「好き・嫌い」で生きた方が良いと思って実行しています。その理由を語るぜ!!

私は好き・嫌いで生きた方が良いと思って、実行しています。その通りに生きています。

なんでそう思うかについて、解説しますね。

 

我々日本人は、戦国武将が好きですよね。戦国時代の話とか。戦国時代って、群雄割拠で、いろんな武将たちが争いあったわけです。そして、現代人はそのストーリーに胸を熱くする。・・・・・・でも考えてみてください、奴ら人殺しですよ。爆笑。織田信長なんて、ムッチャえぐいっすからね!!現代で言ったら、中東情勢みたいなもんでしょ。こう、あちこちのテロリストたちが、自分たちの国つくるっつってワチャワチャやってるよーな状態。

 

誰が悪者か、誰が善者か、みたいなものは平気で移ろうものだと思います。私はそう思います。とある時代のスターみたいな人が、次代でめちゃめちゃ悪者にされたりとか、よくあると思うんです。本当に良くある話。

もし・・・・ですけど、

「善悪」とか

「正誤」とかで

物事を決めたり、それにすがって生きていたら、切ないと思いません?何かあった時に。

 

例えば、「この大きな会社に就職すれば安泰です!!」みたいな感じで就職して、すごい時間が経って、歳を取った時にその会社が潰れると・・・・・・・どうでしょう。切なくないですか。なんか、理由として、「それが正しいだろう」みたいなものだけで決めていたとしたら・・・・・切ないですよね。

あとあとバカバカしくなるというか。

 

もちろん、全てはバランスなんですけど、「善悪」「正誤」で決めていたら、それが強すぎて自分の「好き・嫌い」を押し殺していたとしたら、あとあと後悔すると思うんですよね。

私の場合、昔は割と、「これがまっとうですよ!」「これが普通ですよ!」「これが正しいですよ!」みたいな風に提示されるものにすがって生きていました。でも、心が苦しくなっていった。そして、ある時から限界が来た・・・・みたいなことを、結構体験したんですよね。

あー、なんか、普通ってものが合わないんだなー、ってヒシヒシと感じだ。

 

そして、自分が「普通とは合わない」という現実、疎外感を受け入れるのは恐怖というか、恐ろしかったです。でも、・・・・そのうち、それにも慣れます。慣れました。

そして、「べき論」とか「正しさ」みたいなものを手放した先にあったもの。それは、開き直りの世界。笑。自分の好き・嫌いで生きていく世界。非常にワガママですよね。

 

でも、好き・嫌いを大切にするようになってから、その判断のプライオリティを自分の中で上げていってからは、だいぶ楽になりました。すごく生きやすくなった。何より、物事を決められるようになったというか、選べるようになった。ちゃんと自分の色を持って生きられるようになったんですね。

・・・・・・・・理性で生きるのに疲れたんです。

こうあるべき・・・・これが正しい・・・・これが得だ・・・・みたいな生き方に疲れてしまった。どこかの段階から。

 

何より、「正しさ」に従うことがストレスであることに気づいた。

自分の好き・嫌いに従えば従うほど、ストレスからは解放されたんです。

 

「これが正しい」と思って生きていると、その正しさを守らない人間に対してもイラつくようになります。

例えば、「先輩に挨拶するのが正しい!」みたいなものを思って、自分がそれに従っていると、自分の後輩が自分に挨拶しないことにすごくイラつくようになるわけです。

実際、礼儀作法にすごく厳しい人って、ストレス溜め込んでいる人が割と多いような気がします。

 

「正しさ」とは、法律や倫理、一般常識、マナー、世の中の支配的な風潮みたいなもので、極論を言うと「マジョリティルール」「多数派の意見、考え」みたいなものです。当然、「変」な人や「マイノリティ」にとっては苦しいものです。もちろん、最低限のものは守らないといけないのですが、こういったことばかり気にしていると圧迫感が大きくなるのも事実。

でも、「好き」という感情は、常に自分の中に根ざすものです。

好きという気持ちを大切にして生きることは、自分の直感であったり、自分を信じる勇気を与えてくれます。自分らしい生き方をすることにOKサインをくれるんですね。自分の判断を大切にできる。

何より、意外とブレないですからね。

 

外部に正解を求めない。

間違うことを恐れない。

私は親、学校、友達、社会が自分に与えて来たものさしをことごとく手放して来ました。

 

西園寺さんなんて、間違えまくり失敗しまくり恥かきまくりですからね。

オワッテル人間ですよ、オワッテル人間。

でも良いんです。

 

ハッピーなんで。笑

 

「他人に嫌われないようにする」

「他人にかっこいいと思われるようにする」

「他人に認められる」

「他人に無能と思われないようにする」

というものをことごとく手放して来ました。

 

もちろん、嫌われたり、かっこ悪いと思われたり、見下されたり、ダサいと思われたり、バカと思われたり、無能と思われたり、間違ってると指摘されたり、批判されたりすること・・・・・・・は、つきものです。

 

はい、これが自分の「好き・嫌い」を優先させて生きる人間が支払う代償です。

 

ま、でも、それでいいんじゃないでしょうか。

 

生きるということは、自分のスタンスを決めるということもであります。自分がどういう生き方をするのか、というのは、誰もが決めなければならないことです。自分で決めたつもりがなくても、なんとなく流された・何の考えもなしに何かの道にいったとしても、それは何かしらのスタンスを選びとっています。

生き方にしても、意見にしても、中立の立場に立って冷静に俯瞰しているとあたかもそれがカッコいい・正しいように思えます。

しかし、それは何もしてない・何も言っていないのと同義です。

尖ってない。

その人が見えない。

存在していない。

 

私はもう・・・・・

社畜生活は嫌いだし (←公言して社畜友人と揉めた経験多々あり)

東京嫌いだし (←東京でウマが合わない人結構いた)

学校教育大嫌いだったし (←落ちこぼれの烙印押されました)

学校の先生嫌いだったし (←まじで合わなかった)

食べ物の好き嫌いは激しいし (←嫌いなものが多い、小学校の時一人だけ給食残しまくって教師に「食え!」言われて「食わん!」っつって対峙した経験あり、放課後残された)

SNS嫌いだし (←Facebook、インスタ等したことない。LINEも相当長いことやってなかった。)

人付き合い苦手だし (←友達少ない)

人と喋ると疲れるし (←誰かと行動を共にするとHPの消耗が激しいです)

人の結婚式とか飲み会とか行かないし (←これはもう・・・大人としてアレですね)

東日本より西日本派だし (←関東女より関西女派)

犬より猫派だし (←犬可愛くない)

スタバ大好きだし (←ドトール始め、その他のカフェチェーンでは違和感しか感じない)

コカ・コーラ大好きだし (←ペプシ飲みません)

アップル製品大好きだし (←アップル以外買いません。「スタバでapple製品、あーはいはい、うざいやつね(苦笑)」とdisられたこと多々)

女好きだし (←もう、肉体のフォルムが良いですよね。男の裸を見ると吐きそうです。)

風俗・キャバクラ好きだし (←これで女性からドン引きされたこと多々)

日本人より外国人の方がウマが合うことが多いし (←「日本のこれおかしくない?なんで?」とか聞かれて「僕もわかりません」と何度答えたことか)

 

・・・・・・・とまぁ、

自分の素直な気持ちを発露させればさせるほど、いろいろと問題が・・・・笑。

 

完全なる社会不適合者ですね。

 

でもまぁ、ハッピーですよ!


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。