男に女を愛する本能など備わっていない。綺麗事抜きで若くて綺麗な女にいかに大量に中出しするか、これが生物的な幸せである。

男に女を愛する本能など備わっていない。綺麗事抜きで若くて綺麗な女にいかに大量に中出しするか、不特定多数と性交渉するか、これが生物的な幸せである。

世の中には、綺麗事や嘘、建前が溢れかえっている。そして私たちは倫理なり道徳なりと言うものを小さい頃から刷り込まれているから、本当の自分の気持ちというのがわからないものである。こうやって私たちは親なり親戚なり学校なり社会なりが示してきた模範的な姿、あるべき姿を刷り込まれていて、それを摂取しながら生きているから、どこかの段階で頑張れなくなる。心の中の本音、本心、本性とやろうとしていることが矛盾、違うからどこかで限界が出てくる。しかしどこかの段階で、常識を取り払い、自分の本心本能に目覚めた時、不屈のモチベーションが湧き上がってくることを実感するだろう。そして往々にしてこの世界でダイナミックな活躍ができる人間はまさにそういった素直さがあるストレートな人間なのである。

ところで考えてみて欲しい。我々オスや男と言うものに、女性を愛する本能など備わっているのだろうか。私も昔はそういうものがあると信じていた。しかし、今なら断言できる、男にそんなものなど備わっていない。きれいごと抜きで、不特定多数の女性を抱いてみればいい。まずは試してみろ。嘘だと思ったらまずは150,000円ほど握り締めて飛田新地へ行け。大阪の飛田新地で全国トップレベルのルックスを待つ売春美女たちを数時間で5回転する非日常体験をしてみろ。その体験はお金の力がなせる非日常体験である。これを通して自分のちんぽの奥にある本音と向き合えば良い。何が幸せかをそこで自問自答すればいい。結局本当のこと言ってしまうと、男が1人の女性を愛して幸せと言うのは、その相手女性がハイレベルなのである。100人のブスより1人の美女と言う論理である。つまりその女性はレベルが高いのだ。超美女で、おっぱいが大きくて、くびれていて、性格もよく、料理もしてくれて、水商売上がりじゃなくて、擦れてなくて、経験人数も少なくても、ヤリマンじゃなくて、、、みたいな彼女がいればその彼女を愛するモチベーションはあるだろう。その彼女をたくさんの競争の中から勝ち取ったというトロフィーワイフ性もあるかもしれない。しかしそーゆーケースに該当しないのであれば、きれいごと抜きでその辺の辺普通レベルの女と結婚契約を結んだところで不幸でしかない。これは就職と似ている。人材輩出企業として有名な企業、その会社を出たらブランド価値がつく、箔がつくような企業を出るサラリーマン生活と、その辺の有象無象の中小企業に勤めることは話が違うのである。ビジネス書界隈に登場していくような有名企業、例えばマッキンゼーだったりボストンコンサルティンググループであったり三菱商事といったような会社を出るのと、その辺のよくわからない会社を出ることでは話が全然違う。結婚や恋愛もこれと同じことである。大多数のサラリーマンにとって最高の幸せは、サラリーマンを辞めることである。企業家として成功することである。結婚も同じことで大多数の人にとっては、その辺のよくわからない女とはめ込まれるよりは、ヤリチン生活を謳歌した方が楽しいに決まっている。もちろん今、私が言ってること最低で最悪でクソでクズである。しかしカッコつけて倫理や常識に洗脳されて、もっともらしい生活社会人としてまともらしい生活を送ってみろ。すぐにモチベーションが枯れてやる気が失われ、向上意欲など湧いてこなくなる。疲れてくる。しかし自分の欲望としっかり向き合ってお金を稼ぎ若い女を買いまくることであったり、下衆な欲望を燃えたぎらしている企業家や経営者等はいつまでもはつらつとしていてパワフルでエネルギッシュだし向上意欲が半端ない。それはなぜか。彼らは自分に正直に生きているからである。現実を見ている。そろそろ本当のことを見つめたほうがいい。大多数の人間にとって就職も結婚も不幸でしかない。なぜならそれは全て、嘘だからだ。世間体だからだ。本当に好きなことではないからだ。ほんとに好きでは無いことをあたかも好きなようにしなければならない闇。人生にはこれがつきまとう。相手方がいるから、生活があるから、責任がある。

妥協の選択なのに、配慮をして、一生懸命コストをかけてそれなりに振る舞う。だから疲れるのである。だから一人、会社からの帰り道でウルフルズの明日があるさを聞きたくなるのである。

ある日突然考えた、俺はどうして頑張ってるんだろう、家族のため自分のため答えは風の中、、、、、、と言うふうになってしまうのである。

そして家に帰りたくなくなり、フラリーマンをする。最悪の場合は奥さんにセックスレスをつきむけられ、そして家に居場所がない。会社でも窓際族、家庭でも窓際族。妥協して微妙な女と結婚したのにその微妙な女に金を貢ぎながらセックスすら断られる。最悪だ。そんな人生、生きている価値があるのだろうか。絶対にない。

 

女と付き合うのは犬を飼うのと似ている。犬と言うのは調子に乗ってつけ上がると大変なことになる。しつけてなんぼなのである。そして犬も女も、上の男に隷従するのを望んでいる。

 

1つ覚えておけ、女であることと性格が良い事は一致しない。女であるのに性格が良いと言うのは矛盾している。犬なのににゃんと鳴く、と言っているようなものである。性格の良い女などいない。全員猫をかぶっている。お前たちは騙されているのだ。どうせ性格が悪いのであれば、おっぱいが大きくて可愛くて腰がくびれていてお尻はプリンとしている方が良いに決まっている。そういう女をトロフィーワイフとして従えていることへの自己満足としての恋愛や結婚があるだけである。

100歩譲ってまともな女がいたとしても発生確率は1/100〜1/200くらいである。学生時代を思い出せ、偏差値50前後レベルならまともな女など学年に5人いたらいい方である。

そもそもメスや女など強いオス、男を見つけて寄生するそのために全力を振り絞って演技ができるようにDNAに刻み込まれている生き物なのであって、好きとか云々とかはその延長にしかない。女が性格良く見える時と言うのは、こちらに対して服従している時なのである。愛、平和、平等などこの世界には存在しない。

年収400万程度のクソ雑魚レベルの仕事をするのであれば、奥さんを愛しているだとか、家族のためにがんばるだとか、そういう綺麗事で生きていくことができるだろう。レベルが低い仕事と言うのは、嘘、建前、偽りのモチベーションで頑張れるのだ。なぜならレベルが低いからである。しかしハイレベルな所業になってくると、凄まじいモチベーションを要求される。世の中に恨みを果たしたいだとか、むかつく奴を見返したいだとか、きれいな女とやりまくりたいだとか、社会に復讐してやりたいだとか、どうしようもなくドロドロとした凄まじい強いモチベーションが求められることも多い。強いモチベーションと言うのはきれいごとでは回らないのである。

実際、たいていの既婚男性が、モデル、レースクイーン級の美女を嫁にでもしていない限り、出世意欲を燃えたぎらせて努力し続けることは不可能である。たいていの腑抜けた既婚者の面を見れば一発でわかるだろう。たいていの女はこの女のために頑張り続けようというモチベーションを萎えたがらせるほどいい女でもなければ素質もない。

この厳しい現実認識から逃れて、鼻の下を伸ばし、隙を見せた男は、いつか、喉元を女にかっさらわれていく。

 

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。