誇りの持てる仕事がしたいとガキンチョの頃は思った

ガキンチョの頃は、誇りが持てる仕事がしたいと思った。カッコいい仕事、イケてる仕事とかね。映画で描かれるような大組織のスパイとか、エリートマンとかカッコイイなって。

大人になって、わかったこと。

それは、その考え方は貧乏になるかもしれないってこと。

貧乏になるってどーゆーことか。

経済的に必要とされてない。

モテてない。

 

モチロン、ハゲタカのようにプールされた金を奪い合う中で、上手にTakeしてリッチになる世界もあるけれど、それはハンターの世界観で、マーケターの世界観ではない。

マーケターは常にマーケットから物事を見てる。自由経済が担保された世界の中での、人の意思に基づくマネーの動きに注目してる。

人間のリアル、だね。

だから、例えばマーケターが『薬物を世の中から無くすためには?』という問いを与えられたら『合法にして闇市場での流通価格を破壊し、この市場に巣食うアングラな人間たちの薬物に関する商業活動、金銭的動機を削ぐことで、薬物ビジネス市場を破壊する』という一手を打つかもしれない。

飴と鞭って言葉があるけど、飴にひたすら注目するのがマーケターだ。鞭は施政者や権力者の一手。

もちろん、これは視点の一例。

 

で、マーケットセンスを持つとわかることがある。

 

『誇りが持てる』は割と自己満だということ。誇りが持てる仕事っていうフレーズがあるけれど、これって何か、すごく悩ましい考えなのかもしれない。仕事をファッション化してしまってるからね。

 

ここに気づけたのは人としての成長だった。

マーケターとしての進化だったかもしれない。

仕事の存在意義、事業の存在意義は反対側から確かめることができる。彼氏としての自分の価値も反対側にいる彼女側から検証できる。サラリーマンとしての価値も反対側にいる雇用者の視点から確かめられる。

雇ってくれる人もお金払ってくれる人も別に『あなたの誇りを満たすためにお金払いますよ』とか思ってない。

 

誇りが持てる〜うんぬんかんぬんは、主目的とはならない。誇りが持てるから頑張れて、頑張るから誰かに尽くせるという好循環はあるかもしれない。どうせ人は自分のためにしか頑張れないから。

でも、核となる部分はちゃんと見極めないといけないと思う。

誰か他人の誇りを満たしてあげたくて金を払うだろうか?

 

仕事が常にダルいのは、誰かのために尽くしているところだと思う。愛せない地域、愛せない人、愛せない組織で働けば働くほど、どこか虚しくなってくる。ひたすら、人の浅い欲望のために働き続けて、その刹那さや消費性と向き合うと、どこか自分の命も軽々しくなった気がして、崇高な目的や意味を失うかもしれない。

仕事と生きる意味について真剣に悩みすぎてる人は、人生における仕事のプライオリティが高すぎる。

真面目すぎ。

ぜひ、公的機関にお勤めになってみては。

だから、そーゆー人は民間ではなく公的な機関に行った方が良いと思う。民間じゃできない仕事とか体験って絶対あるから。仕事人間で崇高な人生観、誇りを持ちたい人こそ公的な機関で働くべきじゃないか。金で買えない体験はそこにあると思う。戦闘機に乗る、火事を消火活動する、白バイで犯人を追いかける、とかね。

宗教とか、出家とかもいいと思う。アーティスト系の活動とか。

多くの人は、いい塩梅のゾーンとして資格を求めていくんだけれど、資格のように誇りを与えてくれそうなものの現実はなんと、そんなに需要が無いということ。

 

民間の最前線で、ひたすら金鉱掘りやってて思いますけど、稼ぐことと精神的に満たされることって別な気がする。仕事で高尚な満足されるとか、超越的な神秘体験得られるとか、難しいと思う。

仕事に期待しすぎてないか。

仕事に変なこと求めてないか。

仕事にプライドを持ちすぎてないか。

武士は食わねど高楊枝って言葉があるけれど、武士的価値観で貧乏になるのはそーゆーこと。権力に近い生き方でそこそこ成功することはできるかもしれない。でも、基本は資本主義のリアルに近づけば近づくほど、割と生々しい現実があるだけかもよ。

 

仕事に見切りつけて、さっさと生産性を高めていくか。

それともがっつり仕事にハマるか。ハマれる仕事ってたぶん、ごくごくわずかだと思うけどね。狭き門だと思うけど。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。