『吾輩は猫である』は単に文学的作品としての価値だけではなく、社会風刺性もあり日露戦争の出来事が盛り込まれおり、バルチック艦隊の進路や旅順の戦闘が引き合いに出されている。また、「大和魂」という精神主義の高揚は、作品の中で揶揄の対象となっている。
『三四郎』に登場する「髭の男」は、日露戦争の勝利で一等国になった日本が実は自滅に向かっていることを予見し、「滅びるね」と語った。
明治4年に行われた夏目漱石の講演、「現代日本の開化」では問題の本質を見事に射抜いている。
西洋の場合、自発的だった。しかし日本は外圧によると。
西洋の近代化は歴史的必然だったが、日本は世界に巻き込まれただけだった。これはこの先も、そして今に至るまでずっと続く日本の典型的な構図である。
外圧でしか変われない
というのは日本人、日本的組織の決定的な特徴である。
西洋をお手本として即席でアップデートした。急に自己本位の能力を失った。夏目漱石に言わせれば、開花の推移は「自発的」でなければ嘘だという。
流されるようにして近代システムに組み込まれ、近代を知らないまま、無我夢中で飛びついた。日本は欺瞞に欺瞞を重ねた。ハイカラで、虚偽で、軽薄。タバコを吸ってもろくに味もわからないガキのくせに、タバコを吸ってさも「うまそう」な顔をしている人間は滑稽である。それが日本人。それをしなければ立ち行かないというのもまた悲劇。
強烈な不安があると、すぐに自らを過度に評価したり、ナショナリズムに訴えてしまう。あるいは急反動で落ち込んでしまう。アメリカに隷属し、主体的な選択を放棄しながら、一方で自主独立を訴えたりめちゃくちゃ。
大体バカというのは
日本には富士山がある
などと言い出す連中である。
上滑り、自惚れ、勘違い。
夏目漱石は当時において、「この急場をどう切り抜けるかと言われても、私には名案も何もない」と述べ、ただ出来るだけ神経衰弱にかからない程度において内発的に変化していくしかない、という話をした。日本が一等国だ何だと浮かれている時に水をかけて申し訳ないと言った。
漱石のこの態度は、実は「冷笑」でも「皮肉」でもなく、極めて誠実な知識人としての立場だった。自分自身もまた西洋的教養の重圧に苦しみ、留学先のロンドンで精神を病んだほどである。だからこそ、彼の言葉には現実を直視した重みがある。
「内発的でなければ開化は嘘である」とは、文明の模倣に走る日本人への批判であると同時に、漱石自身の切実な体験の告白でもあった。西洋的合理性を身につけようと努力すればするほど、内面はバラバラになり、統一感を失う。漱石はその亀裂を、文学によってかろうじて繋ぎ止めた作家だった。
結局、日本の近代化は「外形的」なものでしかなく、国民の精神の奥行きにまで根を下ろさなかった。教育制度、軍事制度、議会制度、すべてが西洋のコピーにすぎず、そこに「日本人自身の必然」が存在しなかった。この矛盾が、後の昭和の破局を必然づけたとも言える。
漱石は、そうした歴史の運命を直観的に感じ取っていた。だからこそ『こころ』の先生は「時勢」という見えない力に押し流され、孤独に自死するしかなかったのである。近代化が生んだ虚無を、漱石は文学の形で体現したのだ。
そして我々は今もなお、その延長線上に生きている。外圧による改革、外圧による制度変更、外圧による価値観の転換――。いまだに日本人は「自分で選び取る」ことができず、世界に振り回されている。
漱石が訴えた「内発的な変化の必要性」とは、100年以上たった今なお、日本社会が最も苦手とし、最も欠落している部分なのである。
山本七平は、スローガンも何もない
彷徨える
という状態について、「急に目標が失われ、変化が止まり、今までの惰性で精神だけが在来の方向によろめき出ている」と説明した。何やら目標と変化が欲しいが、誰もそれを与えてくれず、と言って到達した安定を失うという犠牲を払ってまで自己の意志で何かをしてこの状態を変えたいとも思っていないが、しかし現状にも不安や不満があると言った状態。
人生でもよくある構図。山本はこれを否定しなかった。人類の長い歴史において、むしろそれは「普通」だとした。その状態でもあえて生きるという実績の積み重ねが文化を形成するとも言った。
しかし、明治以降の日本はこれを忘れたというのです。いわば、全国民的な目標、スローガンを掲げて、同時に到達すべき目標を国外を基準に設定し、全員がそれを目指すべくマスコミが扇動される状態。それに心理的強要がある。
こうやって、戦前から戦後に向かって掲げられた目標の共通の主題は「負の充足」だった。言い方を変えると、「負の充足」というものが立ちえない時に彷徨えるという状態が出てきた。
山本七平のいう「負の充足」とは、他者や外部の基準に自らを委ねることで一時的に安心感を得る心理構造である。戦前なら「西洋列強に追いつけ追い越せ」、戦中なら「一億玉砕」、戦後なら「アメリカに学べ」「経済大国をめざせ」。いずれも、内発的な必然から出たものではなく、「外から与えられた課題をクリアする」という受動的な態度だった。
漱石が指摘した「外圧でしか変われない」という日本の構造は、明治から戦後を経て今日まで一貫している。つまり「主体的に問いを立てる」ということをせず、つねに「他者の目」「他者の評価」を鏡にしてしか動けない。それは一見ダイナミズムを生むが、裏返せば自己を空洞化させる。
戦後日本の「高度経済成長」も、実はアメリカの覇権秩序において与えられた「宿題」であった。経済成長という目標は、国民に明快で心地よいスローガンを与えたが、それが終わったとたん、日本は漱石が予言した「彷徨える状態」に突入する。バブル崩壊後の停滞がそれである。
このとき、漱石の言う「内発的な変化」こそ必要だった。ところが実際には、山本七平が指摘するように「外部のスローガンを待つ」という習性が抜けず、「改革」「構造調整」「グローバル化」といった言葉にすがりつくばかりだった。その結果、社会は不安を直視することを避け、ただ「負の充足」を繰り返す。
漱石文学の価値は、まさにこの日本的精神の構造を、すでに明治期に透徹して描き出していた点にある。彼は「彷徨うこと」を否定せず、それを直視した。だが日本の社会は、スローガンや目標を喪失することに耐えられず、外部からの課題にすがるしかなかった。
ここにこそ、漱石が見抜いた「近代日本の病理」がある。そしてそれは、明治から令和に至るまで、まったく克服されていないのである。
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説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。