弱者を「そのままでいいよ」と優遇すると、短期的には良くても長期的には滅びる

弱者を「そのままでいいよ」と優遇すると、短期的には良くても長期的には滅びる。例えば、対外勢力に滅ぼされるようになる。日本は江戸時代の170年間低経済成長だったけれども、海外勢力がやってきて慌てて体制を変えた。

末期がん患者に薬物を投与する、みたいなのがあるけれども、間違った優しさは「終わりの始まり」でもある。

ヒトラーが「我が闘争」の中で、弱者を擁護するとどうなるのかについて論理的に語っていたけれども、その論理展開は間違ってなかったと思う。彼は、自然のシステムは「適者生存」「強者至上主義」的であるというような話をしていて、仮に弱者を保護するような歪めたシステムを採用しても、外部の強者に襲来されるようになってそのコミュニティは丸ごと消えると言っていた。そして、それが「絶滅」のメカニズムであると。

割とその通りだと思う。

 

まぁ、「日本という社会・システム」が、ある種の支配体制にとって都合の良い書いて字のごとくの「国という家(ファミリーシステム)」であるから、

  • 日本らしさを根強く続ける → 絶滅
  • 弱者(虐げられてる層)を甘やかすアンチエスタブリッシュ → 絶滅

のどっちに行ってもこうなると俺は思う。あながち、「暴力による社会革命」とか言っている怪しい勢力の言い分も間違ってるとは私は思わない。だって、暴力が吹き荒れる戦国時代を経由して、豊臣の世、徳川の世があり、そして幕末に下克上で明治でしょ。その明治体制を昭和まで続けて、戦後があるわけじゃん。三井の歴史とか凄まじく長いでしょ。福沢諭吉とか元武士だぞ。幕臣だぞ。織田の末裔もいるじゃん。

かといって現行の体制を完全否定もできないところがある。実際、現行の支配体制が世界に対して戦ってきていて、一定の実績があるのも事実だからね。

 

この世界はある種の生態系で、ジェンガみたいなもの。

沖縄のハブ対策でマングースを輸入したら、マングースがハブを食わないで貴重な生物を食い荒らすようになって、結局マングース対策にとんでもない公費が使われるようになった・・・・

みたいな有名な失敗談があるけれども、日本人はこういう「劇薬」を恐れている。長い自民党時代を経て、民主党時代に変わった時も日本人が現行のやり方にNOを突きつけた形だったけれども、結局自民党に戻った。その時をアレルギーに感じている人もいる。

 

今の日本で危ないのは、

AかBか

で掲げられている対立軸のそのどっちも間違ってるってこと。

 

結局、世の中の人が政治に関心を持たないのは、政治よりも、「個人の努力で現行の社会構造を這い上がる」ことがより、自分の利益に近いように思えるから。人は利益で動く。利益のリアリティで動く。

4割〜5割が選挙に行かないのは、「別に政治に頼るほどひ弱じゃないから」っていう層や「今の生活に不満がないから」って層もいるだろうし、「諦めてる」「時間が無駄」「どうせ変わらない」「期待してがっかりしたくない」「え?なにそれ美味しいの?それより肉フェス行ってクラブ行ってセックスしたいんだけど?」っていう層がたくさんいるからでしょ。

多分、社会の多くの人が、「自分とは利害が反しているはずの巨大政党」を支持したり、「弱者向けの政党」に思えるところを支持しないのは、「自分が弱者であることを認めてしまうような気がするから」という認知的不協和の回避もあるだろうし、シンプルに政治に注いでいるリソースが無いのだろう。自分が現行の社会構造の中で這い上がることにフォーカスした方が良いと思っているからだろう。そして、政治活動に熱を上げている人たちを見て、

「社会的に終わった・詰んだ人たちの集まり」

のように見えたりすることも関係しているのかもしれない。

 

多分、弱者が興味があるのは、

「弱者優遇」

よりも、自分が「弱者を脱して強者になる方法」であって、そんなに公共の利益に興味がある人たちがいるようには見えない。社会のレスポンスを見ていても、やっぱり、無料で投票できる政治よりも、お金を払ってでも強者になろうとする行動が見受けられる。

もしかすると、弱者を優遇すると、その先で露骨な結末が待ってないことを知っているからかもしれない。日本人は割と根性論の文化があるから、甘えた人間が良く無いという発想もあると思う。

 

個人的に、大事だと思うのは、

  • 弱者を強者に引き上げるシステム(これにより弱者も明日の希望が持てる)
  • 強者を優遇するシステム
  • ただし、強者は「弱者を虐げる」方向ではなく、「全体利益に還元される」方向性で伸ばしていくような優遇システム

を調和する形で形成していくこと。じゃないと、確実に勝てなくなる。

日本人は、戦略の筋道に含意できたら、それなりのハードワークに耐えられるマインドを持ってる。日本が、昔みたいに、「日本最高!日本No.1!日本は強いぜ!」ってなったら、アメリカ人みたいに調子乗る気質はあると思うし、そうなってる時はそれなりに日本人は頑張ると思う。

まぁ、戦争も経済も負けたんですけど。笑

山本五十六の時代から、自国礼賛の将にまともだった奴がいない。まぁ結局、外部のコンテクストを理解せずして勝ち筋を見つけられるわけはない。

 

自国の内々で、

「庶民の生活を・・・・」

ってやっててでも、どうやって日本が世界で勝つかを真剣に考えない限りは無意味。

これがまぁ、野党が支持を集めにくいところ。

つまり、弱いと思われてる。与党できないだろって思われてる。政治に限らず、会社にも与党野党おるけど、野党は「弱者の烏合の衆・傷の舐め合い」って思われがちなところがある。リーダーとして向いてるのか、みたいな議論がある。ドナルドトランプがアメリカで這い上がってくるのは、彼の無茶苦茶さはさておき、強いだろって思われてるところがあるよね。国民に。

いい人ではリーダーはできないってよく言われるのはその辺。

少なくとも、日本で中枢やってる連中には、野党よりは貧弱さがないというか強かさがある。少なくとも、国民は、自分たちが政治家に騙されてるのを感じつつ、その狡猾さを対外的には頼もしいと思ってるアンビバレンツな気持ちがあるんでしょ。少なくとも、外交とかではかなり強かな対応は見えるからね。

国民これだけ騙させるんなら、これが味方についた時は心強いでしょ、と。

女の子が男に惚れる時の心理に近い。

 

選挙活動で、弱者向けに演説をする人たちが拍手喝采をして盛り上がっているけれども、それを白い目で見ている強者たちもいる。何故ならば、強者は強者でそれなりに苦労があるから。強者は弱者以上に苦労している。実際、日本の強者は「日本は強者を虐げる、頭を押さえつける」として、海外に逃げたがっている人たちもたくさんいるのである。

 

弱者を肯定すると危ない。

弱者を強者に導く形でありながら、

強者が全体利益に貢献・還元できる世界に冠たる強者大国、

強者優遇にしないとアウト。

 

結局、細部の議論というか、タコツボ化社会とかいうだけあって、瓦解しているというかバラバラになっているシーンはあちこちで散見される。

結局、日本人は特定のセグメントでコミュニティを作って群れることしかできない。それは、過去の全体主義が派手に失敗した反省とアレルギーもあると思う。日本で全体主義に失敗してやらかした人間たちも責任を取ってない。その象徴であった皇族もまだ息してるからなぁ。財閥解体も半端だったし、有名大学もそうじゃん。なんなら、自衛隊だって旧帝国軍隊の名残があるぜ。

 

集団の力学はマジで面倒臭い。

どう考えても俺にはリーダーの才能があるけれども、それに背を向けた。

リーダーシップはフォロワーシップ無くして成り立たない。

 

個人の芸に走った。

俺は社畜を降りた。

集団に期待なんてしてない。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。