Very noisy world

人は、何かしらの職業に憧れて、あるいは何かしらのカンパニーに憧れて社会人生活をスタートします。まぁ、純粋な意味でそーゆー動機の人は一部で、ほとんどの人は生活のために仕方なく、って感じですかね。で、面接の時に面接官に対してテキトーな建前を並べて。

やる気があるうちは良いでしょう。まずは仕事を覚えよう、職場の人に認められよう、成長しようという、やる気を持って働き続けます。

しかし、どこかで飽きがきたり、競争に疲弊したりして『私の人生、これでいいのかな』と思い始めるわけです。だいたい、期間にして3年から5年くらいですかね、そーゆー感じになるのは。マンネリしてくるわけです。

 

そして、幸せとは何かとか、自分らしさとはとか、適職は何かとか、そんなことを考え始める。自分の可能性とかを探り始めるわけですね。

本来、人生に意味なんてありません。食べて、寝て、ぐらいでしょう。そんなものです。それで終わりなのです。しかし、そこに複雑な概念を持ち込んでしまうから、悩んでしまうわけですね。

頭が良すぎるがゆえに、悩む。

自分自身のキャリアについて、『これでいいのか』とか考えがちな人はその典型でしょう。本当なら、食べて、寝られればそれでいいのです。それで十分なはずです。しかし、そこでそれ以上の無駄なことを追い求めてしまうわけです。

 

もっと、人生をシンプルに捉えた方が良いでしょう。無駄なことを考えないのは幸福になるための秘訣です。本来、食べて寝ることさえできればそれでいいのです。ただし、その食べて寝るということを実行するにあたり、仕事というものを押し付けられるのが人生。そして、その仕事という世界では、常に複雑な概念が飛び交っています。だから、人は仕事を通して世界を複雑に捉えてしまうのです。

しかし、極めてシンプルな生活をしている人たちは気付いています。人生というのは、突き詰めていくと本当にシンプル極まりない世界なのです。

 

本来、人生はシンプルです。

こうやって考えると、世の中には無駄なものばかりが蔓延っていることに気づきます。そして、そんな無駄なものばかりの、ジョブズの言葉を借りれば『Very noisy world』に生きる、それが私たちです。

無駄なものを買い、無駄なものを売り、という商取引の連鎖でこの世界は構成されており、経済は成り立っているのです。無駄というのは、動物的な暮らしと比較したときに、という意味。人間は原始的な、シンプルな生活に満足しなかった。もっと高みを目指した。そして、そんな動機によって複雑化された世界において、人々は一生懸命に頭を悩ませながら今日も働いているわけです。

 

じゃあ、そんな社会の構造に気づいたらどうすればいいか?

実は、出家する人などは、その洞察の境地に行き着いた人の代表格です。本来、生きるということはシンプルであり、そのシンプルなものが余計に複雑化されてしまったのがこの世界であると気づいてしまったのが、ああいう世界の人たちです。

俗世界から離れ、ものを持たず、情報を遮断して生きているとそういうことに気づくのです。

とはいえ、私たちはそんな複雑な世界に対し、一人、背を向けて生きることはできません。まぁ、原始的な暮らしがしたいのであれば、無人島とかに行って、そーゆー生活、してみてくださいな。

 

これだけの複雑化された世界の中で、我々は何かしらの形で社会に乗っからないといけない。ものすごーく深い意味で乗っからないといけないわけですね。

美味しいものが食べられて、寝ることができれば、それでハッピーであるということにまず、気付くべきでは無いでしょうか。そのための方法なんてのはいくらでもあります。ただ、そうやって社会に接続した瞬間に、社会のルールや常識、マナー、当たり前、マジョリティの文化が、頭の中に雪崩のように入ってきます。

それに伴い、身体的な拘束や時間的拘束がつきまとってくるわけです。

そして、そこに嫌気がさすのです。

 

レイプという言葉があります。レイプというのは、望まない相手に、望まないタイミング、やり方で性行為を強要されるものです。しかし、人々は好んだ相手との自主的な性行為には喜んで興じるわけです。すなわち、人間にとって、嫌悪感や抵抗感というものは、自分の意に沿わないものを受け入れさせられることにあると言えるでしょう。

強制されることが嫌気に結びつく。

意に沿わないことが嫌なのです。

全ての対人コミュニケーションには、自分以外の存在がある以上、嫌悪感や抵抗感のタネがあちこちに存在すると言えます。仕事というものは、金銭的な対価のために自分という存在の一部を拘束される形で売り渡すものであり、その性質上、強制性のある何かがつきまといます。嫌な作業、嫌なコミュニケーションがつきまといます。なにかを強要されます。だからこそ、仕事というものは宿命的に辛いものとされているわけですね。

とはいえ、自分自身の感覚を消費者として満たす側にまわったときも、自分自身の満足の向こう側には、もしかすると誰かの嫌悪感や抵抗感が存在するかもしれないわけです。生きて消費しているだけで、もしかすると誰かの嫌気や抵抗感を食っているのかもしれない。

自分が読んだ本は誰かが『だるい』と思いながら書いたパートがあるはずだし、自分が食べた料理は誰かが『だるい』と思いながら作ったはずだし、自分が読んだブログは誰かが『だるい』と思いながら書いたかもしれない。

 

ただ、人間社会が高度だな、と思うのは、世の中に無駄なものを形成しまくることによって、働くモチベーションを生んでいる点です。人間が、食べる、寝るで満足できず、それ以上の暇つぶしや遊び、余興などを求めた結果、さまざまな産業が生まれたり、人は余計に働こうとしたりするわけですよね。承認される感覚とか、他者に優れてる感覚とか、成長の感覚とかを追い求めて人は働く、消費するわけです。人間の欲求が、高度であり、かつ、複雑で進化的だからこそ、世の働く人のモチベーションや産業は支えられているワケです。

 

自分自身の欲求や願望の中で、一体、何が強い動力となっているのかを把握し、また、数ある嫌なことのうち、耐えられる嫌は何なのか、自分にとって嫌気が吹っ飛ぶほど最高に喜べる瞬間は何なのか、そーゆーことを考えた上で、うまく、条件のあった働き方を模索すべきです。

ライフステージや、状況によって、人が求めるものや希求するもの、優先するものは違うはずです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。