この動画に、
- 東大
- 35歳
- 独身
- 年収1000万円
の男性が出てきます。
彼の悩みは、「今は良いが、このまま老人になった時にこれで良いのか」というものです。
特に、
職場と家の往復ばかり、彼女が10年いない
というのが引っかかっている部分のご様子。
多分、世間の普通の人たちの悩みは、大なり小なり、これに近いものです。
- 微妙なゾーンにいながら、
- 大して大きな不満はなく、
- でもこれで良いものか・・・
と悩んでいる。そして、特に、女性にモテない。
大抵の人たちの悩みは、どん底の悩みというより、その人なりの「微妙感」で苦しんでいるはずです。
ここで考えて欲しいのが、この動画の男性と真逆で、
世の中には女に結婚を懇願されている男がいる
ということです。隣に女が絶えず、
むしろ、女の方から結婚を懇願されているような男がいるということです。
一方、動画のような男性は、今後の将来としては、だんだん焦っていって、そのうち、婚活などを始めるのがオチでしょう。結婚相談所の民になって苦しむことになるでしょう。
まず、根本的な問題として、
そもそも普通のサラリーマンなんてものは守るべき女や家庭がいる人にとって美味しい選択肢
なのであり、古今東西、プータロのー男たちが正社員になってちゃんと仕事を頑張ろうと思うきっかけは大体女であり、世の中の仕事の中でも「つまらない仕事」を一生懸命頑張れてる人たちのモチベーションは大体これだということです。
男というのは、そういうものなのです。本能です。
そして、普通のサラリーマンにしろ、ハイスペックサラリーマンにしろ、影には女や家族の存在があります。
普通のしがないサラリーマンでも、既婚者は、相応にハードルをくぐり抜けてきた人たちです。
一方、サラリーマンやりながら、異性にモテない、守るべき彼女も無い、という人たち、これは実は、本当は真面目に働けてることがおかしいのです。
だって、モチベーションがありませんから。
夢追い人をやっているのならわかります。それで独身ならわかります。趣味に生きているとかも納得できます。
しかし、ただ職場と家の往復の独身おじさんサラリーマンなんぞ意味不明です。
ここで、
若くて綺麗な女性の立場に立ってみましょう。
お金に振り切るなら、40代、50代のおじさん、そして富裕層を狙えば良い。
顔に振り切るなら、イケメンを狙えば良い。
バランスを求めるなら、歳が近い範囲を狙えば良い。
選択肢はいくらでもあります。
・・・・・どうして、わざわざ、取り立てて取り柄もない35歳を過ぎたリーマンを選ぶのでしょう?
女を口説くのが上手いわけでも、積極的に声をかけてるわけでもないただのリーマンを????
わかりますか?
例え、東大を出ていようと、年収1000万あろうと、東京だし、微妙なのです。
そしてこれが、渦中の人物の「苦悩の源泉」です。
テーマは、「エッジが立たない」。微妙。
年収1000万円というのがまた、微妙なところです。これが2000万円だと話が違った。
1000万円だと、当人も勘違いしやすくなるし、あまり自分臭い目を感じない。だから闇が深いのです。実際、1000万円は普通の暮らしにちょっと毛が生えた程度の贅沢ができる程度です、特に都内では。
もし、この渦中の人物が彼女を作ろうとか、結婚しようとすると、今、お金も何もかも微妙な中、忙しい中、活動をしないといけないわけですが、何度も空振るでしょう。やがて婚活に疲労するでしょう。なぜそうなるか。不人気物件だからです。不人気物件なのに追いかけて回るからコスト高で疲れるのです。
もし、渦中の人物が、人気者で、女に結婚をせがまれているような立場であればどうでしょうか?
人生はもう少し変わると思いませんか?
要するに、
客観的にみて超微妙
なのです。
もし、学歴に興味がない人からしたら、
「ちょっと給料高めの普通のおじさん」
だし、
経済感覚もわからない人から見ると、
「なんか地味な暮らしをしてるおじさん」
です。
一緒になりたいと思いますか?
顔もイケメンじゃない、口説きもうまくないならなおさらでしょう。
そしてこれが、渦中の当人の悩みでもあるのです。
1000万円ぐらいの、いわゆる「高給」を手に入れるために、ある程度犠牲を支払ってきた、支払い続けているはずですが、それなりの苦労はあるでしょう。必ずしも全てが本意じゃない、いや、我慢してることも多いはず。好きなことを仕事にしてる感覚はないはず。それでいて、家庭はない。女もない。圧倒的な幸福感や達成感もない。全方位的に微妙。
これに対して、例えば、
- やりたいように生きる
- 好きなように生きる
ということで振り切っている人というのは、他のステータスはオワコンかもしれませんが、色々と幸せそうな顔をしているものです。
なぜなら、「一点豪華主義」だからです。
ある一点に振り切っており、それで完結しているからです。個性や色も立ちます。これに合致する相手がやってくるのです。
さて、YouTubeには、
「追い詰められた30代おじさん」
が、自殺をテーマにしたコンテンツを上げていたりします。
https://youtu.be/yPzT3xyVpIw
https://youtu.be/p02We3yVawM
いつも不思議に思うのですが、それで、
やったー、ハッピー、楽しい
って開き直れればそれで良いのですが、時折、辛そう、苦しそうにしていたりすることです。特にありがちなのが、自分で無職・ニートを選んでおきながら、「死にたい」とか、「自殺衝動に駆られた」みたいなことを言っていたりして、不幸そうだということ。
さらに、自殺未遂経験を語ること。
不思議に思いませんか?
自分でその道を選んだのです。
そして、楽な生活をしてるはず。なのに苦しそう。どうしてでしょう?
死にたくなる?
死ぬ度胸があれば、死ぬ気でリスク取って何かをやれば良いのです。
それだけの覚悟で何かをやってる人は多くありませんから、頭ひとつ抜けることができるはずです。少なくとも、必死でやってればそこら辺のアベレージの人たちは抜き去ることができるはずです。
・・・・・・でも、彼らはやらないですよね?
え?
どういうこと?
開き直ってハッピーか、死ぬ気で勝負かのどっちかじゃないのか?
「怠けたい」なら、怠けてハッピーのはず。でもそうなってない。どうして?
要するに、
こういうケースは、
「死にたい」
というのは必ずしも死にたいわけではなく、助けてというサイン、かまってのサインだったりすることが多く、
根本的には自己の価値の否定であり、要はうまくいかない自分を自分で嫌っている。
弱い、
雑魚い、
うまくいかない、
そんな自分が根本的な問題であるわけです。
にも関わらず、ここをテコ入れせず、「逃避行動」に走り、逃避行動をしている自分を時折肯定して、ハイ(躁状態)になっては、また鬱のターンがやってくる。これの繰り返しでメンタルを壊していくわけです。精神に波がある。好調、不調がある。ただ、逃げてもだらだら生きれる環境があると、そのままそこに依存してダラダラとしてしまうわけです。
そして、こういう人たちがこうなってしまうのも、
客観視
が足りないからでもあります。
もし、客観視力が強ければ、
- 強烈な自己否定
- 自分の社会の中でのreplace
- 自己鍛錬
などがオプションとして浮かんでくることでしょう。
「俺にはこれしかないんだ」と思えれば、腹を括って、今の立場で頑張れるでしょう。これでいいのか、というより、これしかない、と思えるでしょう。
謙虚になれるでしょう。
もし、自分の「主観」的な部分に傾倒できるのであれば、もっと、楽しそうな顔をしていることでしょう。自分がやりたいことをできているはずだからです。
いわば、生きづらさを感じるというのは、自分が、自分に対して、客観的な評価を求めている、社会的に賞賛を浴びている状態を求めていると言える。本当は、もっと自分に何かを求めている。
公認会計士などもそうですが、家族などを持たず、自己の存在意義を肯定してくれるようなものがそばにないまま、微妙なゾーンにいると、そして自分が主観的にも客観的にも自分に疑義を抱いていると、病んできます。
「これでいいのか」と思うことが増えてくる。
こういう場合は、選択肢は二つです。
- 自分を肯定してくれる相手を見つける、そばにおき続ける
- 自分を客観的に否定する
(1)を選択すると、基本的には、「その人のために働き続ける」ことになります。宗教信者と、既婚者が働き蟻なのは、肯定してくれる存在がいるからです。神のために、嫁のために働くことになる。
皮肉なことに、そこには「物理的自由」はありません。経済的、場所的自由はありません。ただ、「精神的自由」はあるかもしれません。
後者、つまり(2)ですが、これは自分を否定するのです。
そもそも、自分がついている職業や年収が、社会的にアッパーでイケイケなら、客観的な視点から疑義を抱くことがないわけです。でも、実際微妙だからこそ、自分の中でも色々モヤモヤするようになっている。
そして、自分でそれを選んだのに、主観的に満足できない。捉え方で改善できない。気の持ちようでなんとかならない。だから、客観的な事実を変えないといけないわけです。つまり、自分を否定的に捉えて、自分の現実をありのままに見て、発奮しないといけないわけです。
特に、男性の場合、モチベーションとして、
- いい女にモテるか
- 結婚できるか
みたいなものは大きいかもしれませんが、これを考えるにあたり、職業的なスペックはもちろん、自分のフェイス・ルックス、年齢、いろんなことを総合的に勘案して、自分が恋愛市場・結婚市場における商品として、どの程度の位置を占めているか、比較検討される立場の中、どういう価値があるかを考える。
そうすると、
「あー、モテないのも当然だわ」
ということがわかってくる。
世の中には、
年収1000万円の微妙なおじさんよりは、年収500万円の若いイケメンが良いわ
という女もたくさんいます。
年収で倍の差、というのは結構な差ですが、この差を、「結構な差」と捉えない人もいるわけです。
ある意味、極端ではあるかもしれませんが、こうやって外の視点から自分を見つめ直すと、今の境遇が理解できて、自分がなぜ、モヤモヤした生活を強いられているのかがわかったりします。
結局、自分のsurroundingが嫌なのでしょう。
会社にしても、生活にしても、恋愛にしても。
充実していない、というのはそういうことでしょう。
学生時代、家庭の経済力を除けば、学生同士にお金の差はありません。お小遣いの差などはあるかもしれませんが、学校社会の中でどう生活するかは同じです。みんな経済力という部分では同じです。学校社会では誰がお金を持っているか持っていないかが、モテを大きく揺るがす事はないでしょう。学校の中で生きる限りは、ですが。それが大人になるとこの間ですら大きな差が生まれてくるわけです。とは言え、人々が結婚する若い年代においては、 大抵がサラリーマンなのですから年収に差は生まれないはずです。若い世代の年収のサラリーマンに大きな差はありません。という事は、学校社会と同じで、モテるモテないを決定づけるのはお金以外の部分なのです。しかしまれに若い世代のうちから人の何倍も稼ぐ人たちが出てくるでしょう。そうなってくると、いわば学生時代にあったようなモテの勢力図に若干の変化が生まれたりしますが、とは言え、基本的には大きな差というものは無いのです。 これを考慮すると、多少人より年収が多い・少ない程度ではあまり大きな差が出ません。ただ結婚となると、実際問題、100マン、 200マンの差が生活の差につながってくるので少し別かもしれませんが。
何が言いたいのか。
それは、顔面であったり、トーク力であったり、なんとなく、学生時代から露骨に存在したモテる力・モテない力、この差というのは、若い段階であればそのまま引き継がれることになるわけです。
そして、加齢ごとに、モテ力は弱まっていく。
男も女も、
いい意味でも悪い意味でも、
学生時代より拘束がなくなり、
視野が広くなり、
その分、目も肥えてしまっています。
選り好みするようになる。
ちょっと遊べただけの相手によって、自分の価値基準がインフレしていたりする。
だから選ばれることは難しい。
自分のことを、少し遠く引いたアングルで見る。
客観的に見る。
そして、極端に見てみる。
自分という人間を見る解像度を下げてみたり、
スペックだけで捉えてみたり、
ぱっと見の印象だけで見る
すると、大したことない砂粒であることに気付いたりする。
自分が置かれた境遇に納得できる。
そりゃ、おもんないわ、と思える。
そこから、でしょう。
エッジが足りないのです。
エッジがあまりにも足りないのです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。