AIには教えられない人生講座 22歳の自分に向けて人生を語ろう 「押し寄せる焦り」

 

18歳、19歳くらいまでは、読書を通して知らない世界を知り、知見を広げて、何より

何か将来に向けて準備してる感

で多少満たされるものはあっても、これが20歳くらいになると辛くなってくる

国民年金の通知は良い例だ。

まるで赤紙。

社会が、「社会に参加せよ」と煽ってくる。

 

 

20歳前後を思い出すと、

  • 多忙
  • 焦り

が出てくる。

寝てなかったし、多忙だったし、焦ってたし、もうパンパンで、一部記憶が欠損している。

あんまり、その年齢らしい、遊びみたいな遊びをした記憶がない。

18〜20歳はかろうじてその記憶があっても、20〜22歳くらいは本当に無い。思い出せない。

 

 

やっぱり、古今東西の人々を見ていても、人間は20歳で変わってしまう。20代という扉を叩けば、どうしても経済合理性がちらつく。

就活の影響もある。

これまで、親が確保してくれていたものを、自分で用意しなければならないという強烈な必要性が押し寄せてくる。

 

金金金。

あの頃、友達が言った一言が忘れられない。

社会っておかしいよな、息するだけで金がかかるみたいだ

 

元々、働いてお金を得るという経験が、人よりかなり早かった。そしてその段階から、「給料中毒」みたいな状態を知っていた。それについてやばいという危機感も持っていた。つまり、給料中毒はこの先どんどん加速していって、そこに、交際とか結婚とかが上乗せされると、ロックインされていく。

こうして人生が決まっていくのだ。

気付けば会社と家庭の奴隷である。

おそらく、そこから抜け出すことはできない。

 

多くの意識高い系の本を読んでいた。

意識は高まった。

だけど、現実がついてこないことへの強烈な焦りがあった。

 

知識が膨らむほど、今が何も変わっていないことへの焦りだ。

 

 

当時を振り返って、少し、後悔していることがある。

それは、

読書し過ぎたこと

である。

 

 

こういう連中、今でも見かける。

 

私はいくつかの媒体で発信しているが、

将来、マーケティング職につきたいです

将来、経営者になりたい

将来、起業家になりたい

みたいな大学生、大学院生から、メッセージが来て質問されることがある。

「おすすめの本はありますか?」

「これだけはという一冊は?」

「これが最高という一冊は?」

「●●に関して良いと思う一冊は?」

 

 

気持ちはわかる。

私も同じような行動をした覚えがあるからだ。

 

そんなものは、ない。

おすすめの本など、ない。

 

いや、おすすめの程度による。ハードルを下げれば、いくらでも紹介できる。

だが、それは、本当に

「始まりの始まり」

に過ぎないのだ。

 

そこからの道のりは、凄まじく長い。

 

もちろん効用はあって、「結局、一般流通しているような本の中に、何かゴールドのようなものはないのだ」という諦めが得られたこと、そして、読んでいる間だけは「何かやってる感に浸れて精神薬代わりだったこと」「前向きなモチベーションを維持することには役立ったこと」あたりは良かったと思う。

 

人は、不安を前にすると、以下の4つのパターンで反応する。

 

闘争 / 逃走
見えている脅威に対抗するか、逃げる

凍りつき
脅威が過ぎ去るのを待つ

探索
見えていない脅威を探る

漂流
見えない脅威に対して何もできない

 

やる気を失っている人、腐ってる人は、漂流していたり、凍りついたりしている。その意味では、一生懸命読書をしている段階では、「探索モード」に入れている。それはそれで良かったと思う。

だが、その探索コストが重過ぎた。探索が探索で終わってしまった感がある。

 

要は、

「本を読んで何か知り得る」

という直接的な効用より、

間接的な効用の方が大きかった。

 

夢を持ち、将来を描いて、野心を持って、信じて、熱意・行動力を持つ・・・・

みたいなことへの寄与の方が大きかった。

 

 

オチから言って仕舞えば、

「直接的な意味」

で私の人生を変えたのは、

怪しげなクローズドなものへの課金であり、

またその課金単価への慣れであり、

同時に先行投資意識であり、

リスクテイク精神であった。

 

もちろん、それは16歳、17歳・・・と段階的に鍛えていたものだったけれど。

 

つまりそれは、

これまでの人生で培ってきた、

努力のパターン

を変えることであった。

 

書店に言って、2000円3000円払って、何かを買って、モスバーガー・マクドナルド・ケンタッキーでそれを熱心に読む、書く、みたいな動作は、学生すぎるのだ。

中高生すぎる。

その動作に大人は高い値段をつけない。

つけるとしたら、その動作で東大に入ったような連中だけだ。

 

15歳くらいまでは、本当に、世の中、

  • 親ガチャ
  • 努力

の世界観で、親ガチャでめちゃくちゃ人生左右されつつも、

  • 勉強
  • スポーツ

というわかりやすい土俵の中で、努力をすることを強いられ、文武両道が美徳となる感じがある。

 

しかし、大抵の人間は親ガチャ大当たりではないし、なんならスポーツでプロになることはできない。

一握りの限られた人間が、勉強で未来をこじ開けていく。

 

「テストで点を取る」

というタイプとは違えど、一時期、ちょっと、

勉強っぽい努力

の仕方に陥ってしまって、それで空回りしたり、人生を無駄にした感が若干あった。何かテストにハマったわけではないが、なんか、勉強然としたことに堕ちていた。

 

うまく表現するのは難しいが、皮肉なことに、この世界は、

「点を取る勉強」

というのは報われる一方で、いわゆる文字通りの「勉強」というのは、甘くない。

 

たとえば、Newspicksみたいなメディアだったり、巷のペラペラのビジネス書、それから日経新聞なんかを読んで頭に入れる活動は

「勉強」

なのだろうか?娯楽だろうか?情報収集か?

 

正直、あれを勉強と呼ぶのはまずい。

 

そして、もし、勉強っぽいものというのが、ノートを開き、本をにらめっこして、

「意味がわからない」

とモヤモヤしながら、格闘しながら、それを噛み砕いてみたり、わからなかったことがわかるようになる、つまり自己の理解を超えたり事故の理解を否定するようなものを飲み込めたとき、咀嚼できたものを勉強らしい勉強と呼んだ場合。

それをやることはどうか。

 

それもそれで大事であるが、これはもっとロングランな世界だ。

ペーパーテスト系ならショートランで結果が出る。たとえば司法試験、公認会計士試験にパスすれば、わかりやすく、そこから人生が変わり始めるだろう。ただ、本当の意味では何にも変わらないことが多いけど。

ロングランな、本当の意味での勉強とは、その勉強を通して、何か試験をパスしたという冠が与えられるものではないし、なんならたかが1〜2年で何かわかりやすい味をしめられるような対価が得られるものではない。

漢方治療のような、体質改善であり、筋肉質になっていく作業であって、また現実の筋トレより、時間がかかる。

 

まぁ、とにかく、

いずれにせよ、

これらは、過去にやったことがあるというか、

既視感があるタイプの努力だったのである。

 

長く働くとか、

長く勉強するとか、

理解に苦しむとか、

ノートに書くとか、

何かを覚えるとか、

そういうのは、過去にやったことがあるようなタイプの努力だった。

 

 

よくある話だけど、東大に受からず、一橋、早慶で終わった人は、在学中に、難関資格試験でリベンジしようとするという。

これは、ある意味、敗北したことについて、また同じような色合いの汗を書いて、努力している。

 

私もある意味、

「微妙な時期」

というのは、同じような色の汗をかいていた。

 

 

一方で、

私の人生を後に変えることになるタイプの努力は、

これまでの努力とは明らかに色合いが違った。

 

汗のかき方が違うというか、色が違うというか。

変なプレッシャーだったり、重圧だったり、不安だったり。

とにかく、これまでとは違うものだった。

 

本当に難しい。

 

一言で言うのは難しい。

 

だけど、マジで努力が空回りしていたあの頃の自分、「新しい労働環境に飛び込んで、そこで与えられた仕事に適応することで報酬を得る」しか知らない自分、そういう自分に一言、答えを言うなら、

「課金だよ、資本主義なんだから」

となる。

 

お金を使う、使って欲しいものを得る、みたいな動きは、18歳でも、20歳でも、十分してきている。

でも、それじゃない。

そうじゃなくて、もっと、「投資としてのお金の使い方」である。

でも、FXじゃ無い。株でも無い。

FX・株については17歳くらいから親の名義で口座を作ってあれこれやって

これはないな

とある程度見切りをつけていたはずだが、そういうのでもない。

つまりそういうわかりやすい「投資然」とした世界でもない(そこで再現性を保って勝つには、「数学」が必要になることをそれからだいぶ後になって気づく)

 

うまく言いづらいが、まさにそこは、ポイントだと思う。

 

イメージとしては、

なんか、材料Aと材料Bを使って、完成品Xを作り、それを売ってみたら売れるかな?

ん?それって売るための販促どうしたらいいんだろう?あ、広告に●円かかるんだ。あと、代行に依頼したら○円かかるらしい・・・。

自分でwebサイト組んでみたら▲円かかるらしい。

やってみようかな・・・

(本当はそのお金で洋服でも買いたいんだが)

みたいな活きた使い方の先に開ける世界、とでもいおうか。

 

いってみれば、まさに

「ポケモンゲームの中の通貨」

みたいな使い方だ。

 

ポケモンにおいて、買い物は、買い物として完結するものではない。

稼ぐことも、使うことも、ダンジョンを進めるための服要素にすぎない。

まさにそんな感じだ。

 

ステージを進めるのだ。

 

 

特に、ガキンチョのうちは、勘違いしやすいが、

自己啓発の影響か、学生時代の先生・親の影響か、

RPGの世界観に浸りすぎなのか、

何か人生の先輩や老師みたいな人が現れて、

その人が人生を導いてくれたり、

あるいは自分がそういうすごい人のところに行って、何か質問をなげかけたり、弟子入りすることで、道が開けると勘違いする。

 

これがまずい。

実はこれ系の努力も、U-22くらいのときに空回りしていた努力だった。

 

人脈を広げようと異業種交流会に行くなんてことは無意味。

いろんな社長にアポをとって、話を聞かせてもらう、みたいなことも、それなりに実益はあったけど、本質的に何か効いたわけじゃなかった。

それはその人が悪いのじゃない。

自分が勘違いしていた。

まさにその行動が過ちだった。

 

つまり、相手からしたら、「メリットがない」のである。

ここに気づくかが重要だ。

そういう相手のメリットがない行動をやってる限り、富の扉は開かれない。完全に稼げないマインドセットだからだ。

 

SNSでも、

壁打ちしてください

みたいな若者が怒られていたりする。

20代前半でもこういう怒られ方をしているのはたくさんいる。ましてや就活生もOB訪問等を通して、ゴリゴリのテイカーをしてしまうことがある。

こういうのに嫌気が差している人たちは、

U-25はくるな

みたいなスタンスをとっていたりもする。

 

 

知識→スキル→人脈→リソース→評判 の順番を守れ

という成功法則がある。

とにかく、何もない人間が、まずすごい人と接触して、何かを教え授かろうとしたり、人脈交流会なんかに参加することは、間違っているのだ。相手にとってメリットがない。

 

かといって、ここでいう知識は、なんか本屋で手に入るようなしょぼい知識でもない。

だから、課金なのである。

ここらへんは、説明しづらい。

 

 

今の自分に、昔のような、

努力が報われない・・・・

みたいな感覚というか、燃え尽きというか、そういう感覚はない。

昔みたいに、

「努力が報われない、才能がないのか?」

「才能か?努力か?」

「適性は?」

みたいな問答が自分の中にない。

なぜか?

適切に課金をするからである。

 

簡単に言えば、お金を使わないから、人は貧乏になる。

たとえば、働かずに、実家に寄生できるとして、その中で時間だけが余っている状態で、何か必死に努力して現状を打破しようとするパターンがあるとしよう。

もう一方で、働いて収入があり、その収入からお金を使えるが時間はあまりないというパターンがあるとしよう。

どっちが人生を動かせるか。

間違いなく、お金が使える方である。

 

ただ問題は、多くの人は、働いてしまうと、働いて得られるお金を、交際とか遊びとか、家庭に使ってしまう。そうして、ロックインがかかってしまう。

 

イメージとしては、

空いた時間でシコシコ勝手に努力している

というのは一人公園でサッカーボールを蹴っているだけとか、あるいはイーフトでコンピュータ対戦しかしてない、みたいな状態である。

一方、お金を得る、使うというサイクルに入ってるのは、練習試合をしているとか、イーフトでオンライン対戦しているようなものである。

全く違う。

 

視野が狭くなると、塞ぎ込んでしまうが、結局、この世界は、

何がしたいか

以上に、

何をさせてくれるか

を考えないといけない。

 

本質的に、「通貨」とは、調整弁のような役割を果たす。

そして、その通貨という数字、指標と向き合っていないと、人はおかしな方向にいってしまう。

また、パス回し、パス交換に参加していないといけない。

 

結局のところ、

何かやってみた感はあるけど、何にもなってない

みたいな人たちは、一人で踊っているだけなのだ。

 

たとえば、恋愛をしたいと思う。結婚したいと思う。

15歳、18歳、20歳、そのくらいで、人は、

27歳くらいで結婚したい、そのためには25歳くらいには結婚する人と出会っていたい、そして、24歳くらいまでは独身を謳歌して・・・

みたいなことを勝手に描く。

こういう理想や計画を勝手に描いている人間っていくらでも見かけると思う。

実際たくさんいる。

これを一人で描いているタイプもいるし、

「候補」

みたいな人間に自分勝手に語る人間もいる。

夢手帳みたいなものを書いてる人もいる。

未来スケジュールを作ってる人間もいる。

 

しかし、現実は違う。

 

現実は、「そうならない」のだ。

 

受験期や、学生くらいの頃までは、そういうノリでよかった。

しかし、大人になると、そうならないことに気づく。

実際、ならないのだ。

 

ある意味、

決めたようで、決めさせられていく

みたいな過程がある。

決められるけれど、決められる範囲が決まってるとか、決めた後の展開が決まってるとか、そういうものとも多く出会う。

 

そんな中で、

「自分が選べる範囲で、もっとも、リスキーで危ない選択、この先が大きく動く選択」

みたいなものをして、

背骨がミシミシと音を立てるような経験、

やばい世界に突っ込んでいく経験、

暗中模索の経験、

もう後には引けないような経験をすることがある。

 

まぁ、これは結構難しい話だね。

 

危ない選択をしろ、と言いたいわけでもない。
借金をしろ、と言いたいわけでもない。
怪しいものに金を払えば成功する、と言いたいわけでもない。

(まぁぜんぶやったけど)

 

ただ、人生が大きく動いたときのことを振り返ると、そこにはいつも、自分の内側だけでは処理できない何かがあった。

本を読む。
ノートを書く。
一人で考える。
一人で練習する。

これらは、基本的には自分の領土の中で起きる。失敗しても、恥をかいても、損をしても、最後は自分一人の中で処理できる。本を一冊読み終えられなくても、誰にも怒られない。ノートに書いた仮説が間違っていても、誰も損をしない。一人で立てた目標を破っても、黙っていれば誰にも知られない。

だから、痛くない。いや、苦しくはある。苦しいのだけど、傷の種類が違う。
自分の中で完結している苦しさなのである。なんなら気持ちいい。引きこもりだからね。自分の中で完結している。

 

ところが、お金を払う。

人に頼む。
商品を出す。
広告を出す。
値段をつける。
納期を約束する。
客から金を受け取る。

こういうことを始めると、自分の外側に現実が発生する。

こちらの都合では止まらない現実が生まれる。

頼んだ相手は、こちらの理解を待ってくれない。広告費は、こちらの成長を応援してくれない。客は、努力量ではなく、出てきたものを見る。こちらが三日寝ていなくても、出来が悪ければ、出来が悪い。

どれほど怖かったかも、どれほど悩んだかも、どれほど勇気を振り絞ったかも、
ほとんど価値にならない。

これは冷たい。しかし、この冷たさによって、初めて、自分の輪郭が出てくる。

自分は何ができるのか。
何ができないのか。
どこまでなら約束できるのか。
どこから先は他人に頼むべきなのか。
自分の時間はいくらなのか。
この作業には本当に価値があるのか。
誰が、何に、いくら払うのか。
まぁ、ある意味、恋愛も同じだね。

ジャニーズアイドルにハマってる奴ら、街で「イケメンアイドルの写真をぶら下げてる奴ら」というのは恋愛経験がない。妄想で生きている。理想がインフレしている。都合が良いメディアに溺れている。社会を生きているようで生きていない。自分が見えていない。だから、現実の恋愛に格闘していない。自分の輪郭がない。

 

精神論で飛行機は飛ばない。

情熱は燃料ではない。
努力も燃料ではない。
夢は航路ですらない。
それらは、せいぜい、飛びたいという気持ちを維持するものにすぎない。

現実には、
誰かの時間を買い、
場所を借り、
道具を揃え、
失敗する権利を買い、
試行回数を買い、
自分一人では届かない場所まで、他人の力で運んでもらう必要がある。

だから課金なんだよ、という話でもある。

それは単に、効率化のツールとしての話をしてるわけじゃなく、社会を生きるということの意味。

 

このとき初めて、人は、何でも自分で頑張ればいいという、学生時代から引きずってきた万能感を捨てる。

努力家ほど、ここで苦しむ。
努力すれば何とかなると思っているからだ。
努力してきた自負がある人ほど、
他人に金を払うことを敗北のように感じる。
自分でできないと認めることを、屈辱のように感じる。

だから、時間を使う。
三日で頼めることに三か月かける。
十万円で買える経験を、一年間の失敗で払う。
無料の情報を集め続け、その間に何百万円分もの機会を失う。

金を惜しんで、人生を払っている。

 

本質的に、通貨とは、社会の間に流れるシグナル。社会のルール。

実際にボールを回して、パスを回してサッカーしないまま、

キャプテン翼

みたいな妄想漫画を一人で書いていても、それは現実のサッカーからかけ離れてしまう。

それはまるで、妄想恋愛と同じ。

 

  • 恋愛できない
  • 相手がいない
  • お金がない
  • 仕事がない

といってる人間は、その辺で本質的に同じものを抱えている。

「世界からの返事」

をもらっていない。

 

神の啓示を受けていない。

 

読書をしても、世界は返事をしない。こちらが一方的に読むだけである。
本の著者は、こちらの疑問に気づかない。こちらが誤読していても、訂正してくれない。感動しても、絶望しても、ページは静かなままである。

しかし、商売を始めれば、世界は乱暴なくらい返事をしてくる。

誰も見ない。
売れない。
高いと言われる。
意味がわからないと言われる。
逆に、自分では大したことがないと思っていたものが売れる。

予想外の人が買う。

違う使い方をされる。
もっと欲しいと言われる。

その返事によって、自分の頭の中にあった世界が壊れていく。
何も差し出さずに、教えてください、導いてください、何をすればいいですか、と言っている間は、世界はほとんど返事をしない。

 

返事をする理由がないからだ。それが見えない間は、「社会的成果」というのは一切何も得られないだろう。これがわからないまま歳をかさねると、かまってちゃんしたり、自殺未遂したり、泣き喚いたり、パニックになったりする癖がつく。どうにもならないのに。

 

これは冷酷な話に見える。けれど、逆に言えば、かなり公平な話でもある。

特別な人間に見つけてもらう必要はない。老師に認められる必要もない。運命の師匠に出会う必要もない。才能を見抜かれる必要もない。

 

 

現実は思った以上にロマンチックではなく、

かと言って全くロマンがないわけでもない。

 

この微妙なゾーンを、「エモい・メロい・チルい」で脳が焼き尽くされている、若いうちはなかなか理解できない。

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。