最後に行き着く場所は、自分だった。

すべての始まりは、1冊の本との出会いだった。 「金持ち父さん 貧乏父さん」。 この本との出会いほど、人生で衝撃的なものはなかった。今でも思う。多分、私はジジイになっても同じことを言っていると思う。もし、こどもや孫がいたなら、彼/彼女らにこの本との出会いを語ってから、長話のスタートを切るんだと思う。 物事には必ず、理由というものがある。 私があの本に衝撃を受けたのにも、もちろん理由がある。だから、厳密には「金持ち父さん」に衝撃を受けたのは「金持ち父さん」と出会う以前に衝撃を受けた理由というのが存在することになる。その本当の出会いに感動した自分、というのがひとつの「果」であるならば、「因」が別のところにあるはずだ。 つまり、「金持ち父さんに衝撃を受ける自分」をつくったのは金持ち父さんそのものではなくて、それ以前の人生経験にあったってことだ。まぁ、そんなことを言ったらキリがないのが人生だけど。で

この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。

既存ユーザのログイン
   
新規ユーザー登録
*必須項目