稼ぐ→使う→稼ぐ→使う のサイクルと生きる意味

私たちは何のために生きてるのだろうか。なんか、一定の年齢以上になると、『仕事しなきゃ』っていう恐怖に駆られるでしょ。仕事しなきゃ、食っていけない、貧乏になる、みたいな恐怖。

だけど、稼ぐ→使う→稼ぐ→使うのサイクルの果てに、一体何が待っているのだろうね?っていう。

結局いくら稼いでも使うじゃん。結局、稼いでもそれはなくなっていくんだよ。そして、稼ぐために何かを差し出すんだけれど、ここにものすごい苦痛を感じる人がいるわけだ。

結局、稼いで何がしたいのかとか、稼ぐ→使うのプロセスの中で何を感じたいのかとか、そーゆー話になってこない?


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。