辞めるというのは潔い行為でも何でもない。それどころか、やりかけたことを途中で放り出してしまう無責任極まりない行為だ。もし、何か失敗をしたのであれば、これを成功によって覆すのが本来の責任のとり方である。ーp44
人生で、例えばチャレンジをしたとする。新しいことをしたとする。賭けに出たとする。その際、「自己責任」という言葉が用いられるけれど、自己責任というのは失敗したら自業自得とかそういうことじゃなくて、自分で学んで次に繋げるっていうポジティブな意味だと思うんだよね。自分の腕にかかってるよっていう。
失敗を恐れていては何もできないし、失敗を恐れていたら多分、未来は無い。今は良いかもしれないけど、長い目で見たら未来は無い。
失敗したら、経験不足だったのか、能力不足なのか、資金不足なのか、時間不足なのか、とにかく原因の究明を行なって、次に繋げること。仮にそのゲームから降りるとしても、真剣に取り組んだんだったら、どこかでその経験が必ず生きる。絶対生きる。
責任、というのは結果や成果に対して、主体的に、前向きに取り組むというポジティブな意味だと思うんだよね。
あんまり失敗とか恐れてないのは、経験値がさらなるハッピーを呼び込むという意味で、将来に希望が持てるからなんだよなぁ。未来が良くなる人生ほど良い事はないんだよね。失敗しまくってても、それが未来にポジティブに結実するのなら全然良い。だけど、現状うまくいきまくっててもそれが逆に、将来の自分の無能化を加速させてるのなら恐怖だわ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。