真実への理解。Reality is optimizing for the whole -not for you.

真実というのは自分自身にとって都合良く解釈された世界の中には存在せず、それを見抜くためにはエゴイズムを捨てる必要がある。自分自身にとって都合の良い世界解釈を続けていれば目は狂って行く。誰もが自己保存の本能に基づき、自分にとって都合の良いメガネをかけて、自分らしいスタンスやポリシーで生きているけれど、それと真実を理解しようとする活動はまた、分けていなければならない。生きる中で直面するほとんどすべての外的な事象やシステムは、自分自身を救わない。

世の真実はお前のために存在しない。

神様から常にそう言われていると思って、適正手続だけを担保して目前の曇りをガラスを拭き取るようにしていく。ただ、それ自身とリーダーシップはまた分けなければならない。強い主観にある意思に人生はまた、ドリブンされる。

社会不適合者の矜持は、少なくとも自己と社会をやたら一体化しないことだ。身につけた衣服はよく見えない。着れずに外から見るしかない服はよく見える。社会が自分に追い風を吹かせているわけではない以上、自分と世の中には対立構造があるが、とはいえ、エゴイズムに基づく世界解釈をしないのでここで、やたらエモーショナルになることもない。ナショナリズムに傾倒するわけでも、パトリオットになるわけでも、テロリストになるわけでもない。

どうでもいいしどっちでもいい。

国家、社会、世界、宇宙、市場に直面したときに、それを勧善懲悪的なスタンス、善悪や優劣、公序良俗を断定するような評価眼でみていたら明らかに間違う。少なくとも、ポジティブなポイントと同量の分のネガティブポイントが浮かばねばならないし、多面的にモノを見れてるほど良しとして良い。

だいたい、グレーゾーン、カオス、中庸というところに物事は収まってたりする。

そして、そこに対する主観意思だけは断固として良いのだと思う。ただしそれは、『俺は正しい』になると100%狂う。何のために意思決定を貫徹するのか?それは資源投下を閾値にリーチさせ、学習成長期間を担保するためであって、ちんけなプライドのためではない。

評価、評決、評論、分析にチンケなプライドを置きすぎない。何を作り、何をやり、どこまで進んだか。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。