メルマガ6

 

▶︎第0部 : 西園寺のつぶやき

 

はい、どーもー。

現在、福岡県の北九州市におります。

 

いやー、マジで自由人。

いいですよー。

想像してみてください。

 

平日の昼間からぼーっと海を眺めたり、暖かいコーヒーと共に好きな本をスタバでじっくり味わう生活!?

自由に大陸移動する感じ?

ゆらゆらと上がる湯気とか、あの匂いとか、木のぬくもりを感じる景色、心地よいソファー。

 

もちろん、こんなことはどんな仕事をしていても味わえるものですが、まぁ、心の持ちようですね。

「俺は、生きたいように生きれてるぜ」っていう心境だからこそ楽しめる日常の幸せ、みたいな。

 

そうそう。

なんでキタキューかというと、中国大陸(?)を横断して移動してきたからですね。

(言っている意味がわからない人は地図を見てください。)

 

 

バカリズムっていうお笑い芸人がいますよね。

彼のネタで、「福岡出身って言ったらすぐ『博多?』って聞くのやめろ」ってやつがあるんですよね。

 

博多と北九州市は福岡の二大都市エリアですが、この2つって結構離れてて、北九州市の方は中国大陸(山口県)寄りです。というか目と鼻の先が山口県です。

 

福岡県の人口から、博多区民の割合を算出すると、非常に少ない。

バカリズム曰く、「コンドームをつけて妊娠する確率(割合)」と、「福岡県民が博多区民である割合」がニアリーイコールらしくて、福岡県民に「博多?」って聞くのはそういうことだ、っていうネタがあるんですよ。

爆笑しました。

 

こういう現象って日本全国であります。

兵庫県民だからと言って、イコール「神戸」とは限りません。

兵庫も広いですからね。神戸はその中の一部です。

そして、神戸の奴は「兵庫」と言いません。

ドヤ顔で「神戸」って最初から言いますから。

 

あれはドヤ顔したくなる街ですよね。美しいし。

 

なので、「私、兵庫だよ!」って言ってきた人は95%の確率で神戸民ではないので(神戸なら神戸と言うから)、「神戸?」と聞き返すのはやめた方がいい。高い確率で相手の気分を害してしまいます。笑。

京都に関しても同じで、「京都らしい京都」と言えば、京都市内の中心地の方です。聞くところによると、京都民は京都民で色々大変らしく、京都だけど「京都」と名乗るのは億劫になってしまう地域があるようです。考えすぎだろ、って思うんですが、まーまーまー、京都は色々大変そうですね。

 

「関西」と一括りにするのは結構荒い見方です。

同じ関西でも、例えば奈良とか三重から京都に移住して、結構苦労している人の話とか聞きます。適合するのって結構大変らしい。全然違いますからねー、それぞれ。

いやー、めんどくせーですね。

陸続きの土地というのは面白いもので、出身は京都なんだけれどほとんど大阪に近いエリアで生まれ育ち、大阪出身を自称している人もいるし、佐賀だけどほとんど福岡に近いエリアで生まれ育ったので福岡出身を自称している人もいます。

 

東京も同じ。

東京がぜーんぶ都会と思ったら大間違いで、23区外(いわゆる都下)には田舎的なエリアも沢山あります。

私の友人が以前、東京でもだいぶ田舎の方に住んでいたことがあって、行ってみたんですが「あれ?ここ東京?」って本当に思いました。

 

北海道も、札幌みたいなところに住んでいる人と、網走とかに住んでいる人はだいぶライフスタイルが違うようです(北海道にいた時、網走から札幌に来た人と友達になって色々聞きました)。

 

日本には47都道府県あるわけですが、当たり前ですけど、それぞれの土地は広いわけです。

 

神奈川もそうですねー。

「神奈川=横浜」とは限りません。神奈川も広いです。

そして、多くの日本人に「日本第二の都市は大阪」って思われてますが、人口で言えば日本第二の都市は神奈川らしいです。「月曜から夜ふかし」っていう、都道府県対立を煽る悪どい番組(w)がありますが、いつもスタバの数で都会度を測ろうとするところで笑っちゃうのですが、確か神奈川は大阪以上だったと思います。

人口規模で言えば、日本第二の都市は神奈川。

 

そんな神奈川も、割と田舎っぽい地域があったりして、「関東」という都会のイメージとは裏腹に、素朴でいい感じな人とかも沢山います。

西園寺基準だと、「都会性と田舎性の両方をバランス良く兼ね備えている」人をクールだと思っちゃうのですが、茨城・栃木・群馬とかあの辺りの女の子は、ファッションやメイク、感覚について都会的なものを持っていながらも、田舎的な素朴な感じも兼ね備えていて、素敵だと思うことは多いです。

 

実は東京で、「なに、このトーキョーモン腹立つなぁ・・・・」と思うような人は実は超ど田舎から出てきた関東外の人間だったりする。

西園寺さんも東京いた時、変な人たくさんみましたけど、変な人ってよくよく調べたら「トーキョモン」とはちょっと違う。笑

あまりの環境変化によって、東京砂漠に呑み込まれてしまったタイプが多い。

月曜から夜ふかしで、田舎から出てきたばかりの純情な女の子が、「原宿のどこどこで●●食べたいの(ハート)」みたいなことを言っていたのに、2年ぐらいたって、「今欲しいのはハリーウィンストン」とか言っててすごいキャラチェンジしてて、面白かった。笑

 

私が見た企画モノのAVで、東京のど真ん中で、スッゲービッチなギャルに密着取材してヤらせてもらう、ってのがあったんですけど、すっごいビッチ・性悪な、いかにも「アタシ、東京リア充デスケド、ナニカ?」みたいな人がいたんですけど、出身、田舎の方なんですよね。笑

ま、これAVの話なのであまり意味ないですけど。笑

 

生まれも育ちも東京(しかも東京のど真ん中)みたいな人とかって、すっごいあの東京砂漠というか人混みの中で小さい頃から育ってきたのに、超純情な人とか結構いますから。

 

こうやって見ると、ラベル・レッテルってコワイ。

世の中には、「投資家!」とか自称してバイオプとかブックメーカーやっているだけの人とか、「DRMで稼いでます」とか言いながらやっていることは実質マルチの人とか、国内で過激な政治運動している人が実は「日本人じゃない」とか、色々難しいことがあります。

 

国民的人気漫画、ONEPIECEって本当すごいなぁって思うことがあって(昔読んでただけで詳しいことは知らないのですが)、アラバスタ編で、長い内戦が誤解・勘違いで生まれている描写があったんですよね。

なんだっけ・・・・。

ミスターボンクレーだっけ。詳しいストーリー忘れたんですけど、誰かが誰かのフリをしてなんかドンパチやって、争いの引き金を引いた・・・・みたいなのがあったような気が。

 

いやー、尾田栄一郎せんせ、やっぱり天才ですね。あの人、ファンタジーを描きながら、本質的にいつもテーマにしているのは、現実世界で問題になっていることの核心ばっかり取り上げてますから。

 

 

(やっぱ売れるものってそれなりにワケがあるんですかね。)

 

さて。

よく、「東京は都会、●●県は田舎・・・・」みたいなレッテル貼りがありますが、全国を飛び回っている西園寺からすれば、あれはちょっと疑問符がつきます。

というのは、日本全国、どこでも「高級住宅街」とか「富裕層エリア」とか「都会的なエリア」「中心地」ってあるんですよ。で、どこの都道府県でも、中心に行けばそれなりに栄えているんですね。そういう意味ではどこも同じ。

 

だから、居住論としては、問題は、「●●県に行けば都会ライフが過ごせる」ではなくて、「●●県」の中のどのエリアに住めるか?だったりします。固定的に居住するなら、ね。

「都会」とされている県で「田舎エリア」に住み、田舎っぽい生活をしている場合もありますし、

「田舎」とされている県で「都会エリア」に住み、都会っぽい生活をしている場合もあると思います。

 

これは海外移住議論でも全く同じで、「国」をテーマにして語るのはナンセンスと言われており、「街」をテーマにして語るべきだ、と。

海外の場合、同一の国の中でも、街の違いで何もかも変わってくるなんてザラです。

 

私は物理的拘束から解放されているのでいろんなところに行くのですが、世の中の人の話を聞くと、結構ドメスティックな生き方をしているようです。

本当に目と鼻の先なのに、「あそこは行ったことない」みたいな人とかすごい多い。意外と、自分の身の周りとかすぐに行ける範囲のことについて知らないって人が多いんですね。

別にそれは悪いことではないと思います。でも、考えてみたら誰でもそうですが、人が一生のうちで経験できる仕事、業界、それから出会える人や深い関係を持てる人、ちゃんと勉強できること、行ける場所・住める場所ってマジで限られている。

世界は広い。しかもその世界は常に変化している。

私たちは何も知らない。知っているフリ・知っている気になっているだけ。

 

仕事に関しても同じでしょう。

 

こうやって考えると、国家とか「都道府県」とか、世間とかって何なのか、と思ってしまいます。

国家とか都道府県とか世間って、あまりにも範囲がでかすぎる。

 

普通の生活をしていれば、人の居住範囲とか生活範囲って限られているはず。

朝顔を合わせる家族、会社で出会う人、駅で挨拶するキオスクの店員、帰りに寄るコンビニの店員・・・・・・・・・。

人が感じている「世間」とか「社会」ってその程度でしょう。

 

人って、世間とか社会みたいな、壮大なテーマを前にすると、なんかすごい変な感覚になってしまうフシがあると思うんですね。

 

例えば、日本の内閣総理大臣とかって、一市民の感覚からすれば、何か「大きなモノ」じゃないですか。

 

でも、街頭演説とか見に行ってみてください。

選挙前とかになると、大物も地方とかまわるでしょ。

いつもテレビで見ているようなもの、教科書で学んできたようなもの、それが、実際に目の前に「ある感じ」を味わってみてください。

 

日本の大物政治家とか、実際の街頭演説とかで見ると、なんというか、「うーん、しょぼい」と思ってしまう。

(内閣総理大臣とか、実際に見てみるとフツーのオッさんです。)

 

私だけですかね、こーゆー感覚。

でも、これきっと、「社会」とか「世間」みたいなものを、頭の中で勝手に、イメージを膨らませているからだと思うんですよね。

 

こうやって考えると、国家とか戦争とかも何なのかな、って。

 

地図の上から世界を見ていたり、教科書ばっかり読んでいると頭がバカになります。

実際に足を運んで、その地域の人たちと接してみたりすると、自分が頭の中で膨らませていたイメージとは違って、実際は良い意味で「小さかったり」する。

 

そして、私から言わせると、人が「大きく思っている」対象の代表は、「金」です。

金を漠然と大きなものだと思っている人が、すごい多い。

 

はい、何が言いたのかわかりませんね。

特に言いたいことはないんですが。

 

では、今日も張り切って参りましょー。

 

 

 

 

▶︎第1部 : お金について

 

はい。

前回は、DRMの話をしましたね。

 

<1>集客
<2>教育
<3>販売

 

のフォーマットに沿って営業をかけるんだよ、というお話。

そして、

  • おもしろくない
  • ありきたり
  • 受け手にメリットがない

の3つが非モテ3原則である、というお話でした。

 

で、このDRMなんですが、実行するにあたって、簡単ではありません。

しかし、難しすぎるものでもないんですね。

 

それなりに実践しながら学習する必要がある。

 

学習には、

<1>無意識の無能 (わかってないし、わかってないこともわからない)
<2>意識の無能 (わかること、わからないことがわかる)
<3>意識の有能 (わかる・できるけど、意識の集中が必要)
<4>無意識の有能 (無意識・感覚的にできる)
<5>卓越 (もはや美しい。効果的、機能的であるだけでなく美しい。)

の5段階あると言われています。

 

意識の有能に至るには1000時間かかるそうです。

無意識の有能は5000時間、卓越は25000時間です。

(東大入学や会計士・司法書士合格が3000時間かかると言われています)

このショートカットをするためには、良い教師、良い教材、加速学習の機会のために投資をすることですね。

 

世の中って結構「ドン引きするぐらい」頭が悪い人って結構いるんですが、

  • 誰でもできる、簡単にできる
  • 稼げる

この2つが両立することはまずありません。あり得ない。

「誰にでもできる・簡単にできる」と「稼げる」が両立されると考えている人は世の中に結構たくさんいます。

 

ヤバイですよね、そういう人たち。

 

基本的に、世の中で「稼げる」とされている稼ぎ方、仕事はぜーんぶ難しいです。誰にでもできることじゃないです。すごい競争率があるし、地頭を求められます。勉強や先行投資を求められます。これは、常識としてわかりますよね?西園寺レベルの脳みそでは理解できないようなビジネスモデル、稼ぎ方を完成させてそれで飯を食っている人も世の中にはいると思います。世の中には、本当に超頭が良い人っているんですよね。超頭が良い人が思いつく、新規性あるビジネスモデルってのが世の中には存在する。まぁ、そういう人が世界を変える起業をしてたりするんですけどね。

 

でも、そういうことにチャレンジするのってなかなか大変です。

億劫です。というか難しい。

(すでに説明しましたよね、その話)

 

 

かと言って、「超簡単!」って言われている稼ぎ方、稼げる仕事、こういうものは大体嘘か、一時的か、なんかワケありか・・・・って感じです。

わかりますよね。

 

で、「営業」はどうなのか。

 

これって、「難しい」と「難しくない」の中間なんですね。

そもそも、総合芸術なので。というか、アートとサイエンスの中間と言えます。

 

スタート自体は誰でもできる。

 

しかも、専門家とか資格世界の領域って、口が臭い偉そうなおっさんが「あーじゃない、こーじゃない」と上から目線であれこれ言ってきますよね。どこの世界にもそーゆー面倒臭い先輩というか縦社会ってあるんです。よそ者や新参者に対する風当たりというか。

でも、営業、DRMという総合芸術にはそういうものはありません。

よそ者を平気で受け入れるし、結果さえ出せばどうにでもなるし、一人で独立してやってれば面倒臭いしがらみもありません。

 

自由にやればいい。

 

で、営業に関してはセンスみたいなところが大きいとされてますが、「DRM(ダイレクト・レスポンス・マーケティング)」は人間の心理に沿ったフォーマットなので、これに沿ってビジネスを構築すると、非常に売りやすいです。

ここは若干、サイエンス寄りな話だと思ってください。ある程度、歴史的に証明された成功する営業フォーマットなのです(後述しますが数値で計測できるのがミソです)。

 

もちろん、

・面白さ
・創造性
・メリット提供

の3つは外してはいけませんよ。

この3つがないのなら、まず成功しないでしょう。

 

世界でもっとも成功したと言われている投資家、ウォーレンバフェットが「私の投資法は、理解できる人はすぐ理解できる一方で、理解できない人は一生理解できない傾向にある」と言っていました。

実は、DRMについても全く同じ。

これの凄さがわかる人は「すぐ」に気づきます。

気づかない人は一生気づきません。説明されてもピンとこない。

(わかる人は営業経験がある人が多い)

 

なので、ここらで一つ、試金石だと思ってください。

 

向いていないことはやらない方が良いです。

繰り返しますが、私は、

  • 集客の自動化
  • 教育の自動化
  • 販売の自動化

というのを、統合的に完成させられるような技術・能力を磨いてきて、それを実行しているから時給が上がり、あまり働かないで良くなった、という人生です。もちろん、これに加えて広範囲のビジネスの素養も鍛えて、経験も積んできました。

(そして、なぜ営業というものに活路を見出したかについてはすでに説明しましたよね)

 

バフェットはこう言っています。

「幸いにも、お金の天国へアクセスする方法はたくさん存在する」と。

 

私もそう思います。

なので、「あー、俺には向いてないなー」って思う人は、私のメルマガを読むのを今すぐにやめた方が良いと思います。

 

では、説明します。

営業職を経験したことがある人、営業っぽいことをやったことがある人、ナンパしたことがある人はわかると思いますが、

ーーーーーーーー

見込みがない人に手当たり次第

営業をかけることほど辛いことはない

ーーーーーーーー

ってのは同意頂けると思います。

 

そこで、DRMではまず最初のファーストステップとして、

ーーーーーーーー

見込みがある人を特定する

ーーーーーーーー

ことからはじめます。

 

これを、「リスト化」とか「リストを集める」とか言います。

 

アメリカの広告業界のとある重鎮(もう死んじゃったんですが)が、セミナーで面白いことを言っていたんですよね(彼もDRMで成果出したすごい人だったんですが)。

ーーーーーーーーー

「Let’s presume we’re going to go into the restaurant business and each one of us can choose the one advantage we could have over everyone else. We’re going to go into Los Angels and you get to pick the first advantage before I do. What are you going to pick!?」

ーーーーーーーーー

訳すると、「ロスでレストランを開業するとしたら、あなたはどんな利点を選びますか?」ってことです。

で、セミナーの参加者は、各々いろんなことを言った。

 

さぁ。

あなただったらどう答える?

腕利きのシェフ?

豪華な内装?

可愛いギャル店員?

 

重鎮は、こう答えたんです。

ーーーーーーーーーー

Fine. Now let me tell you the one factor I want.

I want a starving crowd.

ーーーーーーーーーー

 

私なら、飢えた群れが欲しい、って言ったんですよ。

まぁ、要するに「客の集団、しかも飢えた人たち」が欲しいと言ったわけです。

 

「売るものの利点」よりも、

「売り先が欲しい」という視点でもありますね。

 

いやー、その通りですよ。

今晩、セックスしたいってとき、

  • イケメンになる
  • 今晩寂しくて死にそうで、「一緒に寝てくれる人」を探している女子を特定する

のどっちがセックスできそうですか、って考えたら一目瞭然です。

 

営業の経験をしたことがある人や、

ナンパに励んだことがある人はわかるはずです。

 

売れない相手には売れません。無理。

もちろん、無理矢理というか、多少強引に売ることはできるかもしれません。

でも、それはすごく疲弊するでしょう。

 

無駄な手間暇がかかる。

 

これ、前も話しましたよね。

 

スタバに行かない人は行かないんです。

Apple製品買わない人は買わない。

こういう人たちに、どれだけ利点の訴求をしても辛いと言えば辛いのです。

 

だったら、最初から見込みがある人を相手にした方が良い。

 

だから、DRMでは最初に、

  • リスト化
  • リストを集める

にこだわるのです。

 

で、これは何も全く新しい概念ではありません。

異性を口説く時、大方の男の人は、「おっ、この子、もしかしたら後々、いい感じになれるかも?」って思った女性とは連絡先を交換しませんか。

これ、リスト化ですね。リストを集めてますね。

 

某大手化粧品会社が、「無料お試しセットの請求はコチラ・・・」という感じでテレビCMを放映していますが、あれも見込み客集めのために行われている行為です。無料お試しセットの請求の際に入力した住所情報。これは、販売者側からしたら「売り先の特定」「リスト化」につながっているはずです。

 

Facebook、google、Amazonなど代表的なWebサービスも、必ずメールアドレスを請求してくるはずです。そして、そのメールアドレスに対して常に情報の提供なりを行ってくるでしょう。

 

金曜の夜に、セックスしたい男がクラブに足を運ぶのも、DRM的発想といえばそうです。「酔ってる」「テンション上がってる」「深夜に遊んでる」「終電終わってる」という条件が揃っている女が集まる場は、お持ち帰りできる確率が高いだろう・・・・・と考えるのも、まさに、

ーーーーーーーーーー

Fine. Now let me tell you the one factor I want.

I want a starving crowd.

ーーーーーーーーーー

という考え方に近い。

 

セールス、営業というと、一生懸命頭を下げて売り込んで、文句言われたり疲弊しながらようやく買ってもらう・・・・・・・というイメージを持っている人は多いです。あちこちお宅訪問して、玄関先で変な顔されまくるイメージとか。

ああいうのは「ダメな営業」です。

 

資格がない、見込みがない、興味がない人に売り込みかけても無駄です。

 

そして、

資格がある、見込みがある、興味がある人を見つけたら、

すぐに売り込みをかけるのではなくて、まずは「リスト化」するのです。

 

見込みがある人たちに付箋を貼っていく感じ。

そして連絡チャネルを開拓する感じ。

 

リスト化するということは、後のリレーションシップにつながります。

次の展開があるのです。

 

では、次の展開とは何でしょうか。

これは、「接点を増やす」「コンタクトを増やす」「価値を提供する」というプロセスです。

要するに、顔なじみになる、仲良しになる、お近づきになるプロセスです。

自分自身や自分の商品についてさりげなくアピールしていくアピールチャンスでもありますね。

 

考えてみてください。

 

いきなり、街で知らない女の子に声をかけて、

ーーーーーーーーーーー

「やっ!おはよー!はじめまして!ところでいきなりだけどエッチしない!」

ーーーーーーーーーーー

って声かけたらヤバくないですか。

 

ーーーーーーーーーーー

「オッケー!いいよ!一緒にサクッと汗流そ!」

ーーーーーーーーーーー

とか笑顔でソッコー返事してくる女の子いたら、
もう、それもそれで、逆に怖いでしょ。

(いや、それはもはや天使か!?)

ね。

 

人と人との関係、というのをよく考えてみてください。

 

順番が必要なんです。

時間が必要なんです。

互いの情報が必要なんです。

体験の共有が必要なんです。

信頼の構築が必要なんです。

相性の確認が必要なんです。

お互いのメリットが必要なんです。

 

とりあえず、見込みがありそうな人、資格を備えてそうな人を見つけてくる。

そして、次の展開につながるような手はずを整える。

そういうこと。

 

相手のためになることをしたり、

時間を共有したり、

情報を与えあったり、

気が合ったり、

話が合ったり、

相手の問題解決や価値につながるようなことの手伝いをしてあげれば、

 

そのうち、

「この人とは取引しても良いかも」

って思ってくれる人が一定数現れてくるようになってきます。

 

ここにきてはじめて、セールスをかけるわけです。

重要なのは、このセールスというのは、

かける時にはしっかりかけないと取引に至りません。

 

女の子とチョメチョメに至る場合も同じです。

ここぞという場面、タイミングで、押せない男は幻滅されます。

私の知り合いの女性が昔、こんなことを言っていました。

 

ーーーーーーーーーー

ホテルまで一緒に行ったのに、

何もされなくて逆に傷ついたことがある。

ーーーーーーーーーー

 

ウヘー。

 

なんか・・・・世の中には、

ホテルまで一緒に行っても何もしない・できない人っているらしいですよ。

ちょっとよくわかんないけど。

 

まとめますね。

 

<1>集客する → リスト化、リストを集める
<2>教育する → リストと関係性を構築し、仲良しになる、魅力を伝える
<3>販売する → リストに販売する

こんな感じ。

 

で、やばいのは、このフォーマットに「数値計測・管理」の概念を持ち込んで、常にテスト・フィードバック(PDCA)を繰り返すということです。

これにより、営業に科学性を持ち込むことができるということです。

とりあえず、雑にでも良いので、「DRMモデルに沿った営業体系」をサクッと導入すれば、あとはテストを続けていけばいい。

各パーツでそれぞれ数値計測・管理を行っていけば、改善策の方向性も見えます。

 

そして全体のパフォーマンスを管理していく。

 

ちなみに、このDRMというフォーマットを使えば、どれだけ稼げるようになるのか、実際にどれだけ稼げた事例があるのか・・・・

みたいな刺激的な話はいくらでもできますが、しないでおこうと思います。

どうせ、そういう話に「だけ」そそられる人は、DRMを使いこなせないであろうから、です。

 

ただ、あまり扇動的にならないような事例をご紹介します。

アメリカ・カリフォルニアのコピー機会社に勤めていた営業マンがいたのですが、彼の営業地区は南カリフォルニアで、片っ端から営業をかけるというかなり効率の悪いやり方をしていたそうです。

しかし、そのやり方をやめ、DRMを導入。

まず彼が考えたのは、「見込みがある・資格がある客」の特定。

この営業マンは、他の業種よりも高い購入確率がある業種を特定して、そのリスト化に力を入れたんですね。

そして、

<1>集客
<2>教育
<3>販売

のフォーマットに沿って営業を行うようになった。

もちろん、テストの結果、やり方を微調整することも続けたようです。

 

結果どうなったか。

勤務時間が半分になって給料が3倍になったそうです。

 

やばいですね。

 

この話を聞いて、

ーーーーーーー

「あれ、これちょっとやばいかも・・・・」

ーーーーーーー

ってゾクゾクしはじめている人は、相当センス良いと思います。

 

マーケティングって面白いですよ。

人間心理って面白いものです。

 

まぁまぁ、そんな感じ。

 

今日はここまでにしておきましょう。

 

先ほど、youtubeでTWICEの「TT」という曲を聞いていました。

この曲が流行ってるぜ、このグループが流行ってるぜ、みたいな感じで一時期、ガンガン流されてました、この曲。あちこちでね。

 

 

その時、一応チェックしたんですが、

「別に可愛くもなんともないなー・・・・」

って思ってました。

 

ところが。

 

今、ちょっと「やばい!可愛いかも!!」ってなってしまっている。笑。

ナヨンちゃんいいですね、ナヨンちゃん。

 

最初、「ん?」って思ってたものを後々好きになるとか、買っちゃうとか、それが人間心理ってやつですよ。

 

心の動きってフシギです。

 

 

 

▶︎第2部 : 世界について

 

人間というのは、本当に嘘つきです。自分に対して・・・・。

 

「お金が欲しい」って思っている人は多いわけですが、絶対、それって嘘です。

私は嘘だと思う。資本主義社会では、すべてのものが商品化するので、確かにお金で買えないものは少なくなります。よって、「お金があればすべてのものが手に入る」と錯覚するわけです。

しかし、よーく冷静に考えていけばわかることがあります。お金で手に入るものには限界があるのです。所詮、お金は交換券でしかないから。お金では商品化されたものしか手に入りません。

 

例えば、多くの人が夢想する、「金持ちになったら女にモテる」ってのがありますが、金で女の子を釣って幸せなのでしょうか。いや、まぁ、面白いことには面白いと思いますよ。そーゆーので、なびく女をホイホイと釣って楽しむ、遊ぶみたいな。でも、すぐ飽きると思う。

これは、これまでの人生経験や人と接してきて確認済みですが、お金を持って異性にモテる場合というのは、純粋に金で人を釣っている場合と、そうじゃない場合があります。

後者の場合、お金を得ることで手にした自信とか、何かへの姿勢とか、知性とか、それまでのプロセス・ストーリーとそこに対する尊敬とか、そういうのがあってモテているだけです。

 

男性だって、胸・脚・顔などわかりやすいものにつられて興味を持った女の子に対し、すぐ興味を失ったり、特に興味がなかった女の子に惹かれていったりとか、そーゆーことはあるでしょう。「あの子かわいい!」と思っても、実は外見というよりもキャラクターが可愛いとか。

 

「世の中、顔と金」と言っている人とかいますが、それは確かに一理あると言えばあるのですが、私としては本質は実は違うように映ります。

 

本当にそう思う。顔も金も結構飽きるし。

私も「顔と金だー」って言っている時代・モテなかった時代あったけど、よく考えてみると別の理由でそうなってたよーなって気はします。

たぶん、「顔と金だー」って言うことで、世の中はそういうパラダイムであると自分に対して噓をつき、その両方を持っていない自分とモテてない状況を自分の中で解釈・説明しようとしている。

 

10代とか20代前半でそういうことを言っている人は多いですが、歳をとってくるとそういうことを言っている人はグッと少なくなります。

 

もちろん、顔と金は確かに強いですけどね。

ただ・・・なんだろう、これはあくまで、一つの華というか、お膳立てポイントというか、要素に過ぎないと思います。

 

「お金」と「モテ」を交換する場所として代表的な場所が水商売の世界や風俗の世界です。私は何度も行った経験があるのですが、相手から連絡先を聞かれたり誘われたことが何度かあります。

で、実際外で会って、奢ってもらったことは結構あります。もちろん、お金は出してもいいし・・・・・・・、ってか出そうとするんですけど、割り勘にされたり。

個人的に、ああいう店に行って「金目当てで接客されてるなー」って感じたことはそんなにありません。それは、私が「おらー、客だぁ」って姿勢で行かないし、ふつーに人と人という感じで接しているし、出すときは出すし、金に執着してないから、です。行っているときはエンタメとして楽しんでるし。割り切れるから面白い、ってのもあるし。

そもそも、彼女たちも売れっ子の場合はなかなかの高所得者であったりするので、そんなに金に執着してなかったりします。

 

というかむしろ、ああいう店は行っている側・通っている側が、「商品化された疑似恋愛」などを積極的に求めたり、買ったりしているフシがあります。

そもそも、ああいうお店に行くことに対して、「金でチヤホヤされることを買って楽しいの?」とか「金でエッチして楽しいの?」って聞く人がいますが、・・・・・・・・・・・それが、実は面白かったりする。

 

あまりお金が無かったり、経験が無かったりすると、「金で異性との時間を買うなんてプライドが許さない!負け組だ!」とか、「風俗に行くとか終わってる!逃げてる!」って言ってくる人がいたりします。

でも、行っている当人は全く違う理由・動機で行っているもの。

これは女性がホストに行く場合も同じだと思われます。

 

まず、そもそも論ですが、「好き」と思った相手を「=彼女にしたい」とか、「=いつも一緒にいたい」と思うとは限りません。好きにはいろんな方向性・タイプがあります。

適切な例かわかりませんが、1ヶ月に1回食べれれば良いものと、毎日食べたいものって違ったりしますよね。でも、その両方とも「好き」という気持ちとしては確かに存在するものだったりする。確かに存在する感情だったりする。

コーラが飲みたい日もあれば、お茶が飲みたい日もある・・・・。

こういう話をすると、「最低!!」という意見が飛んでくる場合もありますが、そうやって言ってくる人に限って「誰かを好きになるということはこういう形であるべき」という思い込みで縛られていて、実際のところは「恋している状態に恋している」とか、「人目や体裁、風潮に従った結果、誰かを好きになったつもりでいる」とか、社会的に教育・学習させられたものに素直に呼応しているだけ、だったりします(結婚に関しては、結構親から刷り込まれたり、周りから圧力かけられるものだしね。)。

 

こういう人、聞くと交際遍歴(元カレ、元カノがやたら多い)はだいぶ華やかだったりする。

そこで、シンプルにこんな疑問が湧くわけです。

 

「一生のうちに、そんなに人を好きになる気持ちって乱発できるの?」

 

「結婚」という将来に据えた、わかりやすい成果目標のために、「若いうちにたくさん経験を積んでおかなきゃ」という感覚で、彼氏・彼女を意図的に獲得しようとする好意は、純粋好意というよりはもはや恋愛ゲームのフシがあります。

 

恋は間食をするな、という某有名人の名言があります。

食事は、間食をすると、本来の食事が美味しく感じられなかったり、空腹や本当に食べたいものがわからなくなります。

これになぞらえて、某有名人が、「人を本当に好きになりたければ、間食はするな」と言っていました。

 

名言です。

 

確か、以前も私の友人の発言を紹介しました。

「彼女が欲しければ動くしかないが、好きな人が欲しければ待つしかない」ってやつ。

 

もちろん、誰かを好きになるという行為はある種のロイヤリティや誠実さを示す行為でもあって、「好きと言うから好きになる、好きと思うから好きになる、コミットするから好きになる」という面はあるでしょう。世の中の人は、恋愛をある種の「成果」「ゲーム」のように捉えているフシがあって、半ば外圧的に駆り立てられ、そこに積極的に興じるからこそ、本当に誰かのことを好きになったりする(それは愛着に近いでしょうけどね)・・・・という、直感に反する「逆因果」だって存在すると思います。

私もはじめての恋愛やはじめてのセックスは、「周りがしているから」というのにだいぶ影響を受けたような感触は、記憶に残っています。

こうやって考えると、純粋意志としての他人への好意は存在するのか・・・・とちょっと疑問に思うフシもあります。

 

「よそ見をせずに一途に一人に向き合い続ける」ということが「誰かを好きになる」ということ、そうやって誰か一人と絞れている自分とその相手がいることが幸せに感じる・・・・・とかそういうのがあるのもわかります。

そして、そのような状態にある人はとても幸せ、と言えるでしょう。

 

しかし、この世界は、「人間がもともと持っていて自然に発露する欲望・願望」以上に、「学習させられた、教育させられた、埋め込まれた欲望・願望」なども多々存在しています。

好きになる、という気持ちは仮に自然であったとしても、「結婚したい」という気持ちは明らかに社会的学習による(欲求)産物の結果です。

お金に関しても同じです。お金が欲しいというのは本当は自然な欲望・願望ではなくて学習させられたものです。

 

私はオスです。

男です。

 

そして、生物学的には明らかに、オスは浮気性です。

恋愛感情というものが本能の延長線上にあるとしたら、フラつくのはある意味素直な好意であり、素直な好意です。

 

これを超越して、誰かに特定排他的に専念するというのは、本能とは超越したある種の理性的・人間的好意であって、契約の概念に近いと感じます。

すなわち、信頼です。

 

なので、交際や結婚などのように、拘束性のある関係性において中核を占めるのは純粋な恋愛感情というよりは、信頼感の互恵関係というか、マズロー欲求説で言うところの「所属・承認」のところをくすぐるものに近いと感じます。そしてこれは、ある意味でパートナーを利用した自己重要感やエフィカシーの充足行為に軸足が置かれているような感じがするのです。

実際、「女性がなぜ結婚したがるのか」という点について割とロジカルに述べた言説はたくさんあって、一説には、長らくの間女性は、結婚をして「●●の旦那さん」「●●家の奥さん」という社会的なラベルを与えられ、それではじめて社会的に承認される・居場所が見つかるような心理状況下にあった、というのをどっかで聞きました。

これだと、女性の社会進出が増えるにつれて結婚率が下がっていったことにもある程度説明がつきます。

 

ほー、と思いました。

確かに、結婚したがっている女子の話を聞いていると、特定の誰かに対して気持ちが向いているというよりも、本当は別の何かを求めていて、それは居場所とか安心感とか「承認への安堵」に近いなー・・・・・とずっと思っていた個人的観察の推測結果と合致するものがありました。

もちろん、断定しているわけではありませんし、なんとなくそういう見方もできる・そういう感覚を持ったことがある、ということをつらつらと喋っているだけです。

普段からそんな面倒臭いことを思っているわけではないです。

 

私が言いたいのは、すなわち、「本当に欲しいものは何か?」という話です。

 

私は「職業:マーケティング」なので、実際の現場で「ドリルと穴の違い」ってものを痛感させられることが、これまでに散々ありました。なので、どうしてもそういうことを考えてしまう。

 

そこらへんを多少なり掘り下げる考えを持っていると、

自分の満足の追求であったり、

セールス・マーケティングで成果を得ることに何か役立つ気づきが得られるかもしれない。

 

人の購買行動って、各々の事情があり、外部からはわからない心理の動きがあるものです。

そしてだからこそ、金を使わない人間は「売れない(稼げない)」わけですが、世の中の商売と、それに付随する人間の心理というのは実に多様です。

そして見かけと実際は違ったりする。

 

スティーブ・ジョブズが、生前、「(見かけは同じに見えるかもしれないが、マイクロソフトに対して)うちの売り物はカテゴリーが違う」って言ってました。

まさに、そんな感じの話。

 

実際、世界を見渡せば、人のお金の使い道って謎に思えたり、「なんでそれにハマってんの?」って思うことは多々あると思います。

これは、実際に体験してないからでもあるし、人それぞれ欲求のレベルや態様、方向性が違うからでもあるし、人の感性や感覚がそれぞれだからです。

 

人間心理って不思議ですね。

 

お金を何かと交換していくということをやっていけば、必ず、まず「飽き」が来ます。例えば、小学生の頃は「1万円あればなぁ・・・」と誰もが夢想するわけですが、大人になって1万円を手にしたら・・・・どうでしょう。大したことがないと思いませんか。

実はそのサイクルはずーっと続きます。「さらに、さらに」っていうサイクルは留まるところを知りません。そして、続けていったところで、結局、本当に欲しているものはお金じゃなかったと気づく。というか、本当の幸せはお金以外の領域にあったと気づく。そもそもそれは、「お金」の額面の問題ではないことに気付きます。

まぁ、当たり前なんですけどね。

ただの交換券でしかない訳で、それなりに成功した人たちが「お金を稼いで何がしたいの?」っていうのを繰り返すのには理由がある訳です。

もっと言えば、お金を稼げる人というのは「稼ぐ」という結果ではなくて「プロセス」に没頭したり、稼いだ先があったから稼げた訳で、そこらへんの悟りというか気付きを「お金がない状態」で得られる人は本当に少ないです。

世の中でビッグビジネスを成功させ、ビッグマネーをつかんでいる本物の成功者は、最初から一貫して追いかけているものが一緒のような気がします。

 

というか、お金が「無かった状態」から、「有る状態」に移行できた人は、本人は自覚的・無自覚にせよ、スイッチが切り替わったからそうなれたのです。つまり、「お金を稼ぐ」という「結果だけ」に固執する状態から、どこかで「生まれ変わった」から稼げるようになった。

スポーツ選手とかはわかりやすい例だと思います。「成功して稼ぐぞ」っていう気持ちだけでプロまで登り詰められる人っていますか。いないでしょ、きっと。

たまに、「スポーツはビジネス目的です」って公言する人いるけど(新庄さんみたいに)、あれ、聞こえが良いから言っているだけで絶対嘘。そんな、金目当てだけで続けられるもんじゃない。

何事も、多少なりプロセスを愛せるとか、プロセスに適性があって面白く感じるとか、そういうものを超越した何かを追いかけていた、本当は違うものを追っていた・・・とか、そうじゃないと無理だって。

純粋な金目当てほど弱いモチベはない、絶対。

逆に、金目当てだけな人は「稼いで何がしたいの?」って感じでしょ。繰り返しますが金は交換券です。それを得て、その先どうすんの?っていう話です。金というのは汎用性があり過ぎて、使い道がいくらでも考えられるからこそ、人はお金に「万能・完全」の概念を見出す。

人が何かに対して「万能・完全」を見出すとき、その対象は「神」と化し、それを崇める気持ちはもはや「信仰」です。

お金は宗教です。

 

でも、そうなると、もはやお金の存在が大きくなり過ぎて、シンプルに物事を捉えられなくなってくる。

お金はただの交換券でしかない。

これを手にいれて、一体何と交換したいのか、という原点に立ち返らない限り、本当に欲しいものは見えてこない。

 

ゆえに幸せも掴めない。

 

「何を欲しているのかがわからないまま、その欲しているものを追いかけている」という状態はおかしいです。

達成できるはずがありません。

 

欲しいと思っているものが手に入らないという場合、それは「本当はそれが欲しくない」んだと私は思います。

何が欲しいのかがある程度でも見えない限り、人は本気で金を追いかけることはできないんだと思う。

 

稼いでいる人は絶対、「稼ぐ」っていう結果に固執するのとは別のところに何かを見出していると思います。

稼ぐ行為自体が楽しい、そのキャリアが楽しい、達成感がある、稼げる自分が好き・・・・なんでもいいですが。

純粋に「稼ぐ結果」だけに固執して何かをやれている人は、ある意味で、純粋な数字追求マシーンになれるでしょうが、そういうことができる人は、悪いことをしていると自覚してやっている人だけだと思います。例えば、詐欺師の場合、稼ぐ行為が楽しいとか、キャリアが楽しいとか、達成感があるとか、そういう自分が好きという気持ちは持てないでしょう。そんなことは思えないはずです。

純粋に数字しか見えないはずです。

もちろん、これは仕事を好きになれとか、好きな仕事をやれ論とは少し違います。純粋に好きなことを仕事にしてしまうと、それが好きではなくなってしまう可能性がある。言うならば、人が何かを好きになるというのは、

  • 消費型の好き
  • 生産型の好き

の両方があり、おそらく純粋な「好き」とは消費型の好きです。消費型というのは自己完結型であり、自分の気持ちを押し殺したり、他者の需要や感覚を満たすことを意識することなく、心の奥にあるものをじっくりと味わえる好き、です。人から評価されなくても楽しめる「好き」、と言い換えても良いでしょう。その筆頭は趣味です。

生産型の好きには、他者からの評価が付きまといます。他者需要への意識が常につきまといます。奉仕行為自体やそのプロセスが好きというのはもちろん、他者の需要を掘り当てた喜びや興奮、他人の感情的充足や欲求充足を通して触発的に得られる興奮、社会的評価による興奮・・・・など、消費型のものとは、ちょっと性質が違うものです。

 

消費型が湧き上がる喜びだとすれば、

生産型は当てる喜び・適合する喜びに近いでしょうか。

スーパースターはこの2つが重なっていたりするのです。

スーパースターでなくても、多少なりこの2つが重なっている人も成功してたりする。

 

もちろん、完全にこの2つを切り離せる人は、それはそれで良いでしょう。

しかし、生産について、そこに全く喜びを感じないまま続けることはできるのでしょうか。数字だけに固執して何かをやれるのでしょうか。人間ってそんな、簡単に自分をモチベートできるんですかね。金だけで頑張れるものなのか。

数字に固執している人も、プロセスの何かを愛していたりするものですが、本当に純粋に「稼ぐだけ・金だけ」にフォーカスして何かをやれるって・・・・無理じゃないですかね。

うーん、何が言いたいのかわかんなくなってきましたね。

私の感覚というか、経験をつらつら喋っているだけですが。

 

人間って結構、自分で自分のことわかってないし、世界のことについてもわかってません。

 

「あなたはなんでスタバが好きなんですか?」と聞かれて、

 

「フラペチーノ好きだから」

「雰囲気が好きだから」

 

とか答えておきながらも、実際は全く違った動機で行っていて、その動機に無自覚だったりするのが人間です。

これはマーケティングの実に深いお話でもあります。

 

 

▶︎第3部 : 人生について

 

今日は、「横浜の女はSK-IIを使ってて調子乗ってる」という話をします。

 

海外に留学に行っている、とある知人(S子としましょう)がこんなことを言っていました。

「こっち来て、人の目とかどうでも良くなった。マジで日本は疲れんねん。横浜の意識高い女はだるいで?SK-IIとか使ってな!!大変や、そんな中で生きんの!!あいつら調子乗ってんねん!!(笑)」

 

某メッセージアプリに届いた文章。

 

爆笑しました。

「SK-II」に笑いました。

 

アレ、高いそうですね。

 

その子、おっさんみたいな女の子なんですけど、

何の脈略もなく、「横浜女子、SK-II使ってて、調子乗っている」という

非論理的な結びつきをレトリックに日本社会をdisるサマ、

意味不明すぎた。

 

まぁまぁ、その後、「彼女が住んでいたところで繋がった女子たちのマウンティングの酷さに対する愚痴」を延々と聞かされたので、言いたいことはとてもよくわかったけど。

 

彼女がまだ日本にいた時、こんな会話をしたこともあります。

 

ーーーーー

西園寺:「いろんな自己投資をして来たけど、そろそろお肌にも自己投資した方がいいと思ってる、だから良いやつ教えて」

S子:「(爆笑)」

 

西園寺:「なに(笑)」

S子:「あんた、アタシより意識高いわwww」

 

西園寺:「笑わないで」

S子:「そもそもねぇ、そういうのは遅くともハタチぐらいからちゃんとやっとかないと遅いよ!?はっきり言って」

 

西園寺:「なんと!!美の道は厳しいですね!!先生!!」

S子:「そうよ。舐めちゃあかん。女の子がどれだけ、早い頃から気を使い、お金と労力をかけてると思っているの!!」

 

西園寺:「そっかー・・・・。我々男性は、日本女性に感謝しないといけないですね。いつも目の保養になってます、ごちそうさまです、って。」

S子:「ほんと。それ。」

 

西園寺:「今から、美の道、精進します!!」

S子:「わかった 笑 ・・・・・どんなのが良いの?」

 

西園寺:「薬局とかでテキトーに買えそうなやつでぇ〜」

S子:「うんうん」

 

西園寺:「ほら、俺って繊細かつ敏感な男の子じゃん?すごいアーティスティックっていうか、ガラスのような芸術系男子?そんな感じ?・・・・・で、お肌もきっとそうなのよね!??・・・・・だから繊細で敏感なお肌に合う、俺様にぴったりのブランドがいいよね〜」

S子:「はいはい」

 

西園寺:「なに、はいはいって」

S子:「いや、おもんないなぁ、って思って」

 

西園寺:「嘘!?おもんない!?」

S子:「ほんと」

 

西園寺:「・・・・傷ついた。もう西野カナ聴きながら一人で散歩する。」

S子:「(笑)(笑)(笑) マジ、ガラスwwwwwwwww」

 

西園寺:「早く教えて」

S子:「うーん・・・じゃあ、・・・・敏感肌だったらぁ・・・・NOV(ノブ)がいいんじゃない」

 

西園寺:「なに、その地元の幼馴染みたいな名前は」

S子:「もういいから、今度みてみて!薬局で!」

ーーーーーー

 

・・・・・・・

 

というくだりで、特に考えもなく肌ケア商品を買いました。

 

そして、1週間でやめました。

面倒臭くて。

 

これ、結構前の話なんですけど。

 

いやー、大変ですねぇ、女の子って。

すごいですねぇ、女の子って。

 

若い時は、彼女のパンパンになったメイクポーチの中身を見て、

「なんなんですか、君は。ピカソかゴッホにでもなるのかね。美大生かね。」

って思ったりしてたんですけどね。

 

あぁ、そうそう。

別の女の子とは、ウユクリームの話になったこともあります。

そして、実際に塗ってみたことがあります。

 

知ってますか、ウユクリームって。

韓国コスメなんですけど。

 

あれはすごいですね。マジで白くなる。

 

試した時、一瞬、

「これ、自分のチン●に塗ったら、白くなって、面白いことになるかな・・・・?」

って思ってワクワクしたんですが、もちろん思いつきで終わりました。

 

 

白いソーセージあるじゃないですか。

 

あんな感じになりそうだなぁ・・・・オエッ・・・・って思って、それで、終わり。

 

そうそう。

ミラノコレクションとかいうやつも試したことがあります。

使わせてもらったことが。

あの、限定生産のやつね。即売り切れる、あれ。

 

ーーーーーー

西園寺:「ウッソォーーー!!ナニコレぇ!!スッゴォーーイ!!いつものやつと全然違ぁーーーう!!」

 

某女の子:「いつものwwwwうざいwwwww・・・・・他の試したことあるのwwww」

ーーーーーー

 

女子の世界って面白いですね。

 

良いですねー、華やかで。

 

話飛びますけど、「オフショル」って良くないですか。アレ。

すごい良いですよね。

 

最初、英領ヴァージン諸島やケイマン諸島といった、典型的なタックスヘイブンに、法人もしくは個人名義で口座を開設し、お金を預けてるアレかと思いましたけど全然違いました。

 

それオフショアですね。

 

じゃなくてオフショル。

 

あの、肩が出てる服ですね。

(「オフ・ショルダー」の略でしょうね、推測ですけど。)

 

オフショルを着て歩いている女の子を見ると、

こう・・・・すごく、肩を舐めたくなりますね。

 

ちなみに、その気持ちを某女性に話したら、

「●んでください(=you die)」

と言われました。

 

笑えないジョークとはこのことです。

真似しないでください。

 

ーーーーー

もしかしたら、将来、男性が股間の部分だけを丸くくり抜いて、局部をダラリと露出させた、『オフペニ』が流行るかもしれないなぁ・・・・。今流行りの、塩顔系男子とかが率先してやったら面白いかも。海外の女優とか乳首出すし・・・・。

ーーーーー

 

とか思ったんですけど、発言したら確実にヤバイ奴と思われるのでやめました。

 

あれ、何の話がしたかったのか・・・・、

 

あぁ、そうそう!

女子の世界ってすごいよね!って話。

 

海外から日本に来た女性は、日本女性のファッションやメイクに驚き、魅了されます。

 

まず、日本には四季があります。そして四季に応じた多様なファッションがあります。

なので、シンガポールやオーストラリアなど、あまり四季の変化がないような国の女性は、日本女子の四季折々のファッションに驚く・憧れる傾向があります。もともとすごい気合いのいれようなのに、季節でまた華やかに変わる感じに驚く。

 

たまに、本屋の女性向けコーナーで、

ーーーー

パリの女は10着しか服を持たない

ーーーー

みたいな本があったりしますけど、逆説的に、日本のファッションのレパートリーというか、日本女子の気合いの入れようが伺える好例ですね。

 

気合いがすごいのに、四季折々で華やかに変わる。

これには、海外女子は驚きます。

 

そして、

「冬のファッションかわいい」

「コート着たぁ〜〜い」

とか女性が思うのは、世界中、同じです。

暑い地域の女性なんて、やたら「コート」とかを着れる環境に憧れてますからね。

 

海外の女性は日本女性のファッションへの気合いの入れように、すごく驚きます。

 

ーーー

すごい・・・・かわいい・・・・・

ーーー

って憧れる人もいれば、

 

ーーー

すごいけど・・・・私が日本に住んだらコレ、プレッシャーだわ・・・

ーーー

って感じてしまうタイプもいます。

 

それぐらい、日本女子はすごい。

 

なんで、日本女子はこれほど頑張るのか。

 

これ、思うになんですけど、「自信がないから」だと思うんです。

 

昔、私は

「女って化粧長げぇーなぁー」

とか、

「女って準備おそいなぁー」

とか、

「女の旅行の荷物って多いなぁー」

とかめっちゃ思ってました。

 

典型的な男子発想してた。

 

でも、自分自身が、自分の人生を変化させるために「自己投資」しまくってきて、ある時気づいたんです。

深層心理では、世の多くの女性と通じてる、と。

 

私は、昔、自信がありませんでした。

でも、強烈に、思ったのです。

 

美しくなりたい・・・・と。

いや、違う。

 

成功したい・・・・・と。

 

お金が欲しい・・・・・と。

変化したい・・・・と。

 

そして、女子がメイク品を手にするかのごとく、

私は自己啓発本やビジネスハウツー、情報商品、セミナーなどの世界にどっぷりとハマっていったのです。

 

女性は、ある年代から「メイク」という武器を手に入れます。

すると、自分が大きく変化することに気づくわけです。

 

自分が大きく変化したら楽しいと思いませんか。

 

男子は小さい頃、

「・・・・変身!!とうっ!!」

にハマり、

 

女子は小さい頃、

「テクマクマヤコン」とか

「ピーリカピリララ」とか

「デュアルオーロラウェーブ!」とかにハマるわけです。

 

人間にはそもそも、変身願望があるのだと思われます。

 

男子も女子も、「外見で優遇される」という場面には多々遭遇するはずですが、女性の場合はそれが男性以上です。

一般論としてはそうでしょう。

 

コンビニの雑誌コーナーを見てください。

男性誌は、「車」「時計」「ファッション」「エロ本」「財テク」「ジャンプ」と多様ですが、

女性誌は、「美」ばっかりです。

 

社会的な外圧が強い。

 

美へのプレッシャーや露骨な外見差別が存在する中、

「メイク」という武器、

「ファッション」という武器と出会った女性はどうなるでしょうか。

 

ましてや、その子がもともと、セルフエフィカシー(自信や自己効力感)が低い子だったらどうなるでしょうか。

 

メイクにハマる、メイクに依存する、メイクが習慣になる・・・・は当然です。

 

彼女たちはメイクをすることで、心も武装しているのです。

 

「ドリルを売るな!穴を売れ!」はマーケティングの名言ですが、

女性のメイク・ファッションにおける「ドリル」がメイクやファッションなら、

「穴」とは「心の栄養」「心の武装」「自信」なはずです。

 

だから、異性ウケとは全く関係ない目的でも、彼女たちはメイク・ファッションをします。

 

そもそも、女性たちは、同性同士で互いのファッション・メイクをチェックし合っているフシがありますしね。

 

つまり、メイクは心のためにある。

 

ましてや、日本国民。

日本国民は欧米のように「私は私よ!」みたいなタイプは、

西園寺みたいな頭おかしい奴を除き、いませんよね、あまり。

同調圧力や社会的圧力は強いし。

 

社会が、

「シューカツだ!!!!シューカツじゃ!!」

ってなれば、みんながリクルートスーツに身を包んで髪を黒く染め、業界四季報や自己分析本などを手に、せかせかするのは当然のこと。

 

社会が、

「女たるもの、美を磨け!!」

ってなれば、みんなが一生懸命、ファッションやメイクに熱中するのは当然のこと。

 

西園寺さんは幸か不幸かわかりませんが、

10代の早い段階から働きまくる経験を通して、

「このまま大人になり、労働の奴隷になるとやばい」と、

早々に気づきました。

 

学校の勉強なんてほとんどしてなかった代わりに、すごい働いてましたから。

 

社会を感じ、未来を想像した時に、

社会的な外圧に押しつぶされる自分が見えたのです。

 

大人になると、お金を「稼がなければならない」という状況に、どうしても追い込まれます。

 

今はまだ良いけど・・・・・

このままいけば・・・・・

 

容易に絶望的な未来が想像できました。

何より、もともと自分に自信がないタチだったので、楽観できなかったんですね。

 

さて。

 

現在の西園寺さんは、仕事柄、

「一緒にJVしない?なんかやらない?」と言われたり、

「俺を雇え」「私を雇え」とか「俺に投資しろ」とか、

そういうことを友人に言われることが多いです。

 

私から言わせると、普通に社畜やっている時点でみんなコモディティ化しているので月給3000円あげるのも勿体無い、と思っちゃうんですが、

今までそうやって言ってきた人の中で、唯一、

ーーーーーーーーー

「あー、この子だったら・・・・」

ーーーーーーーーー

って思えた子が一人いました。

 

そう、その子は女性なんです。

 

彼女は、

  • 茶道、華道、などの経験あり
  • ピアノができる
  • ギターもできる
  • ドラムも叩ける
  • ダンス、バレエの経験あり
  • 歌が上手い
  • 音楽、演劇、絵画に詳しい
  • 読書家
  • 西洋アートに詳しい
  • 英語ができる
  • 資格をたくさん持っている
  • おしゃれ
  • コミュ力が高い
  • お笑い能力が高い
  • メイクに詳しい
  • 高学歴
  • スポーツ万能
  • 海外経験豊富
  • フォトショ、イラレ、CAD、プログラミング、WEB制作周り全般に明るい
  • 絵が上手い
  • フェ●チオがめっちゃ上手い
  • プレイ中のエロい声や顔の仕方、全部上手い。っていうか床上手(笑)。
  • 男の転がし方がうまい

 

・・・・・と、とにかく多才・多芸だったんですね。

 

正直、凄まじいと思いました。

で、この子と仲良くなって、この子が過去の話とかを色々教えてくれたんですが、そこから見えてきたものがありました。

 

この子はすごく、自信が無い子だったんですね。

自信が無いから、内面も、外見も、本当にいろんなもので武装してきた。

・・・・って、自分でカミングアウトしてたんだけど。

 

すごいなー、と思うと同時に、

ちょっと、共感するところがありました。

 

自信が無い、でも向上心はある、人生楽しくやりたい、成功したい、成果を上げたい。

 

そう思ったら、人は色々と頑張れるのかもしれません。

すごい変われるのかもしれませんね。

 

私は、彼女は「とっても綺麗な美人さんだな」って思ったんですが、

高校の時の写真を見せてもらった時はあんまり綺麗とは思いませんでした。

 

だからまぁ、ここら辺も努力ですよね。

すごいなーって。

 

こうやって考えると、「自信が無い」こともいいことなのかもね、って思います。

 

もちろん、変化しなくても成長しなくてもいいと思うんです。

別に、人はありのままでいいと思う。

 

私の若い頃にいた周りの友人たちは、みんななぜかすごい自信家でした。

ナチュラルに自信家だった。

そして、自分を変えようとか、何かを頑張ろうとか、何かを目指そうってタイプの人はほとんどいなかった。

 

彼らは、何をやっても楽しそうです。

すごい堂々としているし、いつもハキハキとしていて、臆することがない。

 

久しぶりに連絡を取ると、本当に何も変わってない。

 

・・・・・・・でも、彼らみんな、スキル無いです。

昔からずーっと。そして、今もない。

そして、変化していない。

 

私は思うんです。

 

自信がない、ってことが吉と出る場合もあるんじゃないか、ってね。

 

そもそも、私はリア充タイプでも無ければ、

前にしゃしゃり出て何かをやるタイプでもありませんでした。

 

中学にも、高校にも、大学にも、

中心になって「ウェーイ」ってやっている人間いますよね。

スクールカースト上位です、みたいな。

 

私はあんな人間では決してなかった。

 

少なくとも、私の場合、生まれ持ったネガティブ思考と自信の無さは、私を遠いところまで連れて行ってくれました。

そして、いろんな景色を見せてくれた。

 

成長や変化がある人生を送らせてもらうことができた。

この旅は、おそらくまだまだ続くはずです。

 

 

・・・・・・覚えておいてください。

 

もし、あなたに自信が無い・・・・・のなら。

 

それは、あなたに、「未来を大きく変えられる素質がある」ってことなのかもしれません。

 

大人になって私は、医者に「羨ましい」って本気で言われたことがあります。

医者ってどういう人がなるお仕事ですか。

 

底辺高校行ってた私の同級生の中で、トップのトップでもなれない仕事ですよ。

 

そんな西園寺さんの高校の成績?

 

ほぼオール1ですよ。

留年しかけましたよ。

 

高校生の時、ノリで「心機一転、公務員でも目指そうかな、あはははは」って言ったら、学校の先生に、

 

「公務員、なめるな」

ってマジ顔で言われましたよ?

 

・・・・・はい。

 

 

まぁ、同級生年代の人たちが「ウェーイ」って楽しくやっている大学年代に死に物狂いで努力する羽目になったのは、説明するまでもありませんよね・・・・・。

 

覚えておいてください。

 

世界は変えられなくても・・・・・・

少なくとも、自分の人生ぐらいは、変えられる。

 

そして、自分が出会った・接点を持った人間のうち、最低でも一人ぐらいは、

 

ーーーーーーーー

「あなたと出会えて本当に良かったです。あなたと出会えて人生が変わりました。」

ーーーーーーーー

 

って言ってくれることがあるかもね。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。