なんか、本当に、周りに
- お金持ちの子息
- 高学歴
が多いのだけれども、彼らの悩みもめちゃめちゃ深い。
私の周りにいるお金持ちの子息と、高学歴の人たちは本当に悩んでいる。悩みが深い。彼らには彼ら特有の悩みがある。
例えば、高学歴特有の悩みを見てみよう。
高学歴特有の悩みというのは、簡単に言うとプレッシャー。親も高学歴が多く、周りも高学歴が多い。あちこちからプレッシャーがかけられていて、ある程度レールから外れたがっている。自由を欲している。だけれも、その枠から飛び出る勇気は無い。また、上の世界には上の世界特有の競争があるわけだ。上には上がいる。ずーっとひたすら競争で疲弊する。
それと、やはり、彼らが選んで行くような道には不自由が多いわけだ。
お金持ちの子息の悩みはどうだろう。
例えば、跡取り息子、跡取り娘として生まれた苦労。いつも、「どこどこさんの息子、娘」と指を指されたり、二代目として会社に入って古参の社員の上に立つ苦労。周りから僻まれる苦労。ある程度、人生のレールを引かれていて、そこから抜け出したいと思うけれども抜け出す勇気も無い。実際、そのレールを歩んでいて、周りから突かれる苦労もあるようだ。結婚が絡んでくると余計にややこしい。
お金持ちの家で育った人間は、「お金持ちの家で育ってない人間」が見てきた世界を全く知らない。そして、その無知さゆえに平気で外の世界に憧れる。それについて、お金持ちの家で育ってない人間と対立する。
うーん。
深い。
結局、お金があることと、無い事について、そして学歴があることと、無いことについて、もしかすると「自由」とか「幸福」は関係が無いのかもしれない。彼ら、彼女らの悩みを聞いていると、そう思う。
ただ、思うのは、この世界にはお金の有無や学歴の有無に関係なく、「我慢・不自由」で生きている人間が沢山いると言う事だ。
人生を我慢に捧げた人たちは、その我慢の連続の自分の人生について、強く肯定する感情を持つ。そして、それを否定されるようなものを見ると、感情的に激昂する。本当は、それは「自分がやりたくなかったはずのもの」であるはずが、嫌々ながら抱きかかえてしまったがために、それを自己と同一化する。
そこと接触する苦労、ぶつかる苦労は半端では無い。
人間関係のしがらみにとらわれて、
- 認められたい
- バカにされたく無い
- 誰かを守らなければならない
- 結婚した相手方との家柄の問題でどっちかが寄せないといけない
- 結婚した同士の事情が噛み合わない
- 競争に疲れている
- 引きづりおろしあいに疲れている
- 金も立場もあって良いけれどがんじがらめで不自由だ
みたいな感じで苦しんでいる人たちが沢山いる。
人と関わることについて否定はしないけれども、
明らかにたくさんの人間の利害や思惑の交差点にいれば、
連立方程式の難易度は上がって行くと思う。
とにかく、周囲に利益を配って、かつ、他人と人生を一体化させない「孤独」を抱えることが、生きる上では物凄く重要なのでは無いかと思う。
私は改めて気付いた。
自分が、どれだけ、「自由」を手にしているかに。
人間社会は複雑だぜ。
さっさと降りてしまって良かった。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。