- 「踊る大捜査線」
- 「白い巨塔」
- 「古畑任三郎」
- 「やまとなでしこ」
といった名作ドラマ、ならびに、「トリビアの泉」のようなバラエティ番組がつくれたフジテレビがどうして凋落に至ったのか。
昨今は、あの村上ファンドの娘に、
不動産事業を切り離せ
とまで言われるようになっている。
今のフジテレビは不動産で持ってる部分があるので、それを切り離すと厳しい。
インターネット台頭の2000年代
変な話だが、フジテレビは「ひろゆきにやられた」と言えなくもない。
ひろゆきが創設した2chに筆頭されるようなネット文化は、これまでの、
「テレビを一方的に流されるオーディエンス」
という構図を変えた。
それこそ、「月9」を死後にした。人々が、毎週の決まった曜日・決まった時間に特定のドラマを楽しみにお茶の間に集まる流れをぶっ壊した。
人々はネットというおもちゃを手にして、インタラクティブコンテンツで遊ぶと共に、時間やラテ欄に囚われないようになった。
それから、今のyoutuber時代にいたるまで、はっきり言ってテレビの企画力・製作力・予算を追い越したことはない。せいぜい、ネットフリックスが肉薄するくらいである。
にも関わらず、テレビメディアがネットメディアに押しやられたのは、やはり
- 体験の斬新さ (と潜在的なテレビへのマンネリ)
- 時間やチャンネルの自由
にあったといえる。
だが、フジテレビを筆頭に、テレビのコンテンツが急速に悪くなったわけではない。
ホリエモンの戦略的ビジョンは正しかった
ホリエモンの商売・経営センスは微妙なので、なんとも言えないが、少なくとも最盛期に言っていた、
テレビとネットの融合
というのは、その後のフジテレビの凋落を見ると正しい。
要するに、フジテレビは早い段階でネット時代を受け入れて、融合すれば、ネット票も拾えた可能性がある。また、今やっている「FOD」のサービスも、スタートが遅きに失した感がある。
もっと早く・うまくやっていたらネットフリックスの代わりになれた。いや、ネットフリックスの台頭を防げたかもしれない。
フジテレビを筆頭に、民放各社が最近やったことで、唯一
うまくやった
と言えるのはTverである。
Tverをやっていなかったら、テレビ離れはますます加速していたことだろう。
youtuberの台頭は、本質的には芸能事務所のしがらみのなさ
結局、ゲストMCに吉本興業の大物芸人を使い、ひな壇はそのMCがやりやすい「傘下の芸人」をたくさん集め、息のあったプレーをするが忖度が働く、という構図。
あるいはジャニーズ、AKB(秋元康系)に頼る構図。
この「構造がもたらす既視感パターン」を打ちやぶったのがyoutuberだったといえる。
youtuberの場合は、既存の芸能界にある「組織的なしがらみ」がなかったから、自由なスタイルでいろいろな演者が台頭してきた。
正直、ど素人でしかないyoutuberがそれなりに注目を集めたのはその一点だろう。
そしてこのスタイルの演者も、一通り出尽くした。youtuberとしても、配信者としても出尽くした感はある。
とはいえ、2020年代にはネットは一周まわって飽きられた感
youtuberは正直飽きられただろう。
ショート動画も同様だ。
たまに、「ショートドラマ」なんかも流れてくるが、あれらも飽きられている。そもそも全盛期のテレビの製作力の足元に及ばない。
だからこそ、ネットフリックスは伸びている。ネットフリックスで流されているのは全盛期のテレビドラマなどだ。また、ネットフリックスがオリジナルで製作しているコンテンツも結局は全盛期のテレビの二番煎じである。
要するに、
「コンテンツ力」
に回帰している。
結局、そこらの配信者やyoutuberに作れるコンテンツなど、限界があるのだ。
所詮、テレビが負けたのは、利便性である
ネットが持つ斬新さなど、当に薄れた。
ということは、テレビがネットが持つような時間・チャンネルの利便性を吸収して、全盛期の資金力とまではいかないものの全盛期のような練られた企画と資金をベースにしたちゃんとしたコンテンツをやれば、またある程度は息を吹き返せるはず。
結局、youtuberなど、所詮はスマホ普及の産物である。
youtuber自体に大した芸があるわけではない。
結局、供給が多すぎて、チャンネルの好みが細分化する。
細分化すると、youtuberたちは稼ぎが悪くなる。予算が少なくなる。
小ぶりなチャンネルだけが増えていく。
本格派の作品・番組が期待できない。
今、テレビが気をつけないといけないことは、完全にネットフリックスにやられてしまうことだ。
ネットフリックスは、ネットに利便性にくわえて、マーケティング・データサイエンスを徹底して「受ける作品づくり」にこだわっている。加えて、全盛期のテレビのような大型の作品を仕込むパワーもある。それこそ、WBCの権利獲得のために投資する大胆さ・勢いもある。
Tiktok・BeReal系のおもちゃは回転し続ける
Tiktok、BeReal系のおもちゃは、所詮は身内ネタであり、本質的に面白いわけじゃない。
こんなもの、25歳を過ぎれば勝手に卒業する。おじさん・おばさんになって本気でやっていると痛い。
また、特定の世代を代表する流行となる。つまり、ある世代で流行った投稿型のこの手のメディアは、捨てられ、また若い世代に別のメディアが刺さる。それの繰り返しを続けるだろう。
mixiやフェイスブックが
「おじさん・おばさんのもの」
になったように、その他のものも同じ末路を辿る。
全世代型SNSでいえば、インスタ・Xあたりがしばらくは安定したものとなるだろう。
コムドットを番組に呼んだのは愚策
以上の観点があると、フジの「コムドットって何」という番組は最悪な打ち手だとわかる。
これは迷走をさらに印象付けただけた。ネットで人気がある演者をテレビに引っ張ってきただけ。これは「ネットとテレビの融合」ではない。これはネットをそのままテレビに持ってきて、おこぼれにあずかろうという発想である。コピペコンテンツで稼ごうとしているようなものだ。
Abema、ネトフリ、テレビ、勝つのは誰だ やるべきことは「ネットの利便性を吸収したTV」
結局、テレビ時代にはお決まりだった、
- 視聴者に決まった曜日に、決まった時間に番組を待たせて
- テレビが一方的にコンテンツを流す
というスタイルが崩壊して、
ネット時代の自由なスタイルに合わせて、
「従来の良さ」
をやれば良いだけである。
つまり、テレビは、テレビの制作力・企画力・資金力を活かしながら、あとはその番組を流しっぱなしにするのではなくて、「いつでもどこでもネットで観られるようにすれば良いだけ」である。
この本質に気づかないまま、テレビが出遅れてしまった。
一方、AbemaTVやネットフリックスはこれがわかっている。
特に、Abemaはバラエティに力を入れている。
最近は恋愛リアリティショーも強い。
コムドットをテレビ番組に呼んでわけのわからないことをして迷走している間に、ライバルを育ててしまったのだ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



