開き直って逆転の発想することしか頭にない

見てコレ!すげぇ!思わず買っちゃった。ビバレッジ系の業界はイノベーション起こしにくいのでマーケティングの芸で戦ってる代表的業界です。ミネラルウォーターなんて偉業中の偉業ですよ。水を有料で売ったんですから。マーケティングの勝負ですね。まぁ、これは出版業界にも同じことが言えますけど(西園寺さんみたいな人間が水を得た魚のように活躍できる業界です)。

あ、あと、今ビーチにいるんですけど、ウェディングの記念撮影してるカップルがいます!西園寺さんはベンチに座ってそれを遠目に眺めてるんですが、隣のベンチに1人で座ってる女の子が、ポーッとした表情でそのカップルを眺めてます。

 

『あー、私も結婚したいなぁ…….』

 

とか思ってるんでしょうか。お、ここにもマーケティングの被害者が一人。そんなこと考えてたら、カワイイですね。そーいえば、ウェディング業界もマーケティングの勝負ですね。

マーケティングは素晴らしいです。被害者になることで被害者は心の躍動を覚えます。それはすなわち幸せになるということです。たまに、こーゆー話をすると、理性厨とかロジカル厨、技術厨が顔を真っ赤にして反論してくるんですけど、たぶん、10年後くらいに西園寺さんの言ってることがジワジワとわかりはじめるはずです。

人間が人間であることは変わらないはずですから。

 

さて。

デューク西園寺さんは、『逆転の西園寺』とか『開き直りの西園寺』とのキャッチフレーズを拝命しております。自分で勝手に言い出したんですけど。

私は、人生において開き直りと逆転しか考えてきてないなー、と思う次第です。でも、このおかげで、人生、幸せになることができました。

 

人生に絶望してる人っていますよね。私、そーゆー人を見るたびにいつも思うことがあるんです。逆転の発想すれば良いじゃん、開き直れば良いじゃん、って。たとえば、40代独身で絶望、、、みたいな人とかいますけど、そーゆー人って、キャバクラや風俗に入り浸ったり、フィリピンとかで若いお姉ちゃん囲って、ヒューヘフナーみたいな生活すれば良いと思うんですよね。知ってます?ヒューヘフナー。アメリカのプレイボーイ誌の創業者ですね。

恋愛に絶望してる女の人は、キャバクラとか風俗で稼ぎまくったら良いのでは。ルックスに絶望してる人は芸人になれば良いのでは。低学歴で困ってる人はビジネスを始めれば良いのでは。友達がいなくて困ってる人は、移住しまくったり海外移住したりすれば良いのでは。彼女いない人は不特定多数とヤリまくってフリー生活を謳歌すれば良いのでは。あくまで、これは一例ですが、逆転の発想ってそーゆーことです。

 

実は、お気づきかもしれませんが、人生でそれなりに何かをやってる人はヒラキナオリとか逆転の発想がウマイんですよね。女芸人とかが、よく、テレビで、酒を飲みながら本音を語ってたりするんですけど、『女としての幸せを諦めて、ディスアドバンテージをアドバンテージに変換する生き方を選び、マネタイズで得た幸せで埋め合わせしてる!!私は一般的な女よりルックスは劣ってるけど、金は持ってる!!普通の女どもより!!』みたいな趣旨のことを言ってたりします。

賢いですよね。

そもそも、ルックスなんて10代、20代の間でやたらチヤホヤされる指標であって、人生の後半になってくると、よほどのイケメン、美女、メンテナンスがマメな人以外は、『じじい』『ばばあ』で一括りにされます。ルックスの良し悪しとか微差になってきます。

こーやって考えると人生は平等な気がしてきます。人生は不平等だってよく言われますけど、あれ、その通りですが、視点をめちゃめちゃ高くしたり、時間的奥行きを考慮したり、視点をまったく別のところに持っていったりすると、実は不平等を埋め合わせられるどころか平等に思えてきたりするんですよ。

例えば、若い頃にルックスの良さに甘えて恋愛市場でイケイケだった人が、30代以降、中身を磨いてきた人にボロ負けし始めるとかよくある話。

 

昔、アメリカナイズされた気の強いアラフォーのおばさんに、『日本は女の人のルックスばかりをあれこれ言って、特に芸能の世界ではパフォーマンスではなくてルックスばかりが重視されてるからマジで終わってる!!』みたいなことを怨念じみた、もの言いで力説されたことがあります(男も結構、同じよーなことはあるんだけどね)。

実際、これは大方事実であり、西洋の人間は日本のテレビ番組を観て怪訝な顔をします。

なんで日本人は女性を、テレビのよーな公共の舞台でブスだのなんだのいって、それを指差して笑いあってるの!頭おかしいんじゃないの!!

という風に。

アメリカの場合、『おー、久しぶり!あれ?太った?』みたいな、日本の場合だと何のことない声かけもモラハラ?みたいなことになりかねないらしいですね。

 

でも、考えてみてください。日本の女芸人たちは、『ブスだ!!』『ブスのくせに何言ってる!!』って思われるっていう認知を逆手にとり、それで芸を行なってマネタイズしてるわけです。もちろん、ルックスどうのこうではなく、純粋なパフォーマンスが評価されるべきですが、この点は男性も同じです。ルックスは整ってる整ってないのみならず、味があるとか個性的とか記憶に残りやすいとか、異性ウケする、同性ウケする、子供ウケするとか、そもそもいろんな評価の方向性があるはずです。

純粋なパフォーマンスとは何か、というのは難しい問題で、人間はどこまでいっても総合力の勝負です。人に固有のルックスなどから、純粋にパフォーマンスだけを抽出して比較、評価するなどどだい無理な話です。例えば、日本が誇る鬼才(と個人的には思う)香川照之さんなどは、ご本人の演技力はもちろんのこと、あの味のあるルックスが特異なオーラを形成している。歌手に関しても、その人本人の声質を抜きにして語れないですよね。

 

人間万事塞翁が馬という中国の故事がありますね。足を骨折して最悪だと思ってたら、徴兵を免れてハッピーに転じた、とかそーゆー話。何をもって良しとするか、悪いとするかは、実はコロコロ変わるので確定的に断定できないんです。これはジョブズのconnecting dotsの話にも通じます。

何をもって良しとするか、悪いとするかは平気で移ろっていくし、一見短所と思っていたことも場合によっては長所に転じる。

 

こうやって考えていくと、人生において、短期的視点、硬直的な視点、一般的な視点のみによって立って、物事の是非や良し悪しを判断するのはあまりにも早計と言えます。

西園寺さんの場合、学歴がないというのはもはや強みに転じているフシがあります。というのは、私は割と高学歴の人と友達になれたりするタチなのですが、『なぜ勉強しなかったのか』とか『どういう人生を送ってきたのか』の話をすると、面白がられたり、まわりまわって好評価されることがあるのです。そしてそれはおそらく、彼ら彼女らも薄々感じていたけど胸の奥に閉じ込めていた部分でシンパシーを感じられているから、だと思います。私は大方の人が勉強に投じた時間を、自分探しとかに用いてきた歴史があるので、そこで得たものを話すとやけに面白がられるのです。

まるで、鳥カゴの中の鳥が、外の広大な世界に憧れるかのよーな感じでいろいろ興味を持たれることも多いです。いつも言われるのは、『わたしも冒険してみたかった、そーゆー刺激的な人生を送ってみたかった』とか『わたしもレールから外れてみたかった』とか『親の言うことに逆行してみたかった』とかそーゆー感じのことです。

でも、西園寺は西園寺で、『いやいや、多くの人が一度乗っかったレールで、わかりやすい勝利指標を獲得したことが、この社会で生きる上でどれだけのチャンスと信頼性、便宜をもたらすことか』って思うわけです。ただただ私は、私の悪条件を逆手に取ってきただけに過ぎません。

 

みんなが違ってみんな良い、みたいなどっかの詩がありますがあれは馬鹿にできません。本当にそうなのです。千差万別、さまざまな人がいるのが世界です。世界を知り、自分を知り、うまく自分に合った手を打っていくだけ、見方を変えるだけで絶望の人生は希望の人生に転じます。本当です。

好きに生きれば良い、やりたいことをやればいい。本当にそう思います。柔軟な発想を持ってください。自分を知り、他者を知り、世界を知って、ご都合主義で生きれば良いじゃないですか。

 

この前、久しぶりに中学校を通りました。放課後の中学校では、サッカー、テニス、野球、陸上に興じる生徒たちが運動場を埋め尽くしていました。久しぶりに、中学校時代のことを思いました。中学生の世界観では、勉強、スポーツ、友達関係、恋愛といったものがすべてなはずです。そして、そのどこにも居場所を感じられない子は、息苦しさを感じがちです。ひどい場合だと、自殺しちゃったりします。しかし、我々大人はそれを見て、中学生の視野の狭さとそこから導き出されたあまりにも早計で極端な判断に胸を痛めるわけです。

しかし、当の大人たちもまったく同じ罠にハマっています。

図書館に行けば、膨大な数の知のジャンルが存在することに気づきます。世の中には、仕事、恋愛、お金以外にもいろんな世界観があるはずです。宗教もあるし、趣味の世界もあるし、物理的に移住してみても面白いし、別にフリーター生活でも派遣社員生活でも楽しんでる人は楽しんでるはずです。平日の昼間から、軽いノリでビーチで焼き鳥を売ってるお兄ちゃんを見てると人生楽しそう。また、国外という選択肢もあります。海外だと、就職先を考える際にはまず、国を選ぶことから考えます。ネット上だけでマネタイズしてる人だって世の中にはいるし、『楽な仕事』『休める仕事』『人と関わらないで良い仕事』『精神的に楽な仕事』みたいなものにこだわって道を決めてる人だっている。

一般的に良しとされてるもの、みんなにチヤホヤされてる道、価値指標、正しいとされてるもの、そーゆーものをことごとく手放していき、少しだけ、自分というものと向き合ってみると、意外と道が拓けたりします。逆に、自分というものにばかり目を向けていたのであれば、少し外に目を向けるとまた、道が拓けたりするもの。

どうやったら逆転の発想ができるかな?とゆーのは常に頭に置いておくと良いかもしれませんね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。