もう恋愛に疲れた、傷つきたくない、と言ってる人にハイスペックはいない件について
悲しいかな、人生は生まれ持ったスペックで決まっているところがだいぶあるのかもしれない。恋愛にも疲れた、傷つきたくない、と言っている人に外見的なハイスペックを備えている人はいない。圧倒的に外見的なハイスペックがある人でそういうことを言っている人はいない、ほとんどいない。
人生がうまくいかない、傷つきたくない、疲れた、この手の悩み迷い苦しみの根底にあるのは、自分が弱者であると言う現実であって、さらにその現実を直視するのが辛く、ただ単に外部の理不尽や問題点が気に食わない、などに論点をすり替えて延々とふさぎ込んで入れれるのが闇の深さなのかもしれない。本当は自分でも問題の本質がわかっているのかもしれないけれど、だからこそ闇が深い。だからこそ苦しいのである。
人生に疲れてない人、ハッピーラッキーGoing!な人は、生まれ持ったスペックが強すぎる。最初から多くを与えられている。だからイージーゲームで物事が進んでいる。子宮の宝くじに外れた人と、大当たりした人では、人生でかかっているコストが全然違う。疲労感が全然違う。明らかにこの世界は不平等である。
愛、平和、平等は基本的に嘘だ。
世の中はカオ、金、家、歳、胸、尻、脚だ。学や芸で成り上がれるケースもあるけれど。
失恋だったり、セフレ止まりだったり、憧れのあの人に届かないという片思いの苦しみであったり、その辺の類の悩みで苦しんでいる人たちにハイスペはいない。いろいろごちゃごちゃと語って、問題をややこしくしていたりするけれど、結局、その問題のセンターピンはお前の顔だろう、みたいな人は少なくない。そしてきっと、いつか人は、自分の価値を正確につかんで、置かれた場所で咲いていく、妥協していくという解決策に落ち着いていくのだろう。
妥協の産物として生んでしまった、人生という名のネズミ講の継承者である自分の子息に対して、一体何を語るのか。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。