宗教が基盤で無くなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現された。経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、初めて民主的な自由と平等が可能になった。
昔は選挙権や自由な権利欲しさに血と汗と涙を流した人たちがいたんだぜ。
経済的な平等はいつ訪れる?
それは、それが社会にとって最も重要なことじゃなくなったとき。
いずれ、『昔の人間って金で困ってたの?ありえなーーい!!』っていう時代が来る。金のためにいろんなことを犠牲にしていた今の人間たちを憐れに思う時代が来る。仕事のために、嘘や建前、我慢の連続で生きていた人間たちが、ちょうど今、戦時中の人間に向けられる『絶句の視線』と同じものを浴びる時代が来る。
もはや、一部の先進的な層にとって、金如きで熱弁を交わすのはナンセンス、Notクールという風潮がある。
金が重要じゃない社会とは、金がなくても必要な資源が調達できる社会だ。つまり、人間が働かなくて良い社会だ。
おそらく、人工知能やロボットと、人間の間における関係性、権利関係、人権ならぬ『ロボ権』が真剣に議論される社会の主たる関心ごととなったとき。
全ての人間が経済的問題から解放されるのでは無いだろうか。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。