なんで数学できないのだろ?ということを延々と考え続けたときに、まさか自分が掛け算と割り算を理解してないことに気付くとは。初歩の初歩は、再検証の目が当てられないからこそ、盲点である。物事がうまくいかないときは、初歩に立ち返った方がいい。
数学ができない人は間違いなく掛け算と割り算ができない。数学できなかった人間が言うのだから間違いない。
例えば掛け算とは何か?
同じ数や違う数を足し算がくっつけていくものなら(だから『和』という)、掛け算は同じものを集積していくようなもの。文字通り、『積』なのである。積むのである。マンションの階数を上に積み上げて増やしていくようなもの。
部屋数が右肩上がりカーブで増えていくグラフが描けるのは当然。
和を尊ぶとか、夫婦和合という言葉があるように、和という言葉は異質なものを融合させる意味合いがある。対して、積は上にどんどん積んでいくイメージからもわかるように同じもののセット数である。
こうやって考えると、客数×客単価×購買頻度の公式の弱点も見えてくる。客数というのは人間の頭数で明瞭だが、客単価や購買頻度に関してはおしなべて平均値を出してるものであり、客単価などに関しては『このビジネスにおける最低購入単価』としての客単価か、『お客さんによって大きく変わる支出額』かという別の視座が見えてくる。特に後者なら、掛け合わせてる客数に注意が必要だ。マーケティングの現場にいればこれはむちゃくちゃパレートの法則が働いている領域だとわかるだろう。現場感覚がある人間なら、客数という要素に『質』の概念を持ち込みたいはず。客を均質化する視点を持つことを避けたがるはず。掛け算が積み上げであるのなら、客数×客単価×購買頻度の公式には注意が必要だ。全ての客を均質化して捉えてしまいがちなマジックがそこにはある。
割り算も、私のような人間は『割る/分ける』としか覚えてないままのパターンも多いが、実際は何個あるか数える、比を示すという意味もある。特に、全体に対して部分量が何個あるのかという意味があることをわからないままでいると、行き詰まる。8÷1は何か?に答えられない。1に分ける、というのがもはや論理破綻してるからだ。分けるとは元来、その言葉の中に最低数値として2を意味するはずだからだ。だから、8÷1は1が8の中に何個あるのか?と考えるべきである。
ちなみに、『商』は商売から来てるらしい。商売の本質は顧客支持の対価として得られたマネーの集積(資本力)によって、そのビジネスがお客さん個人単位では到底及ばない対象に投資/費用負担を行い、その果実をお客さんに分配することである。そのビジネスだからこそ実現できること、獲得できるものをフォロワーたちに分配することである。利ざやを取るとか、客を騙すとか考えて商売を捉えてる人間は本質を分かっていない。要するに集まった金の使い道がわかってないビジネスは成功しない。
集まって来た金を用いて、将来客に分配する果実のための投資や費用負担を行ってないビジネスはまず失敗するだろう。
端的に言えば、金は効果的に使われるところに集まる。これはケチとか倹約を意味するものではない。効果的、というのはそんな簡単な話ではない。金を使えない人間、扱えない人間は稼げない。貯めるだけの人間、コスパ至上主義や表面的な『投資or浪費 二分法』人間には金は集まってこない。ビジネスができる人間というのは、金の使い方を考えて来れる人間のことを言う。
商売の本質はユーチューバーがよくわかってる。客が自分ではやりたくないこと、できないことを代行してその果実を分配するのが商いの本質である。
本質的に稼ぐとは、使い方であり、マネーの受託である。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。