10代20代にとって、最も心の拠り所になる文章は、60代の文章なのかもしれない。

就職で迷ったら好きな仕事は選ぶな!

 

10代20代にとって、最も心の拠り所になる文章は、60代の文章なのかもしれない。

すごく響くブログを見つけた。

 

10代20代と言えば、飛行機で例えるならば離陸フェーズ、高度を上げていくフェーズだ。

これに対して、60代は着陸態勢に入っている。もしくは着陸している。

70代、80代は、もはや着陸していて、空の危機感から解放された『陸の論理』を語っていたり、円熟味が増しすぎていて、優しすぎる場合がある。あるいは無茶苦茶に厳しすぎる。あるいは時代背景が違いすぎる。もはや、おじいちゃんだ。

 

30代〜50代はどうだろう。ある意味、『真っ盛り』であって、ある意味同じ土俵に立っているとも言える。

 

だから、60代くらいがちょうど良いのかもしれない。

明石家さんまは2020年現在、64歳だけれど、お笑い第七世代との絡みでこれまでに見せたことが無いような笑顔や楽しそうな姿を見せていた。

あれは印象的だった。さんまさんがいちいち丁寧に、お笑いの基礎基本を教えていたのだ。私もあんな姿は初めて見た。第七世代はみんな、目をまん丸にして学んでいた。多少、無礼講はあったけれども。笑

 

60代は、10代、20代からすると成功者が多い。たとえそれが、60代世界のごく標準的な姿であったとしても。

60代には謙虚な物言いの方が多いけれど、ライフイベントを一通りこなした成功者とも言える人たちがいる。いくら謙遜しようと書いている内容でくぐってきた経験は伝わる。何より文体が洗練されている。SNSやネット社会で、日常的に若者が触れているテキスト社会とは、色や味が違う。

 

それとも、10年前に私が薫陶を受けた世代が当時の4〜50代だったからだろうか。

響く。

今のU-40には激変の荒波で溺れている人やそこに最適化されたバイキング並みの強者がたくさんいて、少し極端なのかもしれない。二極化傾向にある。

 

仕事に持った夢や期待が、挫折感を生み、それが次のやる気を上回る

仕事なんてこんなものだ、と取り組み、徐々にポジティブを見つけていける人の方がやっていける

 

恐れ多いが、私もそう思う。

仕事なんてクソだ。そしてそんな中から、一粒の煌めきや、憎めない要素や、愛せる部分を見つける。私はそう思ってきた。

少なくとも、仕事なんてクソだ、という諦観を持たざるを得ないキャリア初期の経験から、だんだん、割とポジティブな部分を見出す方法を体得してきたというか、そんな感触がある。

 

昨今話題の、

『高学歴ニート番組』

なんかを見て、高学歴ニートの言い分を見ているとどこか、人生や仕事に対して崇高なものを見出そうとしすぎなのかもしれない、と思う。

 

青二才の私なんかはすぐ、

命なんて快楽の副産物

とでも言っちゃうのだけれど、そういう物言いが鼻につくタイプは、優雅な文章を見つけて欲しい。やっぱり、SNSにはこういうことはできない。ブログは素晴らしいと思う。

ビジネス戦士として社畜人生を潜り抜けた人の話は面白い。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。