才能無くても、10年単位なら話は違ってくる、まじで。だからあんまり気にしてない!才能ないけど。
たぶん、ふつーに埋まる。だから、実は才能云々で悩む必要なんて無いんだと思ってる。問題は、参加者が多すぎると競争が激化するということと、最初から才能ある奴も努力してるからその差が埋まりづらいってこと。厳しー世界は特に。
スポーツの世界とか見てたらわかるけれど、少年期や青年期に、天才とチヤホヤされてた人が、根性やメンタル、精神力備わってる人にぶち抜かされてるパターンとかめっちゃある。天才がうつつを抜かしてたり、怪我してたら抜かされてる。
逆に、生まれ持っていろんなものが備わってて、その上に努力を怠らないのが化け物。クリスティアーノ・ロナウドとかすげー。
大事なのは、
『10年かける価値があるか?』
『そこに居座る覚悟があるか?』
『長居に見合うか?』
みたいな視点。
もちろん、結果を出すこと自体はそんな時間はいらない!!!
才能のある無しで悩む必要無いと思う。だって、埋まるんだから、ある程度のラインまでは。ただし、コスパが合うのかって問題と、何のための人生か、人生設計どーすんのかってところと迷うという感じでいる。
もちろん、スポーツみたいな激戦区はタイトにというか、シビアに考える必要はあるんだけれど。
どうせ、職業人生40年あるんだから、それぐらいの長期スパンで物事考えて、人的資本への投資ぐらいに思っておいた方が人生ゲームは有利と思ってる。22でシャバに出るとして、後半10年に成長があまり見込めない、あるいは流しで生きるとしたら30年。10年単位で投資するなら、3つのスキル選べるぜ。
私の場合、『起業、ファイナンシャルフリー、ビジネスコンテンツ収集、脱労働、CF型アセット、人生逆転』みたいな分野には既に10年投下してしまった。コピーライティングは10000時間使ったと思う。DRMはまだかな。ここらへんは複合的、融合的に進めてる。
次は、、、、、?
もうここらも大体決めてる。
え?
どんな分野がアツいかって?それ、最近言及した。
PS.
語学はふつうに10年喰う。これまでにスキルと呼ばれてきた各種資格、言語、プログラミングなどの類は、webマーケやコピーライティングなどと組み合わせてコンテンツ販売の道に進めばまだまだリッチになれる道だと思う。
語学単体で行きたいなら、やっぱ中国語とか、新興国言語。やりたいなぁ。
やっぱり、マイナー領域でサクッと10000時間かけた人はスパーンと頭角現してる。俳句とか、お片づけとか、なんとか占いとか、ナンパとか、ブロガー、ユーチューバーとかね。すごく勇気がいることだけれど、やっぱり投資だから、『こんなんで大丈夫?』ってのにたっぷり時間かけると美味しいのかもしれない。英語とか汎用性が効くし潰しが効くから人気なんだけれど、その点で辛い。だから、西園寺なんかはこれに学習コストをあんまりかけたくない。
冒頭の話に戻るけど、有名大学受験とか英語とかは、『うわっ!俺才能あるっ!』ってのを感じてたらサクサクやってただろうけど残念ながらそうじゃなかった。
PPS
ブログ、メルマガなんかはコスパ良い。これは本当に。これらはまだまだアツイ。むしろこれから。アフィなんかも、古典的パターンが死んでるだけでモデル自体はむしろこれから。矢野経済研究所のレポートでも読むと良い。正直、チップかき集めて張っておく感覚。待ってる感覚。時間が味方する。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。