はホリエモンに馬鹿にされていたが、ホリエモンが提供している高額プロダクトにチャージして良いお客さんになって対談してからは丸く収まっている。ホリエモンも噛み付いていたSBIの北尾吉孝にロケット事業の出資をもらってからは仲良くにっこり。

(詳しくは サラリーマン予想 参照)

 

また、手紙を送って個人的に繋がろうとする行動に「インチキ臭」がする。また、自分を見出してもらえるのでは、という自惚がある。要は考えが甘いのである。こういう人間を引き受けるというリスクもある。

鞄持ちでなんでもします、無料で働きます

などというオファーがあるのならまだしも、ただの恋文は恋愛でもビジネスでも全く効果を持たない。

野村證券の営業マンが自筆で手紙を書いて送る、みたいなのは未だにあるが、彼らはそれ以外のアクションも多くあり、関係性があるから成立しているのである。

手紙は具体的なアクションと相手への貢献があって成り立つ。

 

③サザンオールスターズのように、極力ファンからの手紙に目を通し、返信用が同封されていれば返事を返すことがある、というようなミュージシャンは、ファンがファンでいてくれて課金してくれているからであり、それでも返しがあるのは例外である。若き日の平井堅も桑田佳祐の家に手紙を置いて、「コーラスでもなんでもいいから使ってください」とアプローチをしているが無視されている。

古今東西、憧れられている人に手紙を送って、その手紙をきっかけで見出された、というケースは皆無である。

バフェットがグレアムに対してその手のアプローチをして成功したのは、「優秀な学生だったから」「実績があったから」「しつこかったから」「なんでもしますとオファーしたから」「かなり若かったから」というように理由付き。

 

④想像力に欠ける。被災地に千羽鶴を送る人間と同じ匂いがする。

気持ちはこもったが利益がないものは、「重たい」どころか「邪魔」である。そもそも、それだけの労力をかけて「お気持ち表面」するくせに、なぜ本当に必要なものや金銭的なサーブがないのか。手紙に熱量がこもっているほど、

あれ、その熱量分を1ヶ月のバイトに捧げて、そのバイト代を送った方がよくね?

という疑問のギャップが生じて嘘くさいのである。もっというと、自己満臭、偽善臭がする。周りが見えない自己中心的な人間である危険がしてくる。

仮に、そういう手紙アプローチの人間と、個別に付き合うと他の人間はどうなるか、どう思うか、ということである。そういうことへの配慮も足りないのである。きっと、自分だけ贔屓される、贔屓されるのではという自惚があるのである。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。