日本ではB型が嫌われているが、圧倒的に付き合うリスクはAB型の方が高い。なぜならB型は素直であり、AB型は欺瞞だからである。
B型嫌いの主張として、
- B型のこういうところが嫌
- B型のああいうところが嫌
- B型のこれが迷惑
みたいなものがあるが、それはB型が仮にそういうパターンだったとした時、「それが嫌」というものである。
それに対する好き嫌いは個人的好みであり、多様性の観点からも容認でき、そもそも事前予測が立つ。
嫌なら付き合わないでいい。
(当のB型も、自分のことを嫌いな奴はそれでいい、と覚悟)
ところがAB型の場合、
- AB型はこう
- AB型はそう
みたいな特徴を、「あたかもそうじゃないように偽る」のである。
AB型的な性質に対して、「違う仮面」をかぶる。
そのくせ、「結局、それかよ」みたいなところに回帰したり、ジョーカー的に引っ掻き回すことがある。
A型の場合、建前や仮面で合わせたとしても、
「合わせた手前、筋を通さないと」
というもので責任を履行しようとするところがある。
この点は、O型とA型の気が合うところでもあり、実際、社会はOとAが形作る畏まったシステムで回ってるところがあるだろう。
しかしAB型は、そこを引っ掻き回す。
なぜAB型はジョーカー化する?
AB型が“引っ掻き回す”存在になるのは偶発ではない。
構造的にそうなりやすい理由がある。
① ①対立(二項対立)を両方抱えている
A的な理性と、B的な衝動を同時に持つ。
しかしどちらにも完全に振り切れない。
② “第三の立場”を取りたがる
→ このとき、既存の秩序(A的・O的)に対して反逆する。
→ しかもB型のような正面衝突ではなく、「裏から崩す」。
③ 立場が曖昧なため、責任の所在が不明になる
→ “どっち側の人間なのか?” が不透明なため、
信頼よりも 猜疑心 が先に芽生える。
ここに、AB型の“ジョーカー的ポジション”が誕生する。
B型に裏切られるとき、
それはたいてい“最初からわかっていたこと”である。
A型に裏切られるとき、
それは“本人が葛藤した末の苦渋の判断”である。
しかしAB型に裏切られるとき、
そこには 理由の説明が存在しない ことが多い。
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「なぜそうしたのか?」
「昨日と何が変わったのか?」
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これを問い詰めても、
本人自身がわかっていない、
あるいは 説明する気がない というケースが多い。
ここで“欺瞞性”が顔を出す。
AB型で、人生うまくいかない、という人は、
周りから、社会から、信用されていない可能性がある、という自覚を持とう。
なぜなら、あなたが散々言われてきた通り、
「意味不明」
だからである。
多くの人は、ほとんどの場合、
- AB型とは関わらない方が良い
- AB型とは距離を置いた方が良い
という結論に達する。
AB型を理解しようとしない方が良い。
むしろ、
「理解できない存在」として扱った方が、健全な距離が保てる、と行き着いてしまう。
これは諦めであり、不信(不審)でもある。
AB型のあなたを世間が見る目は、
世間が小泉進次郎や岸田文雄を見る目である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



