金(money)はゴミ、ってのは金本位制が崩壊してからはホント、ジョークじゃなくて。だから、ゴミを稼いだらそれを価値に変換しておかないといけない。
会社から得た金は、税金を吸い上げられて国に持ってかれた後に銀行口座に入る形で入金される。銀行の金は、全預金者のカネがまるまるあるわけではなくて、企業に貸し出され、また国債に変えられてるし、レバレッジがかかる形でどんどん市中の流通量が増やされてる。一生懸命、銀行残高(貯金)を増やそうとしている人は、お金を使わないと言う選択をしたわけではなくて『銀行に使う』という選択をしている。銀行からすると、定期預金などは売るもの。そして銀行に集められたマネーは企業と国に回っていく。不動産業者(マイホーム信仰)、会社(出世・安定信仰)、国や銀行(貨幣・貯蓄信仰)、学校教育(学歴信仰)、就活産業、車産業(車検スパン短いよね、利権だよ、各種の税が絡むよ)などによって、ある種の囲い込みが形成されている。年功序列や社会保障のネズミ講なども考えれば、ふつーに生きるだけで人生は他者にしゃぶり尽くされるようにできている。
そして日本の財はたぶん、アメリカに持ってかれてる気がする。
そもそも一日、24時間365日しかなくて、必要な睡眠時間などもあるというのに、大半を仕事に奪われていてどうするというのだ。そーやって有限な人生を切り売りして獲得したマネーはたんまり税を引かれたものである。そして社会保障の構造的不利・不平等をくらう。そして生きるのに必要な最低限の生活費が差し引かれていく。家賃、水道光熱費、通信料、交通費…..。お分かりのように、資本家とインフラ産業(エリート既得権)に吸って吸って吸われまくる構造である。
残された時間と金。わずかな時間と金。これを博打打ちに使う。あぁ、愚かな。
これは陰謀だ。陰謀ゲームだ。カネを追った人間が負けるようにできている。まさか、お金の問題が金を追うことで悪化するなんてこと、ミステリー小説を読み慣れてるぐらいの人じゃない限り気付かないだろう。
合言葉はこれだ。Don’t chase money.
カネでは無くて、カネに変わりうる何かを追いかける必要がある。資産かもしれないし、資産を構築し得る経験かもしれないし、キャリアを磨く道かもしれないし、スキルや名声を得る道かもしれない。
ただ、ひたすら『日々の生活を凌ぐためのマネーを得に行く』という理由で資本主義市場に接続すれば骨の髄まで人生をしゃぶり取られる。そういう仕組みが国全体に張り巡らされている。
じゃあ、どうしたらいい?思うに、答えは5つ。重複してても良いし、どれかを選んでも良い。一つ目は、好きなことをやるってこと。楽しいと思える仕事があるのなら、万事解決だ。二つ目は資産を得る方向性で努力するということ。資産を獲得すれば消耗戦からは離脱できる。三つ目はキャリアを築くという意識で働くこと。人的資本を膨らませ時給が高くなれば、高待遇労働者としてそこそこ楽しくやれる。四つ目は省エネで生きる道を探し、社会資本や他人資本、会社のリソース、他力などにとにかく乗っかること。楽したりワークライフバランスに走ったり低空飛行で生きることを考えるわけだね。仕事以外で楽しみを見つけよう、という意味でもある。五つ目はチャレンジだ。どうせなら、自分に制限なんてかけないで、やりたいことをやってしまおうぜ、ってことだね。
楽しくない、資産を得られない、キャリアにならない、手抜きできたりプライベートが充実するわけでもない、やりたいことができるわけでもない、、、、、、
そんな状況の中、生活のためだけに、という理由でそこそこ厳しくて楽しくなくて、キャリア形成にもならず、人生を消化していくようなスパイラルに入ってしまったら。
もしかしたら、どこかでチェックメイトされちゃうかも。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。