自分の物欲、性欲、金欲がほんとどうでも良くなってきた

自分の物欲、性欲、金欲がどうでもよくなってきた。前から言ってるけど。

まじでもともと、そんなに欲がないのかもしれない。性欲と睡眠欲だけは凄まじいけど。

本当にまじで、射精たくさんしないと働けない人なんで。

 

そうしたら、何をするか、何を志向するかってなったときに、やっぱり、他の人たちにシェアをしたいと思う。

赤の他人にな。

自分自身が、先人とかセンパイとか、メンター、ティーチャー、憧れの人、そーゆーのに啓発されて自分が変わってきたから。ま、本とか教材とか、過去の職場の人とかですけど。

他人に救われてきたから。

 

学校の先生、親親戚、友達なんかよりも、よっぽど、赤の他人に救われてる気がする。

世の中変なやつもたくさんいるけど、いいやつもすげーたくさんいる。

ま、変なやつ、いいやつってのは、主観、相性、それから相手の仮面の事情とかも考慮すると絶対的に言えることじゃないけど。

 

でも、私は、この国には、市井には、あちこちに、いい人が居ると思う。

学べる人がたくさんいる。

救われることがたくさんある。

 

まぁ、なんやかんや言って、欲しいものは手に入ります。

満足いく人生は送れます。

 

私の中で、自分の人生はその証明問題を解くようなプロセス。

そしてその過程で、重要な決定問題を解くプロセス。

 

マジではじまりがろくなもんじゃないからね。親は金持ち違うし、才能ないし、学歴もそう、資格も、スキルもそう。

 

ちなみに、普通の人なら『ああ、いろんなことが満たされてるなぁ』とな、そーゆー心境になってくると、家庭におさまりたいと思うらしい。

なんていうん?

家庭作って、家庭に貢献、みたいな。

家族を救いたいとか思うらしい。友達を助けたいとか思うらしい。

 

私はそうは思わない。

 

ここらへん、私と普通の人との人生観を分けるポイントだけど、

『身内は救えない、身内は放置』

の原則がある。

 

なんていうのかねぇ。

 

そんなに身内が大事か!?って思う。

家族愛、友人愛、どれも素晴らしいけど、そんなのよりもはるかに多くのことを学ばせてくれて、与えてくれて、成長させてくれて、貢献の機会を与えてくれるのは、シャバですわ。

その分、クソみたいな思いもたくさんさせられるけど。

 

外に出て、店員さんと喋ったり、配達員と喋ったり、役所の人と喋ったり、してますか、っていう。

なんか、みんな凄いじゃない。

知識も、知恵も、マインドも、スキルも。

 

この前、マッサージ受けたけど、マッサージ師のスキルに感動した。

こんなに楽になるなんて、みたいな。

 

そーゆー、凄い人、凄いものに溢れてる。世の中は。

 

他人は、距離が遠い。

でも、だからこそ、凄い。すごさに触れられる。

 

とにかくまじで、距離が近いやつは救えない。断言する。親親戚、友達、恋人、もう、ここら辺はダメ。一緒に仕事やってもダメな人たち。

わかるかね、これ。

 

援助とかも、それ、ただ腐らせてるだけだからね。

発展途上国に対する金銭支援もその国の発展を害してるってのは有名な話よ、まじで。

 

親が子供に何かを伝授するとかも無理だと思うわ。結局、究極はライオンが子を崖から落とす方式、すなわち、追い出しとかによってしか何かを与えることは出来ないと思う。

まあ、自分の場合は勝手に飛び出したけど、なんていうか、親の庇護とか助けが及ばないところであれこれもがいた中で見えたことや掴んだことがどれだけ財産かっていう。

そして、親の甘やかしがどれだけ人間を腐らせるかっていう。

そーゆーのがすげーわかるからなんだけど。

 

いい歳こいて親とベタベタしまくってたり、彼女をママと勘違いする、彼氏にパパを期待する、これはもったいないわ。

親に保護されまくって人は大きくなるから、親を神のように勘違いするパターンは多いけど、『親は頼りにならないんだ、親は下手したら悪例なんだ、親とは決別して自立しないといけないんだ』って悟れることがどれだけ幸福か。

オウム真理教の元信者が、麻原の顔写真みたら教義が蘇ってきておかしくなるって話を本で読んだけど、それに近いものを親に対して感じる。

もちろん、親はすごくありがたくて感謝しないといけない存在だけど、びっくりするぐらい邪教も吹き込んできてて、何より、付き合い方を変えるのが凄い難しい対象なのよね。

辞めた会社の上司との付き合い方ぐらい難しい。

もともと自分の生殺与奪握って教義を吹き込んできてた人間との付き合いなんて、自立した真の大人になれば扱いに困る対象なのは確実。もともと上司だった人間が部下になって、なおかつ前の関係性ひきづるぐらい、凄い扱いにくい。

 

話それたけど、要するに、シャバとの付き合いの方が幸福を感じるってことね。

 

仕事クソ論はいつも言うけど、もっとクソなのは近すぎる範囲との、いつまでも変わらない馴れ合いだと思う。学生生活とかの方が遥かにクソ。

仕事に対するクソの感情は、愛着に近いものもあって、なんというか腐れ縁みたいなものにも近いものがある。

嫌だけど愛着がある。みたいなね。

 

イキイキ生きるためには、未来に希望が必要だと思う。

向社会的な希望。

 

よそ様、人様に受け入れられるのは至極困難だけど、でも、それができることがどれだけ嬉しいのかっていうね。

赤の他人は蹴落とす対象ではなく、喜んでもらう、引き立てる対象。

 

究極、世の中で一番気持ちいいのはセックスだけど、これも、赤の他人に受け入れられる気持ち良さなんだよね。

 

そして、なんていうか、いい歳した人間の幸福ってのは、社会的に自立する中にあると思うわ。

赤の他人とのつながりの中で生きるのが大人だけど、その中で、何かしら誰かの役に立てたり、感謝されたり、みたいなのがあることが本当の充実感とか幸福を生むと思う。

 

まぁ、たぶん、人より貧乏とか不安とか挫折経験しましたけど、未来に希望があったので大丈夫だった。本当に、なんとかなってきた。

なんてゆーかさぁ、世の中的には、無難に生きろとか、危ない橋渡るなとか、ふつうに暮らせとか言われるけどさぁ、どうなん、それ、って思う。

ふつうに頑張って年収600〜1000万とる普通の人生なっても凄くつまらないと思う。

そこに、自己実現の感触が無ければ。

 

生活ができない、ものが買えない、みたいな感情がファーストに来て、焦って職選びする、みたいな風潮じゃん。

これ、なんか違うわ。

 

とりあえず、欲しいものとか一通り買えば良い。

そのうち、なんとなく、わかってくるわ。

買ってるばかりじゃつまらん、と。

若いうちとか別に貯金とかいらんし、馬鹿みたいに貯金に励む人生してるのは浅い考えで読んだ浅い蓄財本に騙された人だけだし、戦争が起こらず健康であればどうにかなるし、多少無職になったぐらいで離婚、破局するなら潜在的な問題が早めに見つかっただけでむしろラッキーだし。

 

腹が減っては戦はできぬ、とか言うけど、一回マジで、性欲とかもとことん満たしにいけばよい。

猿になれば良い。ナンパマシーンになれば良い。振り切れば良い。どっかで心境変わるから。

 

40代、50代で気づく人も多いけどね。

 

心技体、って言葉があるけど、散々歳取って色々な経験して来た教授、先生、先輩の端的な結論的人生教訓とか、経験から論理だけを抜き出した話だけ聞いたり、本読みすぎたりして、心が追いつかないまま頭でっかちなってもそれはそれで、だわ、ほんとに。

恋愛とかもそうだけど、究極に非合理で、無駄で、痛み苦しみが多い活動、みたいなことを、心のままにやって、ふりきって、最後に感情的に整理がつくとか、心が整うってあると思うわ。

頭だけの世界ではなくて。

 

なんていうか、最後はメンタルだし。

感情を排してロジカルに考えるとか、効率的に生きるとか、コスパ考えるとか、そんなことばかりやってたら、そのうち、病み始めて、ハートがインポになるでしょう。そして、なんていうか、いろんな感性が狂ってくる。自分を欺きすぎた結果として、自己理解も他者理解もうまくいかなくなる。

いろんなことがすべる。

 

重要な秘密を教えよう。

 

あなたが、人並みの知能があるのなら、その人並みの知能を普通に機能させれば、得たいもの、得たい人生、望む結果は、大抵手に入る。

でも、なぜそれができないか?

 

心が邪魔するからだよ。

心の問題に蹴りをつけてないからだ。

 

人間であることを無視してるからだ。

 

日本語を使いこなせる時点で、スペックは十分すぎる。余りある。

問題は別のところにある。

 

心の問題に蹴りをつけなければならない。

 

私は、心の問題に蹴りをつけるため、さんざん、授業サボったり、パチンコしたり、麻雀したり、服を馬鹿買いしたり、キャバクラ行ったり、女に貢いだり、快楽的食事、酒に走ったり、とにかくいろいろしたわ。

 

国会議員に年齢制限があるのはワケがあると思う。

あれは心の制限だ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。