モテファッションの鉄則は、とにかくシンプル。服もアクセサリーも、できるだけ主張のないものを選びましょう。女性の目線では、「ちょっとつまらないな」「物足りないな」と思うくらいがちょうどいいのです。ーp123
その通りでございます。
しかしながら、大方の女性は、「ファッションは男ウケするためにやっているんじゃない!!(自分がしたいファッションをする、自己表現のためにしている、自分なりの美の追求のため、自己満足のため、自己変革のためにやっている)」という気持ちと、「でも良い出会いが欲しい、良い恋がしたい」という気持ちの間で揺れ動くようなアンビバレントな心境にあります。他者の存在を意識に介在させない自己評価的動機と、他者の存在を意識に介在させる他者評価的動機との間で揺れ動く。
1番の理想は、自分がやりたいようにやっていて、そこに他者評価がついてくるような人生でしょうか。
なので、女性は自己のファッション含め、自分のありのままを肯定・受容するような男を求めているワケで、それを女性は「包容力」「理解力」などとラベリングし、そう呼んでいるわけです。
これは男性で言うところの「仕事に自己実現を求めたい、やりたい仕事がしたい、好きな仕事がしたい」という気持ちと「でも現実的には社会にうまいこと迎合するしかない」という気持ちの間で揺れ動くのと似ていますね。
基本的にやりたいようにやって、ありのままで生き、それでどこかに需要され人気と評判が持続するというのは世間的に、「才能」と呼ばれる天井人の世界です。これはもう、DNAとか生育環境とか受けてきた教育に起因するものです。
大方の人に才能は無いので、どこかでマーケティング的な振る舞いを習得していきます。つまり、マーケットに寄せていくのです。迎合するのです。
しかし、マーケットに寄せた自分に幸せを感じなくると、いよいよ人生の岐路がやってきます。自分を押し殺してでも迎合することで対価(異性、金)を得続けるべきか?と真剣に悩み始めるわけです。
他者に迎合しても幸せになれない自分を自覚すると人はどうなるかというと、
- 孤独になる、変わり者になる、負け組とラベリングされる覚悟でマイウェイを貫き通す
- 迎合していく
- いい塩梅での落とし所を見つけていく
のどれかを選択していくのでしょう。
つまり、ニートになるか、めちゃめちゃ働いて稼ぎまくって休日に散財したり趣味に没頭したりしてバランスを取るか、ワークライフバランスとかを求め始めるか・・・・みたいなね。
刈り上げして頭カラフルにして顔面ピアスしまくるか、女性誌に出てくるモデルをトレースしたかのようなゆるふわ優雅系エレガント女子になってサラダを取り分けはじめるか、いい塩梅を探すか・・・・みたいなね。
結局のところ、「自己実現」「自分らしさ」「ありのままの自分」なるものはある種の幻想であって、どこかで折り合いをつけなければなりません。この折り合いなるものをあまり意識しないで良い人を才能があると言い、折り合いをつけることをそこまで苦に感じない環境にあることを適性があると言うのです。
「この仕事は天職だ!仕事しててハッピーだ!毎日朝起きるのが楽しいよ!!やりたいようにやってきただけだぜ!!人生って楽しいことしかないじゃん!!」
「私は子育てが好きだわ!この旦那と出会えて本当に幸せだわ!!苦なんて何もない!!」
というのは才能があるということ、
「この仕事をやる上で辛いことも苦しいこともあったし、大変なこともあった。今もそれなりに努力したりしないといけないけど、それほど苦ではない。というか、ここまで続けてきてこれたってことは、成果が上がり続けてきたってことは、それなりに向いているのかな。正直、今でも悩んだりするけれど、それでもこれで良いかなと思っている。」
「子育てをするのはすごく大変で、辛いことも苦しいこともあるけれど、それでもこれ以上にやりがいがあることはないわ」「今の結婚生活について幸せかどうかって言われたら即答できないけれど、多分、人生もう一回やり直してもこの人と結婚するわ」
ということは適性があるということじゃないでしょうか。
私はそう思います。
適性がある人の言い分はいかにも大人っぽいですよね。
才能がある人の言い分は子供っぽいですよね。純粋無垢というか。
才能の有無というのは、ある意味、そこらへんですね。
大人というのは「諦めの集積」「妥協の産物」「折り合いの集大成」のような生き物で、「大人っぽい」というのは要するに才能が無いけどそれなりに社会生活を安定して営んでそうな、そこそこうまくいっている大人が言いそうなことを言っているのが大人っぽいということです。多くの人の頭の中にある「それなりの社会人のイメージ」とダブるってことです。
本気で才能がある人は若干、幼稚じみています。なぜなら、多くの大人のようにそれほど擦れてないからです。
所ジョージさんが、
苦労とか努力とか言っているってことは才能が無いってことだと思うよ
っていうのはそういうことなのです。
なので、男も女も、人生のどこかで「思いっきり自分らしさや自己を貫き通した時期」と、「思いっきり他者に迎合した時期」の両方がある人は、それなりの年代になって来ると心地よい落とし所を見つけてそれなりのところに収まります。
人間のすべての需要は結局、最終的には
「感情、気分」
に行き着くところがありますので、「自分は自分を貫き通して自己満足を得られるのか」「自分は他者を通して自己満足を得られるのか」「満足の形は結局何なのか」「本当に欲しいものは何だったのか」というものを自問自答していく、そして答えを見つけていくのが人生における旅です。
結局、人は外の世界を彷徨っているようで自己を掘っている。
自分が本当に欲しいものは何なのか。
自分はどれだけ、外的なものに寄せたり教育を受けるべきなのか。染まるべきなのか。
どの程度まで自己を貫き通すべきなのか。
自分が水を得た魚のように活力を得られる環境と、人との繋がりはどこにあるのか。
若さには限りがあり、そもそも時間とお金について余暇が無ければ何も探ることはできず、お金を得ようと思えば洗脳される他なく、時間を得ようと思えばお金が無くなり、異性ウケしようと思えば一時的に自分を見失う。
そして、恋愛を追えばキャリアが犠牲になり、キャリアを追えば恋愛と家庭が犠牲になり、・・・・・という難しいトレードオフはあちこちに張り巡らされています。
基本的に、全てを手にして見えるような人は、実際のところは全てを得ようと最初から志向しているというわけではなく、何か一つに絞ってそれにとことんこだわった結果、結果的に他のオプションまでついてきてしまったというパターンの人が多いように思います。つまり、あれこれ手にしているように見えて、その人は実際のところ、そのあれこれを失っても割と平気な顔をしてられるような人だったりするのです。
日本人の不幸は、
- 親世代が中途半端に裕福で裕福の味をしめてしまう(自分の実力と努力がもたらしたわけではない豊かさや快適さに浸ってしまい当たり前の基準値設定を間違えてしまう)
- サラリーマンなどに代表されるように、給料不相応の働きしかしていないのにそれなりのリターンが得られること、それを当たり前と思ってしまう(例えば職人の世界は数年無給で丁稚とか普通です)。
- 周りの目ばかり気にしてしまう、周りにばかり流されてしまう
というところにあるでしょう。
学生時代から、親の金で行った大学でパリピ生活をして友達との遊びだの恋愛だのなんとかだのにうつつを抜かし、特に考えも無く生きている人たちを見て、「いやー、お気楽で良いですねー、身分不相応な報酬に浸ってますねぇ」って思ってました。
案の定、彼らは社会に出てみんな泣いています。
今の自分の状況を不幸だ、自分が得たいものが手に入らない、人生が思うようにいかない、と感じているわけですね。
当たり前ですね。
親元を離れて親の偉大さに気づいたり、会社を辞めて自分の無能さに気づいたり、自分の稼ぎや給料が上がらない理由について本気でわからず不満を抱えている人たちを見ると、たまに、びっくりします。
自己啓発本で「自己否定が大事」とか「ありのままでOK」とか「良い環境を探せ」「転職しろ」「ありのままを受け入れてくれる男を探せ」とかいう様々なアドバイスを受けて混乱している人がいますが、これらは全て「商売感覚の問題」だったりします。
リサーチをし、需要と供給を理解し、マーケットを分類・分割し、自分の戦場を決め、そこでの自分の売り出し方とポジションを考え、具体的なサービス、値段、広告宣伝、流通を決定していく・・・・・・。
結局、そういう話ですから。マッチングとトレードの問題です。
自分のことを100円だと思っていたら、1000円で売れているとラッキーって思えるだろうし、700円でしか売れなくなってもまぁ、そんなもんかってなりますよね。あらかじめ、それ(落下)を見越しておくこともできたはずです。でも、自分が1000円で売れている状況を当たり前と思っていて、それが700円になると人は不幸を感じるわけです。
こーゆー感覚がわからないと、恋愛市場、就活市場、転職市場、消費市場など、すべての場面で苦労するわけです。
人生に絶望するとか希望をもつとかそういう精神論はさておき、シンプルに、需要と供給、取引で考えれば頭がスッキリするはずです。
全くモテない女子でも、男子校に降り立てば、年齢層高めのスナックに降臨すれば、その瞬間から激モテです。女性誌に書いてあるような意識高いことしなくても自然体で激モテです。
そういうことです。
男も男で、全然キャリアがうまくいっていないのなら、例えば地方に行くとか、小さい企業で働くとか、明らかに周りのレベルが高くない世界に降りていけばその瞬間から激モテ・無双でしょう。なんなら、発展途上国に行くのもありです。日本で結婚難民になったけれど、フィリピンに行って若い女性をたぶらかして豪遊しているリッチでもなんでもない50代おじさんとかいますから。
ネットで、究極の選択として、
- イケメンだけど貧乏
- 不細工だけどお金持ち
のどっちと結婚する?みたいアンケートがあって、大方の女性が「不細工だけどお金持ち」を選んでいました。
でも、そんな中で、ごくわずかの女性が、
イケメンだけど貧乏な男性と結婚して、出世させる
という意見を述べていましたが、これがおそらく人生上手くいく人の発想だと思います。
アゲマンですね。男もそういう発想ができる人の方が経済的に成功するでしょう。成功した経営者のサクセスストーリーとかを読むと、もともと大企業で高給もらっていたのに、先を見越して会社を辞め、将来性がある小さな会社に転職して給料は大幅にダウンしたけれど、そこで出世し、しかも会社も大きくなった・・・・・みたいなパターン、結構ありますから。
思考、発想、捉え方、行動、、、、、これらで人生が変わるのは当然ですね。
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。