人が成功していたらムカつく?ストレスが溜まり、元気がない?

友人や知人の範囲で、「成功している」と思われる人間がいると、どこか心の中では喜べない自分がいないだろうか?

結婚でも良い。

仕事でも良い。

ビジネスでも良い。

 

身近にいる人に、絶好調なタイプがいると、どこか心が重くなるかもしれない。

 

この心理の代表的なものは、「甲子園球児への焦燥」だと思う。子供が大人になっていく中で、自分と同年代の人間が、初めて全国区レベルで活躍するようになるのが高校生年代だ。

逆に言えば、それまでは「自分と歳の近い人間」にスターはいない。

 

甲子園のスターになるような人間がまず、同年代で目立っていく。そして彼らは、高校卒業後にプロになる。しかし、「プロ野球選手になるような人間」は、まだ遠い人間に感じるから大丈夫だ。別にサッカーでもゴルフでもなんでも良い。

ところがどうだろう?大学に入学していくと、二十歳頃には、専門学校を出て社会人として羽ばたく人間が同級生に出てくる。芸能人にも、いつのまにか「同級生」「歳下」がいるのである。

21歳、22歳、23歳・・・と歳を重ねると、その傾向はますます強くなる。

25歳を折り返せば、自分の下の年代に「突出した人間」が出てきて、30歳になる頃にはそれは明らかになる。普通の社会人をしていても、30代が20代に追い越される現象があるかもしれない。

 

ちょうど、人は30歳頃になって、自分の「抗えない現実」に開眼していく・・・・・。

同級生や、下の世代の突出した人間を見れば、自分の才能・ポテンシャルの限界に嫌でも気付かされる。

 

インスタグラムを見ていて、キラキラしている人間に感じるモヤモヤであったり、テレビを観ていて感じるモヤモヤでも良い。

あるいは、「人生うまくいってるぜ!」という感じで元気な人間と会って触れ合うたびに、こちらがハイライトされるような気持ちになって、どよーんと暗くなってしまうかもしれない。

 

 

20代の成功は危険だ。

20代の成功なんて、あまりにも危険だと思う。逆ポジショントークを繰り広げるけれど、20代の成功はあまりにも危険すぎる。もっと言うと、20代のうちをキラキラに生きるなんてことは誰にでもできること。だから、SNSなんかを見て落ち込むのはやめた方が良いかもしれない。

ブスでも「マンコ要員」としてモテてしまうし、バカでも結婚やら就職やらおめでたいイベントラッシュ+若さで大体のことは乗り切れてしまう。

10代の成功は、多分、才能・素質。あるいは努力。そして30代〜40代の成功も、それなりに円熟味が増した結果の成功だと思う。

でも、20代の成功は危険だ。一番危険だと思う。

古今東西、打ち上げ花火にように夜空に果てて行った人間は数え切れない。ポッと打ち上がるってことは、ポッと消えるってことでもある。一番、周りを見て多感な時期は20代と思うから、あまり周りを気にしなくても良いのではないかと思う。

10代で種をまいてなくて、20代でポッと出で成功するなんて、どう考えても怪しすぎるだろう。

むしろ、20代の10年は隠遁してるぐらいが、人生全体のバランスはちょうど良いのかもしれない。

 

 

私は、元気ではありません。自称:悲哀に満ちた男。

私は、人生うまくいっている方で、かなり自己満足の範囲で幸福に満ちている。しかし、

ウェーーーイ!

という感じで元気か、と問われればそうではない。そもそも、それ以前に悲しみに満ちたプロセスをくぐり抜けてきている。

どこか、全身からアンニュイな雰囲気を漂わせているのはそのせいか。人生の悲哀というか、哀愁のようなものをオーラとして漂わせているタイプだと思う。

私の人生観の根本にあるのは、

まず一番大事なのは産まれないこと、産まれてしまった仕方ないから成功して幸せになること

というのが横たわっている。まさに「根暗の鏡」である。もしかしたら、「井の中の蛙、大海を知らず」で生きていられるならば幸せでいられるのかもしれない。もしかしたら、高いところを見すぎているのかもしれない。

 

人生がそもそも楽しくて幸せに満ちたものというものが私には理解できない。

デフォルトの状態、あるいは普通に生きれば全然楽しくないと思う。

 

だから必死になって、あれこれめちゃくちゃなことをして、楽しい方向にしようと頑張ってきただけだ。

 

たまに、自己啓発書とかで、「キラキラハッピーライフ★」とかあるけれど、実際に自力で逆境から這い上がったらああはならないと思う。もっと、鬼気迫る何かを備えた人間になるかもしれない。ちょうどスティーブ・ジョブズが人間的に歪んでいたり、殺気立ったものを持っていたような感じ。

彼はおそらく、一生涯、心の根っこに「産みの親に捨てられた」という劣等感と、育ての親に「お前は特別だ」と育てられた優越感の狭間で、揺れ動くような微妙な心理にあったのかもしれない。彼に対して、比較的温室育ちのエリート起業家たちはもっと、おとなしくて丁寧だと思う。

 

人生は、傷ついたiphoneのようなもの。

ジョブズは、ipodを持ったインタビュアーを目にして、「どうしてカバーをつけるんだ?」と尋ねたという。そのipodはインタビュアーの私物だ。当然、インタビュアーは、「傷から守るためだよ」と答える。すると、ジョブズは怪訝な目をしてこう言ったという。

 

そうか?僕は傷ついたステンレスは美しいと思うけどね。僕は来年に50になる。傷ついたipodと同じだよ。

 

 

大衆の悲哀と人生の悲哀を理解しているか。サンシャイン池崎な人生と、あいみょんな人生。

ビートたけしの本を読んでいたことがある。

彼は、こんなことを言っていた。

いつの間にか、芸人というものの地位が高くなってしまったけれど、そもそも芸人なんてのは人様の前に出てバカをやるものであって、到底尊敬されるような職業ではない。そして、自分の母親にも「あんな仕事・・・」と言われていたのだそう。彼は明治大学に入ったし、数学がかなり得意であることでも有名。番組の企画を見てもわかるように、かなりお勉強系も得意だ。

そして昔の芸人というのは、ある意味、「底辺の矜持」のようなものがあったそう。そして、芸には厳しかった。社会的地位の高くないポジションでありながらも、キラリと光る芸があった。それが昔の芸人。大衆はそれを愛したのだ。

 

どっかの芸人が言っていたけれど、

不幸じゃない人間はステージに立ってはいけない

みたいな話をしていて、私はそれにグッときた。

 

女に対して、「美を求める圧力」が大きい日本社会。女芸人はブスをマネタイズしている。ある女芸人はこう言っていた。

私には美貌はない。しかし金はある。

カッコイイ。思わず唸ってしまった。

 

サンシャイン池崎とあいみょんが愛されるのは、大衆の悲哀を理解しているからではないだろうか。米津玄師の曲の再生回数がやばいのは、そこに人生の哀愁を感じるからではないだろうか。

サンシャイン池崎はシンプルに元気をぶち込んでくる。

そしてあいみょんと米津玄師は、人生の哀愁というものをわかっている人間だと思う。きっと、彼女ら、彼ら人生がそれを肌身で感じてきたからこそ、繰り出せるセンスだと思う。そしてそれが熱狂的に支持されている。

・・・・・そう。

みんな疲れてるんだってことだよね。

 

 

「自殺する勢いで起業した」

「自殺する勢いで起業した」って言ったら驚かれるかもしれないけれど、感覚としては、「ウキウキハッピーライフのためにがんばろ★」という軽薄なノリでレールを外れたわけじゃない。

でも考えてみて欲しい。

零戦に乗り込んで、操縦桿を握っていた戦士たちがウキウキしてたと思うか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、坂本竜馬、西郷隆盛・・・が

人生楽しんだもん勝ち★

とか言ってたと思うか。

多分、そんな奴なんていない。いなかったと思う。

でも、「1度きりの人生」ってことをみんな覚悟して、命を「使った」のだと思う。命を使うと書いて、「使命」と呼ぶからね。

長い歴史を総ざらいすると、だんだん、「命の危険」を感じることのない世の中にシフトしてきている。それ自体はとっても良いことだと思う。

でも、私たちは逃れられないことがある。

 

必ず老いる。

必ず死ぬ。

いつか死ぬ。

 

“清水の舞台から飛び降りる覚悟で”

 

 

私は、歴史の名所巡りが好きだ。

どうしてだろう。

多分、それは、「重々しい意味合い」が背景に込められたものが、平和な今日、「ポップで明るい観光地」としてパッケージングされているそのギャップに酔っているのだと思う。

フランスのノルマンディーとか、エジプトのピラミッドとか、観光名所化しているけれど、そこの背後に何があったのかというヒストリーを知れば知るほど、目の前に映っている景色の平和さとのギャップに酔ってしまう。

あれ。

この背後にも傷がある気がする。

 

 

サラリーマンの20年、起業家の3年。俺はもう生きることに疲れた。

サラリーマンと起業家のどっちが格上かみたいな優劣の話をするつもりはない。そして、「人間的に成長する」「人間的に絡みやすい」のは間違いなくサラリーマンの方だと思う。

ただ、それはさておき、職責やプレッシャーについて考えてみよう。

職業としてのプロ経営者という本がある。

この本にそれぞれの年代別ですべきことが書かれている。

  • 20代 → 仕事に慣れても楽をしない、もっと厳しい環境に自分を追い込む(ここで手を緩めると将来が詰む)
  • 30代 → 本当にやりたい仕事をやるための環境を得る(プロジェクト責任者、収益責任者になる)
  • 40代 → 事業・会社のトップになる

これはかなり良い方の部類のビジネスマンだ。

これを圧縮して、前倒しでやるとどうなるか。起業するとほぼ強制的に圧縮したものが降りかかってくる。世界一ブラック企業なのは、自分で起こした事業の当初だと思う。

もともと気力・体力のあるスペックの高い人間ならどうかは知らない。

しかし、私のように「普通の人生が嫌だから」「社畜が嫌だから」「なんとなく社会不適合だから」「現実逃避したいから」という後ろ向きな理由でこれらをやると、確実に疲弊する。

私は、自分の人生にこう思う。

疲れた。ただただ疲れた。

人生には、希望があってほしい。楽しくあってほしい。理想的なライフスタイルがそこにあってほしい。

何より、感動があってほしい。

それを求めてきた結果、自分が「40代に達成できれば良いな」と思っていたことをかなり前倒しで実現できたから、達成感で感傷的になることがある。

でもそれは、弾けるような喜びじゃない。

一人で、夜景を見ながらさめざめと泣く感じ。

 

・・・・・・そして、あっ、って思った。

「感傷的」という言葉は、感動の「感」に、「傷」と書く。

 

傷に塩をすり込むと当然沁みる。傷口に雨が当たっても痛いかもしれない。あれ、もしかすると、感動するためには傷つく必要があるのかもしれない。なんか、ドM論みたいになってきた。

 

よく、「揉まれる」って言う。

男は仕事で揉まれて、男になると言う。

揉まれると、確かに、デフォルトでハイテンションを保つのが難しいかもしれないと思った。この前、10代の子と話をしたけれど、常にハイテンションで、発想が斬新で、いつもフル元気だった。

羨ましい。輝いて見えた。

 

 

沁みることの意味(酒を呑まないとやってられない時期)

仕事終わり。酒を呑まないとやってられないって時期があった。仕事終わりの酒がうまかった。同じことを感じている人は多いと思う。

ああいうシーンでは、「沁みる」って言葉が使われる。

そう。沁みているんだね。傷口にね。

つまり、疲れている。

 

どんな仕事をしても、疲れる。そして、仕事には「良い疲れ」と「悪い疲れ」があるのだと思う。残念ながら、私が雇われ人で仕事帰りに赤提灯をくぐっていた時代の疲れは「悪い疲れ」だったんじゃないかな。

そして多分、今、夜景を見てさめざめと一人泣きできるのは、「良い疲れ」なんだと思う。

 

悪い疲れには、明らかにわかりやすい兆候がある。

独りが非常に虚しくなる。寂しくなる。

悪い疲れがたまっている時に、孤独を感じると、自分がクソな人生を歩んでいる気がする。悲しくなってくる。人肌が欲しくなる。そして恋愛したくなる。

 

寂しいという気持ちは、人生が枯れ木状態にある。

 

個人的に、この「寂しい」という気持ちに最も苦しんでいるのは、若い女性だと思う。寂しさにやられて、一人泣きしたり、刹那的なセックスに溺れる人間を数多く見てきた。でも、そんな女性も、子供ができると変わる。強くなる。たとえシングルマザーになろうとも、強くいられる。

これはきっと、枯れ木に緑が、実が実った状態なのかもしれない。

 

思うに、お金も命も、人は過剰に大事にしようとするけれど、逆なんじゃないか。ある程度、粗末に扱った方が使える。そして、大胆に使えることが「使命がある人生」となる。多分、あまりにも大事にしすぎると、淀み腐ってしまう。

 

自分の身体を安売りしないで

自分の命を安売りしないで

なんて手垢のついたメッセージが流通しているけれど、そこにつまらなさの理由があるような気もしないではない。

 

 

ゲイツが音楽なんて聴かないって言っていた

そういや、ゲイツが音楽は聴かないようにしてるって言っていたな。ソフトウェアのことだけ考えていたいんだって。多分、酒もテレビも観ないんじゃないかな。どうだろう。詳しくは知らないけれど。

そして何より、個人的には、親とか友達を遠ざける重要性を力説したい。

小学校の段階から、

友達100人できるかな♬

みたいな変な音楽を聴かされるからダメなんだ。

アァ、それと。

最近読んだ本の中に面白いことが書かれていた。

 

仕事は休むから疲れるんだ。毎日仕事ばかりしていたら疲れない。全部仕事だったら疲れない。

って。

・・・・・そうかも!って思ったね。

 

 

ジャンクフードを断ち、ヘルシーフードを。

今、頭の中にあるのはこれだ。

「ジャンクフードを断ち、ヘルシーフードを」。

人は食べるものに気をつけるけれども、脳内に入れるものはなぜか気をつけない。

 

ささっ。

ヘルシーなフードでも採りに行くかな。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。