「保守」という言葉が混乱しています。この20年にわたり、わが国で急進的改革を唱えて来たのは「保守」を名乗る連中でした。(中略)だからまずきちんと定義することが大切です。保守とは何か。ひとことで言えば、「人間理性に懐疑的であるのが保守」です。抽象的なものを警戒し、現実に立脚する。人間は合理的に動かないし、社会は矛盾を抱えていて当然だという前提から出発する。逆に言えば、「人間理性を進行するのが左翼」です。
近代とは、歴史的に生成されて来た秩序、共同体、慣習、伝統を破壊する流れ。
あと、動物には理性がなくて、人間には理性があって、人間は正しいとかも思い込み。人間は理性的でもなければ合理的でもない。理性を持ち上げて、そこらへんのパンピーな庶民たちに力を与えすぎたり自分が正しいとか思わせたら一気に社会的な腐敗が始まる。
インターネットが進化した現在では、「全員参加の政治」は技術的に可能かもしれない。それをやらないのは、民主主義が根本的に間違っているからです。
今の世の中はおかしい、今の世の中はギスギスしている、生きづらい・・・・・・・とかみんなよく言う。
特定の人間、特定の階級を重んじる風潮が減少して、市民全体を信用する感じになっていくとどうなるのかというと、世論の暴走が始まる。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。