世の中の宗教というのは、要するに、全部妄想の話である。
そして、妄想であるならば、「とてつもないスケール」であった方が良いだろう。ということで、宗教は「とてつもない嘘」の世界なのであるが、例えばキリスト教なんかは、「あの世の話」によって「この世」を支配するシステムである。これは実は、元祖はプラトンである。
プラトンのイデア、なんかがまさにそれ。
ニーチェはこれを「高等詐欺」と呼んだのである。
ニーチェは童貞らしく、世の中を斜に構えて捉えるのが大得意なため、さすが、ズバズバ切り込む切れ味がある。「神は死んだ!!!」と言えるのがニーチェだ。
宗教や哲学を
胡散臭い!
と一刀両断できるのはさすがであろう。
しかし、その「高等詐欺」としての宗教や哲学が果たしてきた役割もまた無視できない。人間は不安や孤独、そして死の恐怖に直面したとき、自らの存在を支える何かを求める。だからこそ、壮大な妄想であっても、それを信じることで生きる力を得る者が多いのだ。
現代社会においても、宗教が完全に消え去ったわけではない。むしろ、形を変えて残り続けている。例えば、国家やイデオロギー、さらには「経済成長神話」や「成功の神話」も、ある意味で宗教的妄想の延長線上にあるとも言える。
これらの神話は、個々人に「意味」や「希望」を与え、社会秩序を保つための「精神的な枠組み」として機能する。だからこそ、ニーチェの叫び「神は死んだ!」は、単なる否定ではなく、古い神話から新しい価値体系へと移行する苦痛と混沌を象徴している。
つまり、宗教という「嘘」は、単なる欺瞞ではなく、人間の根源的な精神的ニーズを映し出す鏡でもあるのだ。
だが、我々はそこにどこまで盲目的に従い、どこで疑い、そして超えていくのか。これが個々人に突きつけられた課題であり、時代ごとに答えは変わり続ける。
だからこそ、「妄想の世界」である宗教の本質を見据えつつも、ただ否定するだけで終わるのではなく、その背後にある人間の深層心理や社会的役割を理解しなければならない。
そして、現代の我々は、もう一度「神の死」を超えて、新たな価値や意味を自らの手で創造していく責任を負っているのだ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。