結婚できない女と、結婚できる女の決定的な違いを発見した。
これはノーベル賞級の発見である。
この発見には価値がある。
「結婚できない側」なのに、延々と婚活ビジネスに搾取されて、仕事を掻き乱されることを止めることができる。
諦めがつく。
また、どうしても結婚したいなら、何をすべきかがわかる。。。。
では、早速答えを言う。
妊娠させたくなるような心と体を持っている女で結婚していない女はいない
という事実だ。
この現実から、全てがわかる。
男の目から見た時の妊娠させたさ度合いと既婚率は明確に相関する。
うわっ、この女、妊娠させたくなるボディとハートとマインドを持っている・・・・という女で売れ残りはいない、本当にいない。
「いやっ、お願いっ/////中出ししないで//////」
と言いながら、中出しされて、ぴえんぴえんするエチエチなボディを持つ若い女で、かつ、男に妊娠させられて人生の背骨を折られたり方向性を左右されるような従属的なドM女、家事育児をやらされても黙々とこなす女、こういう女で結婚していない女はいない。
一方、結婚できない女、しない女は、
ルックス面ではセックスアッピールに欠け(年齢的な部分も含め)、
フェミニスト的な我が強い感じ、主張が強い感じがあり、
男を立たせる・勃たせる能力がない。
上司を立たせる、会社を盛り上げる、そういう気質がなければ会社の外に出て自分でやっていくしかない。同様に、男を立たせる・勃たせる、そういう気質がなければ孤高の存在として一人でやっていくしかない。
結婚できる女とは本質的に、「キャッチャー」なのである。キャッチャーにはキャッチャーの喜びがある。ピッチャーを立たせ、ゲームをコントロールし、頭を使い、冷静で、エゴイズムやスポットライトの中心にいたい意識が無い。キャッチャーは監督の犬である。
結婚できない女とは本質的に、「ピッチャー」なのである。人生のピッチャーをやりたいのであれば、伴侶としてキャッチャーを見つけなければならず、キャッチャー的な性質の男を見つけるのも一苦労だが、キャッチャーがキャッチャーをやりたいと思うピッチャーでなければならない。要するに有能でなければならない。才能がなければならない。自分が主役で振り回したいならそれなりの覚悟、資質、能力、才能、責任が求められる。
前者には末っ子が多く、後者には長女が多い。結論から言うと、長女は結婚できない可能性が高い。
単純な話、長女的な人間は可愛くない。
長女的な人間で、ルックスがあり、キャリアもしっかりしていて、年下男・犬系男子を可愛がるようなタイプはうまくいくだろう。
しかし長女的でありながら、キャリア的に微妙で、変に自由を求め、変に我が強く、主張が強いタイプは結婚できないどころか彼氏がいないことも多い。
要するにこれは選択の話なのである。
自由を求め、
やりたいことをやり、
この世界で力強く自分で道を切り開き、
戦い、
欲しいものを求め、
勝ち上がっていき・・・・
ということをやりたい女は、独身が良い。
結婚できない女には結婚できない女なりの才能がある。
結婚できる女には結婚できる女なりの才能がある。
結婚できない女、長女なんかは、男にきっちりとゴムをつけさそうとしたりする。そしてゴムをつけないと怒ったりする。また、就活にしろ何にしろ、細かくやったりヒステリーだったりする。A型っぽいのである。
一方、結婚できる女は、
「中に出さないでって言ったのに〜〜〜」
とか言いながら、
「気持ちよかった❤︎ ちゅき❤︎」「妊娠してもいい❤︎ ●●君の子供できたらうれちい///」
とかなんとか言って、
この子かわいい俺が守る
とかなんとかいう意識を男の中に醸成させて本当に守られてしまう能力が高いのである。
なんか結婚する相手の地元や実家に一人で転がり込んで、姑にいじめられながらそれでも淡々と生活する、とかそういう能力が高い。いきなり転職しちゃったりととにかくフットワークが軽い。
要は、結婚できている女というのは、各種のデメリットの対価として、
- 庇護される
- 孤独から解放される
- 既婚というステータスがある
- 子供がいる、賑やか
- 愛された、選ばれた実感、自尊心が満たされる
というものを受け取っているのである。キャッチャーとしての喜び、主役を立たせる喜び、良い脇役としての喜びを得ている。そもそも結婚というものがそういうものである。自己犠牲の連続である。自己犠牲をしながらも周囲を立たせて、うまくゲームメイクできている喜びである。
結婚できている女は、大して人生に強い信念や目標みたいな自己完結型のものを持っておらず、だからこそ他人と融和できる。
生活スタイルも柔軟である。
簡単に言うと、言いなりである。
言いなりである代わりに庇護される。
これは、兄がいる、姉がいる人間の特徴でもある。
末っ子気質というのは、ポリシーやイニシアチブ、主義主張を長兄・長姉に受け渡す代わりに、責任を押し付け、懐柔・捜査し、目先の利益を取り、半径5mの範囲で「イージーゴー」「ハッピー」を追求するお気楽な生き方である。甘える・頼るのは大好きだが、甘えられる・頼られるのは大嫌い。自分が弱者・甘えん坊ポジションを取りたいから、同じく弱者を見かけると虫唾が走る、嫌う。当然救いの手なども差し伸べないし、お節介気質は全くなく、ドライ。
中途半端な長女性と、中途半端な末っ子性を持っている女は結婚できない。
えちえちなボディをしているわけでもなく、
ルックスが取り立てて可愛いわけでもなく、
長女的な我の強さがあるくせに、
どこかで「本当は甘えたいぴえん」みたいなことを思い、
「男がいなくても生きていけるぜ!」と去勢を張る割には年収もキャリアも微妙で、
誰かを引き連れていく甲斐性があるわけでもなく、
自由にやりたいくせに孤独には弱く、
上司や会社に反抗したり、
何か大きな構造物や上のものに反発するくせに
自分がフロンティアを開拓したり新たな道を創造する、道なき道を歩く力は弱く、
会社で働いても上司に法律論やらパワハラ論・セクハラ論を振りかざして社員の権利を行使しようとする割には貢献は低く、「出世はいいから楽して儲かりたい」と奇声をする、みたいなスタンス。
私の言いたいことがわかるだろうか。
地方の片田舎に住んでてキャリア的にも雑魚なくせに何故か都心でパワーカップルする力があるほどのエリートフェミニスト女の言説をリツイートしてたりと自分が見えていない
のである。
もちろん、長女タイプでも、
末っ子タイプの男や非モテ男性を見つけて
洗脳して結婚に追い込み、
鬼嫁として君臨するタイプもいる。
しかしそういうタイプもそういうタイプでまた、「肝っ玉」気質なのである。
こういう人たちは、
鬼嫁でありながらも、
それなりに覚悟がある。
胆力がある。
「女の顔」をしながら甘える、とか
ドキドキワクワク、みたいなのを諦めて捨てていたりするし、
道中苦労があったりする。
宮迫の嫁みたいな人だろうか。
自分は結婚できないかもしれない、
と気付いた時に必要なのは、
- 一人で生きていく覚悟
- 孤独への覚悟
- 強くなる、成功することへの覚悟
等々である。
自己完結しなければならない。
自家発電しなければならない。
自分が、「結婚のための代価を支払う覚悟がない人間、支払えない人間」であることを自覚しなければならない。
それは悪いことではない。
一番危険なのは、中途半端なゾーンでフラフラすることである。
これでは報われない。
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"make you feel, make you think."
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(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。