小説家になって億を稼ごう!という本がある

 

小説家になって億を稼ごう!という本がある

 

こういう本を読むのは楽しい。

理由は、『小説家になることに興味がないので、いかにして人が騙されるか』を客観的に知り、学べるからである。作家志望の人間なんかが飛びついて騙されるのを高みの見物、というわけだ。

 

自分に無関係の夢見心地な人間が累積するフィールドを覗くと得るものがある。

当事者は冷静になって見れないだろうからね。

 

結論から言って、この本を読んでも億を稼げることは無理だとして、著者がどういう考えで成功したのか、はなんとなくわかった。

 

ここで、作家崩れの連中にいい話をしてやろう。

私は、

このご時世に小説を読む奴はどんな奴なんだ?

ということが気になる。どんな需要に支えられているのか、ということだ。

 

若い人間は小説を読まない。TwitterもYouTubeもtiktokもあるからな。それでも、今のご時世に小説を読む若者、例えば高校生が稀にいる。そういう人を見つけたら、

どうして読むのか?

ということが気になる。だから、そういう人を見つけたら、話を聞くようにしている。

 

まず、そういう人たちは、

小説は登場人物の立場、心情にのめり込める

ということを、小説特有の利点とすることが多い。これが、文章コンテンツが溢れた現代で、わざわざその手のものを買って、読む動機だ。そして、小説を読む人たちは例外なくインキャである。つまり、小説を通して、人間を知る、コミュニケーションを取っているのだ。

 

だいたい、インキャの大学生が多い。

 

社会人でその手のものを読んでる時間がある人は多くない。

 

 

ビジネス書、一般書は教唆的だ。

ユーチューバーはうるさい。

実社会は建前がある。

 

陽キャは友達がいるが、インキャは友達にも心が開けない。人の深いところに入っていけないし、自分もオープンにできない。そんな人たちが、小説の登場人物の機微や繊細な描写を通して、それを写し鏡にして、自分の心を知ったり、人間というものを学んでいる。

その意味で、小説は、実に繊細なプロダクトである。

よって、『小説家になって億を稼ごう!』にある通り、登場するキャラクターの設定をかなりディティールに渡って作り込めた人間が売れる小説を書ける、というのはその通りなのだ。

そもそも、

  • 名探偵コナン
  • 両津勘吉
  • ドラえもん
  • ルフィ
  • サザエさん
  • クレヨンしんちゃん

など、この国で作家が生み出した作品は、いかに登場人物が彩っているかがわかると思う。

そして、小説は、そういうトレードマークになるようなキャラを生み出さなくてもいいが、少なくとも登場人物同士の関わりと繊細な機微が描けていないといけないのである。

 

ということは、

小説家になって売れたいのであれば、

人心を鋭く捉えて描き出す力

が必要である。

たしか、見城徹あたりが言っていたが、売れる作家というのは、『精神的性欲』みたいなものが強いらしい。表現せずにいられないタイプらしい。何かを抱えているということだ。また、文豪ゲーテは、『女でまともな奴は作家になんかならない』と言っていた。まともな女なら結婚して子育てをしているであろうところを、そのエネルギーをダフつかせて、執筆にぶつけている、ということである。

よく言う話だが、表現者は表現でしか生きられないタイプが多い。

歴史的に見ても作家は頭がおかしい。

社会不適合が多い。

統計的な調査もあって、圧倒的に創作関係の作家は生い立ちが恵まれておらず、苦しい人生を送ってきた人間が多いという。そりゃあそうだ。裕福なエリートはそんな道に行かないのだから。

 

書店に、『ルポ〇〇』みたいな感じで並ぶ本の作家も、やっぱり、出自が厳しい。元アウトローとか、風俗嬢とかも多い。いろいろ、ネタになるような不幸を抱えていたりする。

人は、作家や作品をとおして、人間を知るのだ。自分を知るのだ。人心の機微を知るのだ。

 

創作性が高い作品、世界観が優れた作品で売れるというケースはかなり難しいと思う。ハリーポッター的な当たり方は本当にかなり難しい。そして、これをやる場合にも徹底した設定が必要になる。

世界観で当たったコンテンツとして、私は

  • クウガ
  • ポケモン
  • 遊戯王
  • ハリーポッター
  • デスノート
  • MGS

あたりを挙げたいが、これらは『作る前』の過程で相当、仕込みがある。クウガなど、実際の撮影の二年以上前からプロジェクトが始動してスタッフが動いてるのだ。放送は大体1年間くらいだから、その前に放送期間以上の準備がかかっているのである。

 

ハリーポッターなんて、シングルマザーで底辺を彷徨っていた女性が人生を賭けて1発当てたのだ。アイデア自体は相当温めている。

 

昭和を代表する作家、司馬遼太郎は、史実を描いた作家なのに、一つの作品シリーズを完成させるために『10年潰れた』と平気で語ったりしていた。『私の〇代は、この作品に費やされた』という感じだ。娯楽がない時代の昭和の文筆家でこれである。

人口が減り、エンタメが分散した現代はもっと厳しい。昔なら小説を読んでたかもしれない層がYouTubeやネトフリにも流れていたりする。

 

はっきり言おう。

やめた方がいい。

 

百田尚樹みたいに、『スピーディーにテーマを消耗するテレビの世界』から降りてきた放送作家的なタイプもいるし、麻布競馬場みたいな現代的エッセイをSNSでバズらせてから本にするタイプもいる。現代は、本になるものは大体、YouTubeかSNSか何かで先行的に当たったやつだ。出版社も要らぬリスクは取りたくない。新人賞なんかも、ただ惰性で運営して、10年に1人の天才みたいなものをすくいあげることができたらいいな、程度にしか思っていないだろう。

 

人生の鬱憤を芸術にぶつけるな。

京都アニメーションに放火した奴みたいになるぞ。

 

現代は、底辺の中年が書いた雑文なんか読むより、アプリをインストールして知らない奴とチャットしたり匿名会話する方が面白い。インキャたちもその手の楽しみに流れている。官能小説でオナニーしていたような負け組女たちは、VRアダルトを楽しんだり、通話アプリでオナ電している。エロ漫画だって無料でスマホでいくらでも観れる。

 

小説?

読むわけ無いだろう。

 

完全に斜陽である。

 

そもそも、フォーマット自体、ルール自体をぶち壊すような革命を起こさない限り厳しいだろうな。

 

専門知識を必要とするビジネス書より、『完全クリエイティブ』が許される小説の世界の方が、AIによる自動化が進んでいる。今はAIがかなり高度な文章を作れる。

もし次、小説の世界でヒット作が出るとしたら、アカデミックの世界で突き詰めて博士号を取り研究者をやってたような人間が流れ込んでくるケースだと思う。

『数学ガール』みたいな奴だな。

麻布競馬場もそうだが、何か、ネタを握ってる奴が強い。

ビジネス書だって小説寄りになったものでヒット作も出ているしな。

 

しかもそのネタに、AIに代替されない力が求められる。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。