結局、奨学金をもらって、家には大きな負担をかけないということを条件に、京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)電気科へ入れてもらうことになった。当然のことながら、行かせてもらっているのだから、小遣いは十分にもらえない。帰宅すると、すぐに草刈りとか家の手伝いをさんざんやらされる。これはかなわない、と始めたのが塾の経営である。塾の経営といっても、自分でビラをつくり、ガリ版を刷って生徒を募ったところ、これが意外に集まった。六畳の部屋を改造して教室にした。机も自分でつく理、近所の中学生と小学生を二つのクラスに分け、教え始めた。月謝は一人四百円。ピーク時には生徒数も六十人から七十人を数え、大繁盛だった。昭和35年ごろのことだ。当時の大卒の初任給が約八千円。私はその倍以上の収入があったので、生活には余裕があった。通学用にバイクを買って乗り回していたが、それでもずいぶん金を貯めた。ーp53
昔だからできた?いや、そんなことはないと思う。いつの時代も、商魂たくましい人とそうでない人がいて、前者はそれなりに苦労しながらも、金銭的なリターンを得ている。そういう経験を積んでいる。でも、後者はサラリーマン根性。サラリーマン根性を拗らせてしまうともうどうしようもない。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。