心の値段は高い。
世の中金かどうかはさておき、金だと思ってる人間が周りにいたら、その人とは金が無いと楽しむことができない。もし、金にがめつくなくても、必要上、金に追われているのならそれも同様。また、金に対する欲も必要性も無くても、資本主義の競争原理に押しやられて、負け組の位置にぐいぐい引きずられていたら自ずと金に開花せざるを得ない。自分が無関心、無努力を装っていても、周りがしてるのならシカトできない。
貴方に戦争に興味が無かろうと、戦争の側が貴方に興味を持っているっていう話と似てる。
自己中って言葉があって、往々にして自己主張激しめのうるさい奴だと思われてるけれど、静かなる自己中もたくさんいるから。おとなしめの自己中。閉じ込もりすぎて病んでる人。ありのままの貴方でいいとかいう心が弱い人向けのメッセージに甘んじる人。
世の中金かどうかとかどうでもいい。自分が金に興味があるかとかどうでもいい。でも、外的なコンテクストがそれでまわってるなら迎合せざるを得ない。本心でお金欲しいやつなんていない。でも、世界がお金で回ってるから仕方なく、ってのがみんなの実際のところ。なんか、大人になっても子供感覚ひきづってる人いるけど、大人になって価値ある人間、面白い人間、美しい人間がタダで手に入るわけが無い。自分の手元においておけるわけがない。
いつの間に、女と喋ることに値段がついてた。
いつの間に、面白い話を聞かせてもらうことに値段がついてた。
いつの間に、友達との関係メンテナンスに値段がついてた。
これらをシカトして、30そこそこまで資本主義から目を背けてるピーターパン症候群とかいるけれど、限界がある。
年収500万円以下で楽しい人生が送れるという発想がもはや間違っている。俺は無理だと思う。それは地方都市の20代前半独身が普通にまぁまぁ遊んで暮らして、1年間で使う金額より少ないぐらい。だから可処分所得500強って考えたら額面はもっと大きい。こんな根本的なところにテコ入れせず、友達いない、女と遊べない、つまらないとかいってるからおかしい。逆の視点に立てば、一緒にいて面白い奴や美しい女性はなぜ時間を使ってくれるのか?そもそも女はアラフォーまでに平気で抱かれるぜ。アラフィフまでも対象かな?
だから周りを無視できない。
これが人生のルール。
プロポーズしにいったら、父親は娘にかけてきた愛情と時間とお金を思い出して、うちの娘は安くない、と思ってる気持ちとバトルしにいけないのだとしたら、いわば、自分の人生に彩りを添えようと思って、面白い人生のために誰かの一部でも全部でも自分の中にとりこもうとする行為は凄まじく高くつく。
人生を楽しむ値段は高い。
だから、酸いも甘いも知り尽くした三十代、四十代女性はお花にクラッとくる。若いうちに、「お花にんてもらっても使い道ないよ、バッグくれよ」って言ってた自分を思い出し、ようやく意味を悟る。
自分の気持ちに元気をやることの値段がインフレしてることに気づく。
それと同時に、自分の気持ちを動かせる人間、動かそうとしてくれる人間がレアであることに気づく。
お金で人の気持ちは買えない。
だから物をやればいいっていう話でもない。
だけれど、人の心を掴むためにはしっかりとした環境を整えないといけなくて、そのためにお金が必要だったりする皮肉な事実がある。
たとえば、人をクスリと笑わせたり、感動的な人生体験を伝えたり、面白い話、ためになる話をしてあげること。これに果たして一体、どれだけのコストがかかるのか、っていう。
これは、女の子にお金を奢るか問題と似てる。
美しさには金がかかってる。
お笑い芸人のライブに行って、こいつらは笑わしているだけでなぜこんなに稼ぐんだ、って思う奴は凄まじくセンスない。いくらでも換えが効くコモディティサラリーマンの日常を想像すれば一発でわかるけれど、当人が目隠しして満足してるか否かはさておき、ノーマルすぎる人生送ってると常にあるのは脇役感。ただ生かされてる感じ。彩りもハリもない。ふと、絶望するんだよ。そんな人生に、一瞬でも笑いを差し込んでくれる。光を差し込んでくれる。ハリを与えてくれる。この価値は凄まじく大きい。それぐらい、普通の人生は絶望感に満ちている。普通の人生を歩むってのはこう。週末、終電を流して夜のシティを歩いてる時に、俺、一生このままなんじゃないかって思うんだよ。そしたら、恐怖が襲ってくるんだよ。
ぜんぜん、世界が自分を重んじてない感覚。
確実にこの瞬間に死んでも、世界はピクリとも動かない感覚。
それをごまかすために、一生懸命、誕生日祝ってもらったり、盛大に結婚式やってみたり、頑張って家庭作ってみたりする。しかし、常に胸の中につっかえ感が残り続ける。これでいいのか。これで良かったのか。
キャリアで詰んでるからって株式投資なんかに逃げ場所つくって、人生楽しめてるなんて自分の人生を都合よく解釈するのは無知ができる賜物。偏差値1SD範囲の人生しか送ってきてないからできる凡人の極みワザ。
悲しみが滴る金曜の深夜。
そんな生き方をしてると、ふと、本当に涙が出てくる。
俺はそれをしたことがある。
どんどん、心が冷たくなる。硬くなる。冷えて行って、フレッシュさも、元気も無くなる。喜べることが減っていく。楽しめることが減っていく。感動できることが無くなっていく。そして、他人の目を意識しながら、敵に揉まれて、競争に疲れて。
心の値段ってこと。
結局、自分の心の値段。周りの心の値段。これが高騰していく世界。一瞬でもいいから、スパークが走るような人と触れ合う。そのとき、感動が走る。その対象は教祖かもしれない。運命の女性かもしれない。でも、その瞬間に、全てが変わる。
俺はぶっちゃけ、カルト信者の気持ちがわかる。いや、もはやカルト信者みたいなもんか。
心が動いた。
結局はそーゆーことなんだと思う。
洗脳って言葉があるけれど、あれは逆なんだよ。洗脳されてるって騒いでる側が洗脳されてる。逆に洗脳されてる側ってのは、心の値段が高い人たちなんだ。心の値段が凄まじく高い。
だから、重くなってしまった自分の心について、養うことに苦しんでる。そんなときに、神的な教祖や、教えに出会う。全身に衝撃が走る。止まっていた人生が再稼働し始める。
そして、そのときに思う。
この人は、すごい。
でもね、この人はすごいって気持ちは、本当はこうなんだ。
「ここまで重くなった俺の心を動かしたこの人は、すごい。」
金稼ぐのは何のためかって?
別に買いたいものとかどーでもいいんだよ。
ただ、ひとつでも、ズシリと重くなった心を動かす体験を増やすために、環境を整えるために稼ぐんだ。凄まじく重くなって、不感症になって、すっかり値段が高くなった自分の心を動かすために。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。